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第二章九話

 夜の気配と共に、大西は目を覚ました。空を見上げると、既に群青に染まっている。結跏趺坐と呼ばれる胡坐に似た座り方をしていた彼は、ゆっくりと姿勢を解いて立ち上がる。

 

「ふう」


 息を吐いて、そして深く吸った。新鮮な空気を全身に染み渡らせる。

 

「うーん」


 続いて体を伸ばし、ストレッチ。全身をよくほぐし、そこから流れるような動作でウォーミングアップに移る。軽く走ったり、シャドーボクシングめいた動きをすることで、全身の筋肉を温めていく。

 

「ようし」


 戦う準備はこれで完了だ。今夜は、三日目。今回こそ、彼は勝負を決める気でいた。ここ二日ほど、オルトリーヴァの狩ってきた獣の生肉と水しか口にしていない。常人ならば腹を壊していてもおかしくないような食生活だが、大西の肉体は絶好調だった。長い旅の間に、多少の不衛生や不養生では堪えない強靭さを彼は獲得しているのだ。

 そうこうしているうちに、空から龍が舞い降りる。夜闇よりなお昏い漆黒の鱗を持つその巨大な化物は、閃光と共に長身の女性の姿へと転じた。

 

「コンバンハ」


「はい、こんばんは」


 自分から挨拶をするその態度は、これから熾烈な戦いが行われるとは思えないフレンドリーなものだ。彼女はひどく上機嫌に、穏やかな笑みを浮かべて立っている大西の足の先から頭までじいっと見る。

 

「どうしたの?」


「いや、大したことではない。ヒトの身体に興味があっただけだ」


 はにかみながらそう答え、オルトリーヴァは自らの身体に目を移す。しなやかで筋肉質な、肉食獣めいた肉体。身長が高いこともあって、胸の若干のふくらみを除けば女性らしい柔らかさは少ない。

 

「もう少しヒトの身体に慣れたら、オルトリーヴァもオオニシと同じように動けるだろうか」


「どうだろう? 僕の動きが、あなたに最適だとは限らないし」


「かもしれない。オルトリーヴァはドラゴンで、オオニシはヒトだからな」


 どこか誇らしげに、オルトリーヴァは言う。彼女の頬は若干紅潮していた。

 

「今日、オルトリーヴァはオオニシに勝つ。勝負を決める。もっと戦っていたいが……」


 一瞬、彼女は目を逸らした。だがすぐに大西へ視線を戻し、凄惨な笑みを浮かべた。

 

「だけど、戦い続けたい気持ちより、勝ちたい気持ちの方が強い。オマエに、オオニシに、オルトリーヴァは勝ちたい」


「なるほど」


 その言葉と共に腕を構えたオルトリーヴァに、大西が頷く。彼女の構えは、初めて戦った時よりもずいぶんと隙のないものへと変わっていた。大西との戦いで成長したのだ。

 やはり、彼女は強敵だ。ドラゴン特有の圧倒的な身体スペックに驕ることなく、どうすれば勝てるかをしっかり考えている。

 

「さて」


 自らも構えながら、大西は考える。もしかしたら、負けるかもしれない。彼女が大西の弱点に気付いているのなら、ハッキリ言って勝ち目はない。しかし、そうでないなら圧勝する自信があった。


「やろうか」


 なんにせよ、逃走は不可能だ。機動力は翼をもつあちらの方が圧倒的に上である。ならば今できることは、真正面から戦うことだけだ。

 オルトリーヴァが地面を蹴る。瞬間移動めいた高速移動、突き出される拳。しかし目にもとまらぬその攻撃を、大西は容易くキャッチした。正面から受け止めれば防御の上からでも自らの肉体を粉砕しうるそれを、ベクトルを逃がすことで見事に受け止め、回転エネルギーへと転換する。

 

「ぐっ」


 空中にふっとばされた彼女はしかし、容易に体勢を整え悠々と着地した。その顔面にガンマンの抜き撃ちめいて放たれたストレート・パンチが突き刺さる。

 これまでの戦いでもよくあった展開だ。人外の耐久力を持つオルトリーヴァは一撃貰ったくらいでは小揺るぎもしなかった。これまでは、だ。

 

「なっ……」


 視界が揺れる。四肢に力が入らない。これまでにない感覚に、彼女は困惑する。打撃が頭蓋骨で減衰せず、脳を直接揺らすような奇怪な攻撃だった。

 それでも、彼女は第二撃を防ぐべく反撃しようとする。一瞬力が抜けていた拳を握り直し、身体の前に突きだそうとする。だが腕に力が入るより早く、大西の左手がそれを弾き飛ばした。それと前後するように二度目のストレートが腹に突き刺さる。

 

「がっ、あッ」


 昨日のゼロインチ・パンチと同様の、内臓に響く拳打だった。鉄臭い息が肺から絞り出される。恐ろしく重い連撃に揺れる彼女の目に、大西の左手にぐっと力がこもるのが見えた。これ以上攻撃を貰うのは非常にまずい。ガードすべく右手を顔の前まで上げたが、その防御をすり抜けるようにして三発目のストレートが彼女の喉元に炸裂した。

 

