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第二幕間五話

 欠伸をしながら、オルトリーヴァは目を覚ました。テントの分厚い帆布を通してもなお眩しい夏の太陽。既に、普通の人なら汗まみれになるほどの気温だ。しかし上位妖魔たる彼女は、いたって涼しい顔をしながら伸びをする。

 

「ふう……」


 掛布団代わりのマントを足元に寄せ、立ち上がる。木綿の簡素な寝間着に包まれた長身が露わになる。その鼻腔を肉の焼けるかぐわしい香りがくすぐり、見ようによってはキツく見える目元をやや緩めながら、テントの外に出た。

 

「おはようございます」


「おはよう、ヌイ。良い朝だな」


 先客がいた。ヌイだ。今日は鮮やかな青いワンピースを着ている。フードのある服ではないから、その大きな傷跡のついた顔は露わになっていた。最近、彼女は傷をあまり隠さなくなっている。

 

「おはよう。ごはん、ちょうどできたところだよ」


「うん、ありがとう」


 大西が、墓場の隅に作った小さな石のカマドで火の始末をしながら言った。頷きつつ、少し歩いて井戸に向かう。相変わらずこの辺りは人気が少ないため、共同用の井戸とはいえ人はいなかった。釣瓶を使って水をくみ、口をゆすいで顔を洗った。ポケットから出したハンカチで顔を拭い、墓場に戻る。

 そのままテントに戻ると、先日購入した一張羅のコートを手早く着た。ズボンを大西が改造してくれたため、尻尾も無理なく外に出すことが可能だった。なにやらよくわからない鼻歌を歌いながら、また外に出る。

 

「はい、どうぞ」


 大西が差し出してきたのは、目玉焼きとベーコンを焼きたてのパンで挟んだサンドイッチだった。嬉しそうにそれを頬張るオルトリーヴァ。

 

「うちの連中は頂きますも言えないやつらばっかりだなあ……」

 

 近くの地面に座り込んでいたスフレがパンの欠片をハスクの隙間から食べつつ、そんなことを言った。しかし小声だったため、オルトリーヴァまでは届かない。もう一口齧ると、半熟の黄身が口の中でトロリと広がる。大西に向かってこくこくと頷きながら、あっというまにそれを完食した。

 

「おかわり」


「はいはい」


 あたらしいサンドイッチを要求すると、即座に差し出された。無表情に近いクールな表情を崩さないものの、オルトリーヴァは大変に嬉しそうに尻尾をブンブンと振りながらそれにかぶりついた。大西は、自分の分のサンドイッチをつまみつつそれを機嫌よさげに眺めている。

 

「彼女も、すっかりなじみましたね」


 自分もこの頃毎日のように朝食をここで取り始めたスフレが言った。短時間での馴染みっぷりはまったく人のことは言えないだろうに、それはおくびにも出していない。一人だけ別の場所に住んでいるとはいえ、のけ者にされるのは彼女も嫌なようだ。

 

「うん、いいことだ」


 最後の一口を咀嚼し、飲み込んでから大西が言った。そして「さて」と立ち上がりながら、テントに戻る。

 少しして、オルトリーヴァが食事を終えた。辺りを見回す。片付けの手伝いでもしようかと考えたらしいが、既に大西が終わらせていたため、綺麗なものだ。少し眉根に皺を寄せて、首をゆっくり振る。どうやら少し寝坊してしまったらしい。

 

「ふわああ……」


 欠伸が出た。ブラック・ドラゴンは基本的に夜行性だ。朝は弱い。

 

「歯磨き、忘れるなよー」


 そんな彼女にスフレが言う。オルトリーヴァは素直に頷いて、コートの中にいくつか入れている金属製の容器の一つから歯ブラシを取り出した。もちろん近代的なプラスチック製のものではなく、木でできた簡素なものだ。

 水瓶代わりのバケツに入れていた水でブラシを湿らせ、塩をつけて歯を磨きはじめる。慣れない手つきで、危なっかしい。見ていられなくなったヌイが苦笑しながら近づき、歯ブラシを借りて仕上げをしてやった。彼女の方は、慣れた手つきだ。子供の頃、下の兄弟に飽きるほどやってやったからだ。

 

「すまない、助かる」


「慣れてますから」


 ヌイは肩をすくめながら、悪戯っぽく笑った。小さい子供相手にはなれているが、自分より人も割も二回りも大きい相手の歯を磨いてやるのは、さすがに勝手が違う。

 そこで、いつの間にか大西がオルトリーヴァの背後に立っていた。手には簡素な櫛を持っている。

 

「失礼」


 ボサボサになっている黒い長髪を丁寧に丁寧に梳かしていく大西。ドラゴン娘は気持ちよさそうに目を細めている。これも、最近毎朝みられる光景だ。

 

「私もなかなかに世話焼きですが」


「うん」


 ボンヤリしているスフレの横に移動して、ヌイが変な顔をしつつ言った。

 

「あれはさすがに過保護なのでは」


「ボクもそう思う」


 外野の声を無視して、髪を綺麗に梳貸し続ける大西。熟練と言って差し支えない手際でそれを終え、今度はいくつかの道具を取り出して薄化粧まで施し始めた。

 

