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第一章五話

 乾いたやわらかな風が、ふわりと頬を撫でる。蹄が土を蹴る独特な音が、断続的に続いている。それは決して激しいものではなく、むしろ穏やかで眠気を誘うくらいのペースだった。

 左右を草原に挟まれた、石畳に覆われた街道を、一台の荷馬車が走っていた。馬は年老いたやせ馬で、荷車は古びた小さなものだ。そのこぢんまりとした御者台には、二人の男が座っている。方や栗毛を肩まで伸ばした痩せた男であり、もう片方は大西だった。

 

「どうだい、お味の方は」


 栗毛の若い男が、大西に少し掠れた声で聞いた。大西は、神妙な顔で黒褐色の小さなパンにかじりついていた。そのパンは焼けてから一週間たったフランスパンみたいに堅く、そして酸っぱかった。難儀してそれをかみちぎり、左手で持っていた陶器製のビンの中身を口に流し込む。

 ビンの中身は粗悪な麦酒(エール)だ。濁った薄い酒精で、固いパンを無理やりふやけさせて咀嚼する。

 

「美味しいですよ」


 ごくんと飲み下し、涼しい顔で答える大西。あの樹海を脱した彼は、街道になんとかたどりついたものの、食料も水も完全に尽きてにっちもさっちもいかなくなり、一夜を明かした。そしてその朝、この行商人の男に拾われたのだ。幸いヌイがそこそこのお金をもっていたため、それで食料を購入し、そして街まで馬車に同乗させてもらうことになったのだ。

 ちなみに、そのヌイと言えば馬車の荷台で寝ている。大西よりよほど長く森を彷徨っていたのだ。昨日一日休んだからと言って、全快とはいかない。一方体力に余裕のある大西は、こうして御者台で生まれて初めての馬車旅に興じていた。

 

「そりゃあ、よかった。……おっと」


 行商人……ダエグのはにやりと笑ったが、車輪が地面の小石でも踏んづけたのか車体がぽんと軽く飛び上がった。したたかに尻を木製のシートに打ち付ける二人。

 

「ふぎゃっ!」


 幌のかかった荷台から何やら悲鳴が聞こえてきたが、馬車慣れしているダエグは顔色一つ変えず、笑みを深めた。

 

「すまないね、馬車はいっつもこんなもんさ。徒歩の方が楽って人も多いくらいだ」


「そうですね。僕もそう思います。景色もゆっくり楽しめますしね」


 さきほどの跳躍からなんとか守りきったエールで口を湿らせてから、大西が言う。その目は周囲に向けられていた。

 地平線の向こうまで続く、背の高い草が茂った草原。遠くでは、羊の群れを率いた羊飼いの姿も見える。空は馬鹿みたいに高く、蒼い。綿菓子みたいな雲が、いくつか呑気そうに浮かんでいた。晩春とも初夏とも思える風はどこまでもさわやかだった。

 

「でも、たまには新鮮でいいですね。前に旅をしたときは、ずっと徒歩でしたから」


「なんだ、旅は初めてじゃないのか」


 驚いたようにダエグが聞く。この不思議な異邦人は、目立つ服、このあたりではまず見ない人種であるにもかかわらず、人ごみに紛れればどこにいるのかわからなくなりそうなほど没個性な雰囲気を放っていた。とても、旅などと言う冒険に身を投じるタイプには見えない。

 

「ええ。二度目です。何十足も靴を履きつぶすくらい歩きましたけど、ええ、まだ飽きるようなことはないですね」


「へえ、意外だなあ」


 ダエグは大西がまれびとであることはしらない。だが、服装やあまりにも少ない荷物などから、わけありであることは感づいてるだろう。それでも彼は根掘り葉掘り聞くような真似はせず、静かに頷く。

 

「旅をするには、良い季節さ。暑くも寒くもないし、雨も少ない。楽しんでくれ」


「ええ、そうします。ありがとうございます」


 にこりと笑って、パンを齧る。はやり、とんでもなく硬い。苦心しながら噛み千切る。エールが無ければ、とても食べられるものではない。

 エールといっても、アルコールはかなり薄く、酔ったりすることはないだろう。無論大西とて好き好んで昼間っから飲酒しているわけではなく、これ以外の飲み物が無いのである。水はすぐ腐るため、旅には向かない。その代りに、腐らない安い酒を持ち歩くのが、この世界の旅人の常識のようだ。

 半分ほどになったエールのボトルを股に挟み、豚肉の燻製を手元の袋から取り出して口にまるごと放り込んだ。干し肉と大差ないくらいに乾燥し、スモークの臭いがかなりキツイ。それでも、しばらく噛み続けていると口内にジワリとうまみが広がってくる。これにエールを続けて飲むと、案外に美味しかった。

 

「良い食いっぷりだなあ。今向かっている王都には、もっと旨いものがいっぱいあるぜ。ちょっと抑えて、腹を空かせておいた方がいいと思うが」


「そうですか? なにか名物とか、あるんでしょうか」


 食べるのをやめ、タエグの方を見る。このちょっと軽薄そうにも見える優男は、右手で手綱を握ったまま無精ひげの生えた顎を左手でゆっくりと撫でた。

 

