第二幕間二話
「いやはや、ブラック・ドラゴンの鱗がこれほど高値で売れるとは……」
王都の大通りを歩きながら、ヌイがしみじみとした口調でそう言った。強烈な日差しが白い街並みを容赦なしに炙っている、盛夏の午後だ。長い旅を終え、一行は本拠地である王都へ帰還していていた。
「希少品だからね。とはいえ、こういう商いはこれっきりにしたほうがいい。目立つようなことをすると、タチの悪い連中に目をつけられる可能性がある」
気温も高いと言うのに相も変わらず肌を一切露出しない暑苦しい格好をしているスフレが無い胸を張りながらヌイを見る。こちらは大西からもらった例の町娘風の服装だ。珍しく顔は隠していない。
「とはいえ、先の依頼の報酬も合わせて、当面は資金の心配はしなくてもいいだろう。いやあ、嬉しい限りだね」
ドラゴンの鱗などと言っているが、もちろんオルトリーヴァから強引にはぎ取ったなどという物騒な話ではない。その証拠に彼女は、楽しそうな様子でヌイたちの後ろについて歩いていた。服装は出会ったときそのままのボロ布姿であり、目立つことこの上ない。
鱗の出所は、彼女の私物だ。前に脱皮したときの物を記念に持っていたらしい。とはいえ彼女が人間の通貨を持っているはずもなく、装備の購入のためにうっぱらうことになったのである。
「とはいえ武具は高いんじゃないかな、大丈夫?」
そういう自分もいまだに徒手空拳な大西が聞く。ナイフくらいはさすがに持っているが、主な武装が拳なのには変わりないだろう。
「大丈夫でしょう。魔法武器にはさすがに手が出ませんが、通常の質のいい武器防具程度なら十分です。むしろ、いい機会ですしオオニシも武器を買ってみては?」
使えないわけではないでしょうとヌイが続ける。実際、大西の火力不足は深刻だ。自分より大型の生物に有効打を与えたためしがない。ヌイとしても、剣だの槍だのといった武装を用意してもらいたいところだった。
「いいよいいよ、剣についてはツテもある。もうちょっとすれば何とかなるんじゃないかな」
「まだそんなこと言ってる。やめときなよ、あんな連中とつるむのは……」
「あんな連中って」
仮面の上からでも渋い表情を浮かべているのがありありとわかる声音で言うスフレに何か言おうとした大西だったが、ふと背後を振り返った。
「オラァ!」
彼の顔面に向かって突き出されたのは……ストレートパンチ! 背後から急接近してきた赤髪の大男が、大西を突然殴りつけてきたのである。
大西は慌てず騒がず対処した。拳が自らに到達する前に手首をつかんで軌道を逸らし、それと同時に最小限の予備動作でパンチを大男の鳩尾に打ち込む。大男は、苦しげな声とともにうづくまった。
「やあ、ガンダルフさん。こんにちは」
「おお、オオニシィ……いい反応とパンチだったぜ。俺も見習わなきゃな……」
ガンダルフと呼ばれた男はそう言い残し、ふらふらとした足取りで人ごみの中へと消えていく。突然の暴行事件に、周囲は騒然となっていた。
「確かに少し変わってるけど、良い人たちだよ」
「嘘つけ嘘をォ!」
奇襲をしてきた彼は、フランキスカの部下の一人だった。攻撃の理由は、奇襲に対応するための鍛錬の一環である。もちろん大西が鍛錬という名目でいじめられているのではなく、これがエルトワール人戦士の日常なのだ。フランキスカ自身、公務の真っ最中に部下から襲撃を受けることがしばしばあった。王国民から見れば、野蛮を通り越して意味不明の習慣だった。
「突然殴りかかってくる連中がまともなはずがないだろう、冷静になれ」
「殴られる前に殴り返せば無傷で済むし……」
この手の襲撃は何度か既にあったが、大西はずっとこの調子である。むしろ、フランキスカらエルトワール人たちから自分が受け入れられている証拠だということで喜んですらいたので手におえない。
「それより、今はオルトリーヴァの装備を調達しなくては」
「あっ、おいコラまて」
するりと目に入った武具店に入っていく大西を追いかけるスフレ。その後ろ姿を、オルトリーヴァがぽかんとした表情で見ながら言った。
「ヒトというのは、変わった生き物だな。予想以上だ」
「オオニシとその周りがおかしいだけです……」
それから、少しの時間がたった。女性の買い物、特にファッション関係ともあれば時間がかかるというのが相場だろうが、オルトリーヴァはその例に当てはまらないようで気に入った服をさっさと見繕い、試着室へと消えていった。
この店は女性向けから男性向けまで、フルプレートメイルから簡素なローブまで冒険者が使用する防具・衣服類は一通りそろっている。選ぶのになかなか時間がかかるだろうと身構えていた一行だったが、結果は肩透かしなものだった。ぼんやりと防具類を見ていた大西がふと椅子に座っているスフレに問う。
「そういえば、ドラゴンって冷血動物なんだろうか」
「体温調節機能はあるよ。むしろ脆弱な人間なんぞよりよほど強力なヤツがね」
「なるほど」