「いいよー……今日も最高にクールだよ」


「んふふ」


 怪しげな声を出しつつオルトリーヴァの顔に化粧を乗せていく大西。元がいいのでナチュラルメイク気味だ。オルトリーヴァもオルトリーヴァで、まんざらでもなさそうな様子だった。

 

「自動で身支度整えるとかやりすぎってレベルじゃあ……」


「オオニシも楽しそうだから困る」


 腕組みをしつつ、スフレはため息をついた。楽しそうだが、困ってもいるような不思議な声音だった。

 

「羨ましい?」


「いや、それは、まあ……ぼーっとしてても化粧までしてくれるのは良いなあと思わなくもないですが」


 憎からず思っている相手の元へ来るのだ。彼女は毎日、それはもう気合を入れて化粧をしていた。にもかかわらずこんな様子を毎回特等席で見せられるのだから、内心決して穏やかではない。とはいえ、オルトリーヴァは身体が大きいだけで子供のような物だ。文句も言いにくい。

 

「あんなのに慣れたら人間駄目になるぜ」


「全く同感ですね、それに関しては」


 料理も掃除も相手の身支度すらも大西は誰に言われずとも勝手にやる。楽と言えば楽なのだが、それはそれでどうかと思わなくもない。彼のペースに乗ってしまえば、グータラ豚コース一直線だ。

 

「……そういえば前も言ったが」


 そこでふと、スフレがヌイの方をちらりと窺ってから切り出した。

 

「いい加減、我々は拠点を用意するべきだと思う。毎度毎度、ヌイに来てもらうのも悪いしな」


「拠点、要するに家ですか」


 ヌイの言葉に、スフレは視線を大西の方に向ける。ハケを動かしていた手がピタリと止まっていた。

 

「確かに、武器や道具類の倉庫としても利用できますし。ええ、私としては賛成ですが」


 冒険者パーティーが共同で拠点を設置するのは決して珍しいものではない。管理の面でも便利だし、もともと気が合って集まっている連中も多いからだ。だからヌイも自然に賛成の声を上げた。

 

「あんまりね、家って好きじゃあ……ないんだけど」


「突っ込んだこと聞いて申し訳ないけど、なんでさ?」


 いい加減マスクを外して生活したいヌイは、少々フラストレーションがたまっていた。硬い寝床もそれに拍車をかけている。それでも、その声音は詰問からほど遠い穏やかな声だった。

 

「もともと住んでた家がさ、居心地が悪かったんだ。今でも思い出すと嫌な気分になるくらい」


 実家を出てもう十年はたつのに、おかしな話だと大西は苦笑する。彼にしては珍しい、影のある笑い方だった。

 

「だから、同じ場所に何か月も滞在することはめったにないんだ。慣れてくるといけない、思い出す」


「……そうか」


 なにやら、彼にも事情があるらしい。仮面の下の顔を歪めながら、スフレは腕を組んだ。空気が変わったことを敏感に感じ取り、オルトリーヴァがスフレの方を見た。しかし、口は開かない。自分は余計な事を言わない方がいいということを心得ている顔だった。

 

「大西は、家と言うのは嫌いですか」


「嫌いというか、好きじゃないと言うか。首を絞められているような感覚がするというか……」


「それは嫌いと言って差し支えが無いと思います」


 ヌイは仏頂面になった。

 

「嫌なものを、無理に強要するつもりはありません。ですが」


 そのまま、スフレを一瞥する。彼女はマスクの前で手を上げ、すまなさそうにお辞儀をした。

 

「スフレの言うことももっともです。実際、私も前々から同じことを考えていました」


「え、そうなんだ」


「そうなんです」


 大西は視線を戻し、手の動きを再開させた。仕上げ中だったので、あまり中断もしていられない。その手つきは微塵の苛つきも感じさせない、至極なめらかで自然なものだ。

 

「なので、提案します。家を借りて、それでも気分が悪く感じるならさっさと引き払いましょう。わたしも━━」


「私たちも、だ」


 スフレが口を出す。ヌイは苦笑して、その言葉に続けた。

 

「そう、私たちも出来るだけ協力します。貴方が心穏やかに過ごせないのは、私としても嫌ですから」


 パーティーは一心同体なので。そういって、彼女は少しだけ笑って頬を掻いた。この辺りは、夏は暑いが冬も極めて寒いから、いつまでもホームレス生活をさせ続けるわけにもいかない。こんな問題が発生するのは予想外だが、出来るだけ早く解決しておかねばならない。

 

「借家、うーん、まあ、それだったら……」


 大西としても、全力で抵抗するような気分にはなれなかった。嫌なものは嫌なのだが、それを誰かに押し付けるのは彼の方針に反している。譲歩もしてくれていることだし、頷くほかない。

 

「わかった、それでいこう」


「すみません、無理を言って」


「自分がヘンなこと言ってる自覚はあるよ。それをちゃんと考慮したうえで考えてくれてるんだから、感謝しこそすれ文句なんかあるはずもない」


 大西は苦笑し、手に持った小さなブラシをくるりと回した。

 

「さて、終わった。お疲れ様、オルトリーヴァ」

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