「特別有名なものはないけどな。この辺りで一番人口の多い街だから、いろいろ運ばれてくるのさ。南からは海の魚介だろ、西の平原の牛だろ……酒の種類も多いね。なんといっても需要が他とはチガウ」


「ははぁ、そう言うワケで。そりゃあ楽しみですね」


 王都と言うからには、首都なのだろう。どの程度のレベルかはわからないが、比較的都会のはずだ。大西は目を細める。

 

「王都って、どういう場所なのでしょう? いえね、だいぶ遠い場所から大急ぎで移ってきたもんで、このあたりのことは全く存じ上げなくて」


「ほおん、なるほどな」


 髭を撫でる手を止め、ダエグが呟いた。そして一瞬視線を中空に彷徨わせ、続ける。

 

「王都は、我らがエスタル王国の首都だ。正式な名称は、ロナと言う。帝国の首都である帝都バーミントン程じゃないが、大陸でも指折りの大都市さ。人口も結構多い。万単位さ」


「ほう、それは楽しみですね」


 指折りの大都市の人口が万単位程度なら、この世界の人口はそう多くないのかもしれない。やはり、文明レベルは古代か中世程度だと考えるのが順当だろう。

 そんな場所で、この格好は不味かろう。大西はそう考えながら、自分の服を見た。鮮やかな青いジャケットは、ダエグの纏った革の上着に比べるとあまりにも派手であり、長々と着続けたいものではない。街に着いたら、さっさとそれ相応の服を調達するべきだろう。

 

「ああ、いろいろと観光名所もある。中には入れないが、王城は大陸イチの荘厳さだって評判だし、大鐘堂も聖地ダキアの物とそん色ない、立派なもんだぜ。俺ぁ信心は薄い方だが、それでもあの飛んでもなお大きさのステンドグラスを初めて見たときは、心が洗われるような心地だった」


「大鐘堂ですか。一度は行ってみたいものですね。どのあたりにあるのでしょう」


 ダエグの話し方から見て、大鐘堂とやらは宗教施設のようだ。教会のようなものだろうと、大西は予想を立てた。

 

「簡単さ。細い尖塔を大量におったててるのが王城で、太いでかい尖塔が一本だけあるのが大鐘堂よ。鐘堂教会ご自慢の尖塔さ、街のどこでだって、いやでも目に入るよ」


「そんなに」


 目を丸くする大西。そこまで目立つようなランドマークは、地球の街でもなかなかないだろう。スカイツリーめいたアトモスフィアを感じずにはいられなかった。どこの世界の人間も、高い塔を建てたがるものなのだろうか。

 

「そうさ、しばらくしたら見えてくるだろう。楽しみにしておくといい」


「ええ、もちろん」


 話に花を咲かせながら、馬車は進んでいく。それは、随分とのどかな行程だった。

 それから、しばしの時間がたった。中天でさんさんと輝いていた太陽は西の空へと高度を落とし、真っ青だった空を茜色に染めている。鮮やかな紅色になった雲が、とても美しい。

 

「この列に並ぶのは久しぶりですが、ここまで待たされるとは……」


 辟易した表情で、ヌイが険しい目つきを遠くに向けた。その先には大地を分断するかのように屹立する高い石造りの城壁と、その門へと続く人の列があった。ここは王都ロナ、その直前である。

 どうやら商人は別の門へと通されるらしく、ダエグとは直前で別れていた。ヌイが言うには、ここは旅人用の門らしい。その門に入るための待機列は思いのほか長く、既に二人は一時間以上待たされていた。

 

「待ってるだけなら大して苦痛でもなし、別にいいのでは」


 気のない表情で、大西は周囲に目を向ける。そこには、無数のテントやバラックが立ち並んでいた。街の中に入れない貧民たちが、ここを住居として暮らしているらしい。

 王国と言うなら当然王政であり、そして厳格な身分制度などもあるだろう。城壁の向こうには、なるほどダエグの言うと売りなかなか立派な塔が屹立している。貧相な周囲の建物との格差を感じずにはいられなかった。

 

「それより雰囲気からして、冒険者は別の門から入るのでは?」


「ええ、まあ……」


 フードによって隠された顔の口元を少しだけ苦笑の形に歪めながら、ヌイが背負った弓の位置を直した。

 

「とはいえ、あなたを一人にしておくわけにもいきませんよ。税も払わなければならないし、ボロを出して衛兵に連れて行かれるかもしれないし」


「申し訳ない。世話ばかりかけてしまう」


 頬を掻く大西。

 

「ああ、そう。そういえば、これを渡しておきます。大した額ではないので、大切に使ってください」


 ふと何かを思い出したようヌイが首を振り、腰につけたポーチから小さな袋を出して、大西に渡してきた。受け取ってみると、見た目の割にかなり重い。中には、硬質な小さい物体がいくつも入っているようだ。おそらく、貨幣の類だろう。

 

「いや、こういうのは……」


「気にしないでください。どうしても気になるなら、稼げるようになってから返してください。私にあんなことを言っておいて、街中で野垂れ死にデモされた日には、どういう顔をすればいいのかわからないので」