「ッ!?」


 悲鳴すら上げることができないまま、オルトリーヴァが一歩後退した。信じられない物を見るような目で大西を見る。彼はいつもと同じ表情で、普段と変わらぬ雰囲気を帯びていた。昨日と、いや、出会った時と全く変わらぬ様子だ。

 だが違う。明らかに違う。防御も、反撃もままならない。攻撃を防いだり止めようとしても、それより早く彼の単純極まりないストレート・パンチがオルトリーヴァにクリーンヒットするのだ。右ストレート、左ストレート、また左ストレート……。技巧も何もない、作業のような攻撃の連打。しかし彼女はそれに対し、何ら有効な手立てを打てなかった。回避しようにも、なぜか大西はするりとその動きに追従して避けた先に拳を打ち込むのだ。

 

「う、う、ああっ!」


 手も足も出ないとは、このことだった。どんな抵抗をしようとも、彼はそれより早く自分の攻撃を当てて抵抗そのものを許さない。ほとんど何もできないまま、彼女は十発目のストレートを食らった。まるでサンドバックでも殴っているような、一方的な戦いだった。

 

(速い……ちがう、速いんじゃなくて早いんだ)


 彼の動きは、決して特別俊敏なものではない。間違いなくオルトリーヴァの方が素早く動くことができる。早いのは、動きではなく判断だ。大西は、オルトリーヴァが何かアクションするより早く、その動きへの対応を終えている。未来を予知しているとしか思えない動きだった。

 反撃しようとすれば、その前に攻撃が潰される。ガードをしようとすれば防いでいない位置を打たれるか、あるいはそもそもガード自体が間に合わない。回避をすれば、避けた先に攻撃を打つ。まるで詰将棋のような戦いぶりだ。

 

「う……」


 十一発目のストレート・パンチを鳩尾に受け、オルトリーヴァはとうとう膝をついた。起き上がろうとしたが、バランスを崩してそのまま倒れ込む。転がったまま、湿っぽい咳を何度かして、真っ赤な血を吐く。

 

「戦いにおいて真に重要なのは、優れた技巧でも優れた身体能力でもない。優れたストレート・パンチだ。単純な攻撃を単純に当てられる者こそが、本当の強者である」


そんなことを言う大西の声は 戦いの最中だとは思えないほど穏やかなものだった。


「僕の師父の言葉だ。昨日、いろいろ聞かれたけど……こういうことしか答えられないみたいだ。ごめん」


 昨夜、ゼロインチ・パンチを披露した後オルトリーヴァは戦うことも放棄してしばらく大西と拳法談義をしていた。彼女はどうやら、戦うための技術に強い興味を持ったらしい。身体性能では圧倒的なはずの自分がこうも苦戦しているのは、その技術あっての物だと。

 結局そんなことを聞いたりしているうちに戦闘再開は一時間ほどずれ込み、彼女は昼になった後両親から左右ステレオで説教を食らう羽目になった。

 とにかく、彼は昨日の彼女の質問攻めになんとか答えようと、記憶の奥底から師匠の言葉をひっぱり出してきたらしい。

 

「ぐ、う……」

 

 しかし血まみれで地面に転がるオルトリーヴァに、そんな言葉に耳を傾ける余裕はなかった。彼女の頭の中にあるのは、昨日までと今日の戦いが、どうしてここまで違うのかということだけだ。少なくとも、昨日までは互角にやり合うことが出来ていたのだ。こんな一方的な戦いになるような気配など、微塵もなかったはずだ。

 

「なにを」


「うん?」


「なにをやったんだ、オオニシ……」


 なんとか首を上げ、問う。ひどく憔悴したような顔色だったが、なぜか妙にうれしそうな表情を浮かべていた。

 

「何をと言うと?」


「昨日は、こんなこと出来なかったじゃないか」


「ああ」


 合点が言ったようで、彼は気楽に頷いた。

 

「筋肉を避けて内臓に打撃を徹せば、ダメージが入るのは昨日確認できてたから。あとは、それをどう当てるかなんだけど……」


 大西は、オルトリーヴァから目を離すことなく続けた。

 

「三日目ともなってくると、筋肉の動きが見えてくるんだ。人間がいくら器用だと言っても、関節の可動域が決まっている以上、動きのレパートリーは有限だから」


 そこでいったん言葉を区切り、少し考える。彼なりに、言葉を選んでいるようだった。


「あとは癖やら何やらを加味すれば、相手の動作が始まる前にこれからどう動くかを予想が出来る。どう動くかわかれば、後は完封するだけ。そういう感じ」


 正直な話、オルトリーヴァにはまったく理解できない話だった。それでも、何か凄まじいことを言っているということはわかる。そんなことが、普通の人間に出来るはずがないのだ。

 

「そうか。……そうか」


 だからこそ、オルトリーヴァは笑った。ズタボロの姿に似合わない、朗らかな満面の笑み。

 

「すごいな、オオニシは本当にすごい。だから━━オルトリーヴァはオオニシを自分のモノにしたい」


 その言葉と同時に、彼女は光に包まれた。満身創痍の長身女性が消え、代わりに現れたのは巨大な漆黒の龍。

 

『ヒトのカタチのオルトリーヴァはオオニシに敵わないのはわかった。じゃあ、こちらはどうだ?』


 そういいながら、彼女はドラゴンの恐ろしげな顔をにんまりと歪ませた。

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