大西は顎に手を当てながら、ふむと考え込んだ。そこで、試着室のカーテンが開かれる。出てきたのは当然、オルトリーヴァ。その身にまとっている服を指差し、大西は言う。
「だから真夏にああいう格好でも大丈夫と」
「まあ、そういうことになる」
そう、彼女はあまりに季節に不釣り合いな服装だった。なんといっても、真夏に真っ黒い革のロングコートである。ダブル合わせのタイプで、肘などに金属製のプレートが縫い付けられた戦闘用のものだ。当然ボトムスもそれに合わせ黒い革製の、金属プロテクター入りのものを履いている。
どうやら男性向けのモノらしいが、体型としてはあまり女性らしからぬオルトリーヴァは見事にそれを着こなしていた。一見、イケメンの男性に見えるくらいだ。
「どうだオオニシ、格好いいか」
「うん。グッド」
「よかった、うれしい。じゃあこれにしよう」
即断即決だった。オルトリーヴァは財布を握っているヌイを引っ張り、会計へと引き摺って行く。表情こそ変化に乏しいものの、その尻尾は持ち主の感情を代弁するかのように大暴れだった。
「あー、尻尾。後で手直ししないと」
尻尾、そう尻尾だ。彼女はスマートな体型に似合わず結構に太い尻尾を持ち合わせている。コートは当然、人間用であってあんな大きな尻尾を持った種族には対応していない。改造は必須だろう。とはいえ、大西が自分で出来る範囲なので問題は無い。
「オオニシは何か買うのかい」
「いいや、防具は今ので不足を感じてないよ。保険のような物だし」
新品だったはずの彼の革鎧はオルトリーヴァとの激闘でボロボロになったが、彼は自分でそれを修理した。まだまだ使い続けることができるだろう。大西の戦法には重鈍なフルプレートメイルなど合わないし、軽量なこの鎧は使い勝手がいい。新調する予定は今のところなかった。
「やっぱり改善すべきは打撃力だね。剣とか槍とか」
「打撃ではなく斬撃武器じゃないか」
「ダメージを与えられるならなんでも打撃扱いでいいよ」
「打撃ってなんだっけ……」
首を振りながらため息をつくスフレ。
「杖とか棍なんかは使い勝手が良くて安いよね。ただ、その手の武器って、あんまり大きな相手には効果的じゃないし」
だったら素手とナイフでいいよねと言わんばかりの大西。確かに自分より多少大きい程度の相手ならば素手で対処できる能力はあるので、彼の言い分は決して間違ってはいないだろう。
「刺したり切ったりする武器の方が、やっぱり大型妖魔相手には心強い。オルトリーヴァ相手だと、剣なんかがあっても勝てる可能性は低いけど」
「普通の剣じゃあ無理だろうな。ドラゴンスレイヤーの武器と言えば魔剣魔槍の類と相場が決まってる。単なる業物じゃ鱗で防がれるし」
「ただ、トロル程度なら普通の剣でも倒せると思う。筋力増幅のお陰で随分と戦いやすくなったから」
「だろうな」
財布からジャラジャラと大量の銀貨を出して店員に渡すヌイを見ながら、スフレは腕を組んだ。まだ年若いとはいえブラック。ドラゴンの人間態と素手でやり合えるほどの達人ならば、トロルの単独討伐は決して難しくは無いだろう。いくら大きいとはいえ、トロルも人間と同じ構造の肉体を持っている。弱点だって共通だ。大西ならば、やれる。そういう確信があった。近接戦で巨人と戦えるのは人外に足を踏み入れた戦士だけだが、大西もほとんどその領域に足を突っ込んでいる。
「まあでも正直な意見を言わせてもらうと、ボクはどちらかといえば装備より生活レベルの向上を優先したいよ。いったいいつまで野宿すればいいんだボクらは」
仮面の下で目を細めながらスフレが言う。今、墓場のテントはオルトリーヴァが加わったことで凄まじい人口密度になっていた。彼女が大西と一緒に暮らしたいと言ったせいだ。
スフレはヌイにこのドラゴン娘を押し付けようとしたが、双方から拒否されてしまった。もはや顔を隠す必要が無いためスフレがヌイの家に間借りすると言う手もあったが、オルトリーヴァと大西から目を放したくないため、この案も駄目だ。気づかない間に彼が殺害されている可能性がある。
「ヌイみたいにアパートでも借りる?」
「どっちかというと持ち家が欲しいよ。賃貸はホラ、あのドラゴン野郎が暴れて何か壊すと厄介だ」
「家?」
大西は珍しく露骨に嫌そうな顔をした。
「僕だけ野宿でいい?」
「よくないよ、なんでさ」
「家って好きじゃないんだ」
何かを思い出すように、大西の視線が宙を泳いだ。口をへの字に結び、ゆっくりと息を吐く。
「なんだか惨めな気分になる」
「むむ」
何やら事情ありげな様子に唸り声を上げるスフレ。とはいえ生活環境の改善は急務だ。寝る時も暑いわジメジメしているわで大変不快だし、冬になれば命の危険すらある。せめて秋口には屋根のある場所に引っ越したいところだ。
「家よりなにより、今は日用品ですよ。さ、次の店に行きましょう」
重い雰囲気を破ったのはヌイだった。済ました顔をして、スタスタと歩いていく。二人は慌ててそれについて行った。