「笑えばいいのでは?」


「笑えますか!」


 ぷうと頬を膨らませるヌイ。大西としても、実際大変にありがたい申し出なので、ここは変に遠慮はせずにジャケットの内ポケットへしまっておいた。お金を稼ぐにしても、種銭があるのとないのとでは大違いだ。

 

「それで、街に入った後、オオニシはどうするつもりなのですか? 本当に大した額ではないので、宿暮らしなんか、できませんよ」


「ううん……」


 悩むようなそぶりで唸る大西。とはいえ、それは演技だった。実際は、大して深く考えてなどいなかった。

 

「必要ならば、私の部屋に泊めるのもやぶさかではないですが」


「いや、そこまで世話になるわけにもね。なに、大丈夫、なんとかできると思う」


「そうですか?」

 

 首をかしげるヌイ。ただの旅人ならともかく、大西は異世界人である。常識などの問題もあるし、恩義もある。あまり一人にしたくないというのが、ヌイの考えだった。

 

「慣れてるよ、こういうのは」


「まあ、そこまで言うなら……」


 あまり無理強いするわけにもいかないので、ヌイは渋い顔で頷く。対する大西は、涼しい表情だ。

 

「では、まあ、住居の問題はさておき、二日……いえ、三日ほどしたら、中央広場の聖アームストロング像の前に来てください。少し、用事があるので。……もう一度確認しますが、冒険者になるつもりで間違いはないのですね」


「もちろん」


 首を縦に振る大西。

 

「でも、なりたいでなれるようなものなの、冒険者って」


「はい。年中人手不足なので……冒険者ギルドに登録すれば、だれでも。この街なら、西大路にある大きな建物ですね。そこで登録や依頼のあっせんなんかをしてもらうことができます」


「なるほどぉ……」


 随分とアバウトな組織らしい。やってることはほとんどハローワークみたいなものではないかと、大西はいぶかしんだ。

 

「とりあえず、三日後に中央広場のアームストロング像ね。わかった」


 大西がそう頷いて、ポケットから手帳を取り出す。そこに言われたことをメモしたところで、とうとう最前列にたどりついた。巨大な木製の観音開きの扉が仰々しい、城壁の門が嫌でも目に入る。鎖帷子にシンプルな鉄兜を被り、取り回しのよさそうなショートソードを腰に佩いた衛兵が、何人も警備に当たっていた。

 

「はいはい、さっさと手続きを済ませるぞ。……なんだ、お前。妙な格好してるな」


 衛兵の一人がそう言って声をかけていたが、大西の服装を見て眉を顰める。大西はどうごまかそうかと一瞬悩んだが、彼が口を開くより早くヌイがずいっと前に出た。

 

「遭難していた、大道芸人の方です。私が保護して、連れてきました」


 そういって胸元から細いチェーンに繋がれた金属製のタグをだして見せ、そしてそれと同時にタグを持っているのとは逆の方の手で何かを衛兵に手渡す。

 

「ふうん、大道芸人ねえ」


 衛兵はにやりと笑って手の中のモノに目をやり、そして顎をしゃくった。

 

「いいだろう、入れ。中で通行税はちゃんと払ってくれよ……」


 これでいいらしい。なるほど、シンプルで効果的なやり方だ。大西がヌイの方をみて、小さく頭を下げる。ヌイは応えずに、フードの下で耳をピクリと動かした後、門の方を歩き始めた。

 城壁の中では、さらに何人かの衛兵がいた。そこで街に入るための手続きと、通行税の支払いを行う。通行税と言っても、大した額ではないし、この街の住人や冒険者は免除されるらしい。ヌイも払わなかった。数分で手続きを終え、街の中へ入ることができた。

 

「ほう」


 街の情景をみた大西が、小さく声を上げた。平屋や二階建ての民家や店が、どこまでも広がっていた。遠くには、いくつもの尖塔が見える。いったいどれほどの面積なのか、ここからでは想像もできないほど広かった。

 建物は大半が赤いレンガ造りで、シンプルだが丈夫そうな造りだ。そんな家々が軒を連ねる大通りは凄まじく広く、無数の人でごった返している。自動車など、一台も走っていない。たとえヨーロッパへ行っても、ここまで徹底して"古い"情景の都市はそうそう残っていないだろう。

 

「その、私は家に戻りますが……」


 関心している大西に、ヌイが申し訳なさそうに声をかける。彼はそれに頷いて見せ、目を街に戻した。

 

「僕はもうちょっとこの辺をうろうろさせてもらおう。それじゃあ、さようなら」


「え、ええ。それでは、また会いましょう」


 そういって、ヌイは人ごみの中に消えていった。弓を背負ったローブの女という、日本に居ればイレギュラー極まりない存在。だが、それもこの街では自然に溶け込んでいた。なにせ、剣や槍で武装した者たちが、結構な数歩いている。それ以外の一般人も、革やフェルト、麻などで作られたシンプルな服を身にまとい、現代的なTシャツやらジャケットを着ている人間など居なかった。異物は、大西の方だった。

 

「また会おう、ね」


 新鮮な響きだと、大西は頭の中で続けるのだった。

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