第二章十二話
「や、呼んでおいてこういう事を言うのもなんだが、普通に歩いてきたね」
「脚は折れてないし千切れてないからね」
石を組んで作った簡素なカマドで鍋を温めながら笑うスフレに、大西は何でもない風に答えた。周囲を見渡すと、岩戸雪ばかりの山岳地帯。テントは平らな山頂に立てられていた。予想通り、ここはラウツ岳の山頂らしい。薄く正常な空気を肺一杯に吸い込む。
「けっこう大怪我なんだがね」
「具体的に言うと?」
「いちいち羅列しても仕方ないよ。端的に言えば、全治数か月ってところかな。このキャンプでしばらく休んで最低限体力を回復して、あの山村で本格的な療養をする予定だ」
ふんふんと能天気に大西は頷く。彼自身はまったく平気そうな様子だが、常人であれば痛みで動けないほどの怪我なのだ。実際、大西の顔色は決して良好なものではない。
「ま、それはさておきだ。粥の味付けなんだが━━」
そういいつつ、彼女はそっと大西の手に触れる。
(内緒話だ、いいね?)
(うん)
聞こえてきたのは、例のテレパシーめいた脳内だけで響く声である。スフレは口で調味料についてのいくつかの質問をしつつ、魔法を用いた念話で同時に進める。
(ヌイに聞かれたくないんだ。どうやら彼女は結構な心配性なようだし、余計な心労をかけたくない)
(なるほど。オルトリーヴァについての話?)
(無論そうだ)
にこやかに笑い、鍋に塩を一つまみいれながらスフレが頷く。
(ドラゴンの習性についてキミに話しておきたい)
(それは助かる)
オルトリーヴァがついてくるのかこないのか、それはまだわからない。しかし、どういう交渉をするにしろ情報は重要だろう。詳しい事情を知っているならぜひ知っておきたいところだ。
(ドラゴンは基本的に、わりかし気の良い連中だ。友人として付き合うならなかなか面白い。だがな)
当たり障りのない断章をしつつも、スフレの目は決して笑っていなかった。真剣な目つきで大西のガラス玉のような澄んだ瞳をまっすぐ見つめる。
(伴侶にするには最悪だ。本能的に恋愛感情と暴力が結びついているんだ。連中にとっては、セックスと殴り合いが同じカテゴリなのさ)
(ほう)
こちらは微塵も表情や雰囲気を買えることなく、大西が続きを促す。
(こいつはドラゴン特有の生態が関係しているんだが……細かいことはさておき、結論だけ言おう。人間とドラゴンが結ばれると、間違いなく人間はドラゴンに叩き殺される)
(そうなんだ)
あくまで他人事のような言い方の大西にスフレは大きなため息をつきかけ、あわてて我慢した。
(どうかんがえてもオルトリーヴァはキミに惚れてるぜ。一緒に旅なんかしてみろ、そのうち殺される。なんたって相手は若いんだ、伸びしろはいくらでもある。直ぐに手におえない強さになるに違いない)
(……あ、そうなんだ。分からなかった)
大西が珍しく難しい顔をして首をかしげた。オルトリーヴァの感情など、微塵も予想していなかった表情だ。
(わからない。どうしてそういう事になったんだろう?)
(大方、いい勝負をしちゃったんだろう? ドラゴンとしても、ただ単に打倒するべき相手と伴侶では本来まったく戦うときの心構えは違うだろうが……)
なんたって奴は若いからね。そのへんが曖昧なのさ。日に公家に笑いながら、オルトリーヴァは皮肉な笑みを浮かべた。
(むかしはよくあった話なのさ、実際のところ。妙な習性があるくせに、妙な慣習を持ってるものだから、最初に戦った人間に惚れたドラゴンってのは珍しくなかった。そうならないよう、親は勝負にもならない雑魚を連れていくのが普通なんだが)
適当なことしやがってと言外に吐き捨てるスフレ。
(なんにせよ、ついてきてしまったものは仕方がない。問題はどう対応するかだが)
(質問だけど、その暴力性は他人に向くことはある?)
