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第二章八話

 夜。いつ見ても欠けていることのない真っ赤な月が、その禍々しい光で山々の稜線を不気味に照らし出している。

 

「ふっ」


 飛燕すら遅く見えるような速度で、オルトリーヴァの拳が突き出される。強烈なストレート。大西はそれに対し、回避も防御もしなかった。代わりに行ったのは、パンチ。こちらも全力のストレートで対抗する。

 お互いの拳が頬を抉り合うクロスカウンター、そうなるはずだった。しかし現実は違う。大西の拳と肘が彼女の腕の機動を逸らし、自らの拳の身をオルトリーヴァの顔面へと叩きつけることに成功したのだ。僅かワン・アクションで行われる、攻防一体の見事な一撃だった。

 

「ぐっ」


 ただのニンゲン相手ならば十分決定打になる一撃だ、しかし流石はドラゴン。唇の端から若干の血を流しながらも、その表情は苦しむどころか楽しそうなものだった。

 

筋力増強(ブースト)の精度を上げたな、昨日より痛い」


「うん。でもまだ足りない?」


 対する大西も、戦闘時とは思えないほどの穏やかな表情だ。とはいえ、戦闘は決して練習めいた穏やかなものではない。反撃として繰り出されたオルトリーヴァの強烈なフックを受け止めた大西は、その勢いを殺すことなく体をひねり彼女の身体を巻き込む。投げ技だ。

 

「おおっ!」


 後頭部から地面にたたきつけられ、歓声を上げるオルトリーヴァ。サッカーボールでも蹴るようなフォームのキックが追撃として放たれたが、彼女は身体をばねのようにして即座に立ち上がり、それを回避する。

 

「確かに足りない。でも丁度いい。力と技が拮抗してる」


「拮抗してた方がいい?」


「拮抗してた方が楽しい。でも」


「でも?」


 聞き返す大西にオルトリーヴァは表情を緩め、ぞっとするほど艶やかな笑みを浮かべた。

 

「蹂躙されるのも、それはそれで楽しいかもしれない。オオニシなら」


「もうちょっと待って。今日はまだ無理」


 並みの男ならば手を止めて見惚れるような笑顔だった。しかし相手はマイペースにもほどがある大西である。彼はのんびりとした表情のまま、そんなことをのたまった。

 

「なに? 隠し玉でもあるのか? 早く出せ」


「いいえ。隠し玉ではない。僕は短期決戦型だけど、超長期戦はもっと得意なだけの話」


「わけがわらからないぞ」


 攻撃の手を休めることなくオルトリーヴァが聞く。素早くも重い二連続のジャブを払いのけてから大西は答えた。

 

「動きが見えてくる。見えれば対応ができる」


「慣れと言う事か。オルトリーヴァになれると」


「はい」


 通常の戦いならば、挑発と取られてもおかしくないような不遜な発言だった。しかしこれが、ブラフや強がりの類ではないことも、オルトリーヴァはまた理解していた。これまで見てきた大西の技術には、その言葉が本当であると信じてもいいと思える凄味がある。


「そうか、そうか! 楽しみだな、早くしてくれ」


「楽しみなの?」


 言葉と同時に放たれた拳を腹で受け止め、オルトリーヴァは笑みを深くした。肉と肉がぶつかり合っているとは思えないような重い音が周囲に響いたが、その効果はせいぜい彼女の口から暑い吐息が少しだけ漏れた程度だ。

 

「オルトリーヴァはどうやられるのだろうかとか、どうやってやり返そうかとか、そういうことを考えているとドキドキする」


「なるほど」


 正直なところ、大西にはいまいちよくわからない感覚だった。彼は戦闘で高揚するタチではないのだ。しかし、理解できないならできないなりに『そういうものなのだろう』と雑に納得してしまうのも、彼の処世術だった。神妙な顔で頷いて見せる。

 話をしながらも、戦いは止まってはいない。アッパーカットが大西の顔すれすれを通過していく。彼は目を閉じることもせずじっとオルトリーヴァを見つめたまま、全力のパンチで体勢が少しだけ崩れ、がら空きになったボディへとストレート・パンチを打ち込むべく拳を握り、腕を大きく後方へと下げた。

 

「そう何度もは喰らわないぞ……!」


 毎度似たような手でいいパンチを食らっているオルトリーヴァは、にんまりと笑って一歩出た。距離を詰めてやれば十分な予備動作が取れず、大西は後退する他ない。そのはずだ。

 

「ふっ……」


 しかしこれは、大西のフェイントだった。彼は引くどころか、自らも前へ出る。同時に構えていたはずの腕を滑らかに、力を込めることなく前へと出して拳をオルトリーヴァの腹へと当てる。まるで拳銃の銃口を押し当てるように、だ。

 

「ぐうううっ!」


 ゼロインチ・パンチ。拳をほとんど動かさずに破滅的な威力の打撃を行う、中国武術の技の一つだ。足の先端から拳まで全身を使って放たれたそのパンチは、強固な腹筋に守られているはずの彼女の内臓をハンマーで殴ったかのように揺らした。

 

「う、ううっ」


 喉の奥から湧き出してくる鉄臭さに、おもわずオルトリーヴァはえづく。そのまま、一歩二歩と後退し、血の混じった唾を吐いた。無論この隙を逃す大西ではない。二撃目をお見舞いすべく、一瞬で距離を詰めた。

 

「まて、少し待て」


 それを、オルトリーヴァの言葉が止めた。彼女は咳き込みながら唾を何度か吐き出し、急制動を行ったせいでつんのめった大西に、笑顔を向ける。その頬は、売れたリンゴのように真っ赤だった。もちろん殴られて腫れているのではない、興奮によるものだ。


