第二幕間一話
何とか間に合いました
からからと、マニ車が回る音が聞こえる。天は満天の星、周囲に広がっているのは氷塊を思わせる真っ白な山々。
「……」
テントのすぐ近くに座った大西は、無言でマニ車を回し続けていた。視線は空に向けている。その顔にはなんら表情は浮かんでおらず、思慮にふけっているのか、あるいはただ呆けているのかは外からは判別がつかない。
「オオニシ」
そんな彼に、テントから出てきたヌイが声をかけた。毛布をマントのように羽織っただらしのない格好だ。
「そんな格好だと、風邪を引きますよ」
実際、周囲の気温はかなり寒かった。吐く息が真っ白になるくらいだ。にもかかわらず大西はいつもの軽装なものだから、見ている方が寒気を感じるくらいだった。
「あっ……そうだね。体温低下はアブナイ」
大西は頷いて立ち上がろうとした。しかしそれをヌイが手で止め、彼の隣に腰を下ろした。そして羽織っていた毛布を大西の肩にもかける。二人でくるまる形だ。
「こうすれば温かいでしょう?」
少し頬を染めて目を逸らすヌイ。それに対して大西は微笑みながら頷いて見せた。
「なるほど、ありがとう」
「いえ……」
目を逸らしたまま頬をかき、ヌイはそっと大西の手を握った。ひどく冷たい手だった。しばらく、ふたりとも何も話さなかった。風の音と、マニ車のまわる乾いた音だけが聞こえる。
「……もしかしてですけど、オオニシは寒いとか痛いとか、あまり感じないのではないですか?」
しばらくして、彼女は言い辛そうにそう聞いてきた。前々から気にはなっていたのだ。彼は怪我をしようがどうしようが、痛がるそぶりを見せたためしがない。トロルの件でもそうだったし、今回など一歩間違えば死んでいたかもしれない重傷だった。にもかかわらず、彼はけろりとした様子をしている。
今だって、こんな気温で外でぼんやりすることなど普通ならできない。やっと温くなってなってきた彼の手を握る力をやや強くする。
「うん、そうだよ」
「そうですか……」
あまりにもこともなげに言う彼に、ヌイは口をへの字に結んだ。
「生まれ付きでね。迷惑、かけてたかな? ごめんね」
「いえ、そう言うわけでは」
ヌイは首を左右に振ってその言葉を否定し、一瞬言葉に詰まってから口を開いた。
「ただ、気になっただけですから」
「そっか。ならよかった」
笑いながらそう言い、そして大西は視線を空へと戻した。相変わらず、右手ではマニ車を延々と回し続けている。
「……あんまり気にしてない感じ?」
「うん」
あまりにあっさりとした態度に思わず聞いてしまったヌイだったが、大西と言えばそっけないとすらいえるような返答だった。
「客観的に自分の損傷がよくわからないのは確かに不便だけどね。メリットだってあるし」
「そういう……ものですか?」
「僕に関しては、その通りだね」
もう一度視線をヌイに戻し、大西が言う。
「なんといっても、自分のことだから。やりやすいよね」
「やりやすいですか?」
ヌイは呟き、自らの顔の傷跡にそっと触れた。ぷっくりと浮き出たソレを指先でなぞっていく。
「自分のことが、いちばんやりにくい。私は」
「そっか……うん」
静かに頷き、大西はヌイの手を優しく握り返した。彼女は微笑み、身体の力を抜いて彼の方に自分の頭を預ける。
しばらく、静かな時間が流れた。二人とも一言も発さない。しかし居心地の悪さとは無縁の穏やかな空間。十分か、三十分か、あるいは一時間以上か。かなりの時間が流れた跡、ふとヌイが頭を起こした。
「そういえば、もう少しで精霊祭の時期ですね。それまでには王都に戻りたい」
「精霊祭?」
聞きなれない言葉に、大西が聞き返した。
「作物の豊作を願って行われるお祭りですよ。毎年、夏にやります。出店もたくさん出て、人も集まって……とても楽しい」
「夏祭り、なるほど」
世界が変わっても、この手の風習は存在しているようだった。興味を惹かれた様子で大西は彼女の方を見る。
「僕の故郷でもそういうお祭りはあったよ。浴衣っていう服着てみんな集まって……参加したことはないけど」
「無いんですか」
「うん。あんまり興味がなかったんだ……でもヌイと一緒なら、行ってもいいかも」
らしいなあとヌイは小さく声を出して笑った。このマイペース男が祭りで楽しんでいる様子など、あまり想像できない。どちらかと言えば出店の店番あたりがお似合いだろう。
「しかし、浴衣ですか。どういう衣装なんです?」
「シンプルな服だよ。綺麗な生地使って、ひらひらしてて……言葉で説明するのは難しいかな。反物さえあれば作ることができるから、今度作ってみようか」
「えっ、そんなことまでできるんですか」
相変わらずの妙な多芸ぶりに、ヌイは思わず苦笑してしまった。
「割と簡単だよ。あの手の服は……で、どうする?」
「ううん……オオニシは、見たいですか? その、私がユカタとやらを着ているのを」
「見たいから提案してるんだよ」
あまりにも直球な言い方に、ヌイは照れればいいのか苦笑すればいいのかわからなくなってしまい、微妙な笑みを浮かべた。だが、そう言われて悪い気はしない。頭を軽く書いて、もったいぶった動作で頷いた。
「じゃあ、お願いします。……と、なると精霊祭に間に合うように帰らないといけませんね」
「そうだね。この感じならあと一日二日で出立できるだろうし。浴衣は帰路で作ればいいかな」
もう、体力はかなり回復しているのだ。怪我の経過もいい。スフレの診断次第だが、あしたにはキャンプをたためるかもしれない。
「いい生地が手に入るといいけど……途中の街か、行商人か、さて」
これからの予定を考えつつ、大西は視線を空に戻すのだった。