(無いよ。無秩序に喧嘩を売ったりはしない。彼らにとって戦いは神聖なものだからね)
実際のところ、ドラゴンは節度さえ護ればそう危険な存在ではない。人間だからと無差別に襲うことは少ないし、辺境には地元住民と穏やかな関係を築いているドラゴンだって少しだが居る。
(じゃあ別に、ついてきてもいいんじゃないかな。ヌイやスフレに迷惑がかかるんじゃなきゃ、僕は気にしないよ)
(おいおい、死んでもいいって言うのか? 痛い目にあったばかりだろう?)
包帯まみれの大西の身体を見ながら、スフレがあきれ顔を浮かべた。懲りていないのかこいつ、という表情だ。
(何をどう抵抗しようが人はいずれ死ぬんだ。それが早いか遅いかの違いは、そこまで重要なものではないと僕は考えている)
(マジかよ。……マジっぽいな、困ったな)
大西の表情に冗談の色が無いことを見てとって、スフレは顔をひきつらせた。どうも命知らずとしか思えない行動の多い男だったが、ここまでだとは思っていなかった。
(もちろん避けられるものは避ける。まだやりたいことは多いし。ただ、あの子に殺されるのは別に悪くないと感じた)
(ヤな言い方だなオイ。ボクはキミが殺される姿なんか見たくないぜ)
(出来るだけ抵抗はするよ。ドラゴンになられたら手も足も出ないけど)
参ったなとスフレは頭をかく。縛り上げて無理やりいうことを聞かせるという案も一瞬脳裏をよぎったが、この男の得体の知れなさを考えると何らかの手段で脱出される可能性も高い。結局、本人がいいというのなら彼女としては不承不承頷くしかなかった。
(うううううん。仕方ないな、サポートはする。出来るだけ死んでくれるな、いいね)
(善処する)
(あ、でも一つ注意だ。よしんば殴り合いを生き延びて、本番まで行けたとしよう。そのときは十分気をつけろ、掘られる可能性がある。それが嫌ならなんとしても勝つことだな)
(なんて言った今)
「知らん知らん。さー粥が出来たぞ、テントの中で食え」
大きなため息をついてから大西の発言を無視し、声に出して言うスフレ。木の腕によく煮えた湯気の立つ雑穀の粥を移し、大西に押し付けてから彼女は大股でテントへと歩いて行った。
「そろそろ中も話が終わったんじゃないかな」
そう言いながら彼女はテントの入り口の布をくぐって中に入って行った。大西もそれに続く。
「さあて」
渋い顔をしているヌイの横にどんと腰掛け、明るい声で言うスフレ。
「どういう感じになった? ギスギスした雰囲気は嫌だからね、さっさと結論をだそうじゃないか」
「どうしたもこうしたもありませんよ」
ヌイは恐ろしく不本意そうな声を出した。彼女はちらりと大西の方を窺ったが、彼は小首をかしげただけだった。小さくため息をつくヌイ。
「問題が無いというなら断る理由はありません。どうぞご勝手に」
実際のところ彼女はかなりビビっていた。人のカタチをしていようが、目の前にいるのは自分たちが手も足も出なかった怪物と同じ種族なのだ。あまり機嫌は損ねたくない。大暴れでもされたら今度こそ大西は死ぬ。
「あっそう」
笑顔を仮面のように顔に張り付け、スフレが頷く。出来れば彼女とてオルトリーヴァが大西についていくのはやめてもらいたいが、こうなれば断ることはできない。
だいたい、ドラゴンは自分勝手な生き物だ。反対をしたところで、無理やりついてくる公算が大きい。もう一人の当事者である大西が彼女に好意的なのだから、なおさらだ。
「それじゃあよろしく、ドラゴン。今日からキミもボクたちの仲間だ」
「うん? ああ、そうか、仲間か。なるほど。こういう時は、ヨロシクというべきなのだな」
ぐいと差し出されたスフレの手を、オルトリーヴァは満面の笑みで握った。邪心など微塵も感じられない純粋な笑顔だった。
第二章ブラックドラゴン・ダウンはこれにて終了となります。
次章準備のため、次回の投稿は10月31日水曜日となります、ご了承ください。
それと、近々この作品を週一回投稿にして水曜日は別作品を投稿しようかと考えております。
まだだいぶ迷っているので、意見やご要望等ありましたらメッセージなどで知らせていただけると幸いです。