「とっても痛いのに、何が起こったのかわからなかった! すごい! もう一回やって、お願い」


 そのまま、彼女は両手を上げて見せた。無防備な腹が露わになる。


「同じ打撃を打てと」


「そうだ。今のだ。今度はしっかり見るから」


 絶好の攻撃チャンスだ。このパンチに十分な効果があるのだし、抵抗なしに一発喰らわせることができるのは悪くないだろう。しかし大西は、ゆっくりと首を左右に振った。


「至近距離で見てもなかなか理解はできない。離れてみたほうがわかる」


 さっきの一撃はいわゆる奥の手、必殺技というやつだ。ダメージが大きいとはいえ一撃でKOできるわけでなし、何度も見せて対策されても困る。効果があるとわかっただけでも十分な収穫だろう。

 

「戦いが終わったら、何度でも見せる。それまで待ってほしい」


「本当か? 教えてくれるのか?」


「人に教えるのはとても苦手だ。覚えるなら見て覚えてほしい。助言はできない」


「うん、うん。わかった、ありがとう」


 にこにこと笑いながら、オルトリーヴァは何度も頷き腕を下げた。陽子の割に、幼い態度と言動だった。スフレとは逆の意味で、実年齢と外見が釣り合っていないタイプなのかもしれない。


「僕の負けを認めてくれるのなら、今すぐでもいい」


「ダメだ。オルトリーヴァはまだオオニシに狩ってないし、負けてもいない。勝負はついてない。大切なギシキだ、中途半端には終わらせられない」


「わかった」


 昨日から何度かこの手の提案はしていたのだが、彼女の返答はいつもこうだった。大西としては、勝とうが負けようが無事に帰ることができるのならばそれでいいのだ。しかしなかなかそう都合よくはいかない。いくら優勢に戦いを進められているとはいえ、一歩間違えれば肉体が爆発四散しかねない威力の拳打が頻繁に飛んでくるのだから、彼としてはできればリスクは最小限に抑えたいのだが。

 

「オオニシは戦うのは嫌か」


「いいえ、嫌ではない。ただ、同行者とはぐれている。時間がかかりすぎて置いて行かれると少しさみしい」


「むっ」


 同行者という言葉に、オルトリーヴァはぴくりと反応した。眉が跳ね上がる。

 

「オルトリーヴァが居る。寂しくは無い」


「よくわからない。どういう意味?」


「オルトリーヴァはオオニシと戦っていると楽しい。勝負がついても、ここでずっと戦っていればいい。餌も水も面倒を見てやる」


 さきほどまでの笑顔から一片、彼女は頬を膨らませて不満を表明する。かわいらしい動作だが、口の周りに吐血の後があるのでなかなかシュールだ。

 

「将来は不労所得で旅をしたり遊んだりしながら面白おかしく暮らす予定なのでそれはちょっと」


「なに、駄目なのか」


「旅をしてないと発作的に死んでしまう可能性が高いので」


 泳いでいなければ死んでしまうと言うマグロのようなことを言いだす大西。

 

「死んだら困る。駄目か……」


「ごめん。僕はそう言う生き物なので」


「無理は言わない。ドラゴンに空を飛ぶなと言っても、それが無理な話なのはオルトリーヴァだってわかる。そういう話だろう」


「はい」


 これが普通の相手ならば、何をバカなことをと一笑されてしまうような言葉だった、オルトリーヴァは人間と話すのは初めてで、なおかつ素直な性格だった。物わかりが非常にいい。

 しかし、本来ならば戦わなくてはいけないと言うのに、オルトリーヴァはすっかりお喋りに夢中になってしまい、それがおろそかになっていた。そんな愛娘の姿を、苦々しく見ている龍が居た。彼女の父親である。

 

『不味いことになった』


 山稜に止まった、オルトリーヴァとは比べ物にならないほど大きな龍、ウルフィントが苦み走った声で言う。いや、実際は声ではない。あのテレパシーめいた能力を使っているのだ。

 

『龍が成人の儀で人間相手に惚れるのは、ままあることだ。貴様もそれは良く知っているだろう、我が夫よ』


 そう返したのはウルフィントの隣で翼を休めるオヴニルである。こちらは旦那と違い、あくまであくまで涼しい顔だ。ドラゴン形態の為表情はいまいち人間には理解できないが、そういう雰囲気を出している。

 

『龍は自らと伯仲した実力の者に惹かれる。幼龍は弱いから、人間に惚れることもある。そうだな?』


『だから弱い相手を連れてきてほしいと頼んだのに』


『魔力の大小以外でヒトの実力を測れと言うのは無理がある。吾、悪くない』


 もとはと言えば、魔力的には常識の範囲内だと言うのにめったにないような戦闘技術を身に着けているあのヒトの男が悪いのだ。それがオヴニルの主張だった。

 

『儀式が終わったらあれを殺す。教育上よろしくない』


『やめろ。どうなろうがどうせヒト相手なぞ長持ちしない。火遊びは若者の特権だ、好きにさせろ』


『駄目だ。オヴニルは奔放すぎる。私は……』


『待て、それは聞き捨てならん。貴様は吾をどう思っているのだ』


 ギロリと凄まじい目つきでオヴニルが睨みつけた。一瞬ウルフィントは怯んで体をびくりとさせたが、すぐに言い返した。


『約束を破っても反省が無いのは奔放すぎると言われても仕方がない!』


『まだ根に持っていたのか! オルトリーヴァが生まれてどれだけ立っていると思っているのだ! 確かに今度は母親役を譲ると約束はしていたが……勝負に負けたウルフィントが悪い!』


 ウルフィントが吼えた。オヴニルも負けじと威嚇めいた咆哮を上げる。大西たちの戦いがひと段落した一方、こちらでは夫婦喧嘩の火の手が上がり始めたようだった。

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