第二章七話
大西がオルトリーヴァと交流を深めていた頃、スフレたちは当初の予定通りキャンプを張っていた。台形になった山頂の、ちょうど平らになっている部分だ。
「……」
ヌイは無言で、遠くの空を睨んでいる。落ち着きとは無縁の様子で身体を頻繁に動かし、時折すぐ近くに座っているスフレを窺っていた。そのスフレといえば、いつものマスクを外した状態で厳しい表情をしている。手にはいくつか、大ぶりな宝石のような物を握っていた。武器の長杖は膝の上だ。
「悪いね、気になるかい」
「そんなことは」
彼女の言葉にいったんは首を左右に振った。しかしすぐに、その言葉を自ら否定した。
「いいえ、嘘ですが」
「まあ気にするなって方が無理だよな」
慣れた様子で苦笑するスフレ。実際、いきなり切りかかられたりしないだけマシなのだ。ダークエルフは人間たちには嫌われているし、それはたんなる差別や偏見ではなくほかのダークエルフたちの行動の結果こういった評価になっているのがなおタチが悪い。そもそも妖魔とは、先天的に人類の敵なのだ。その点では、むしろスフレの方が変わり者だといえる
「ただ、ボクは誓ってきみたちの敵じゃあないよ。裏もない」
「それは私も信じています。何か邪なことを考えている割には、あなたは無防備すぎますから」
暇さえあれば年がら年中寝ているのが、このスフレという少女だ。害そうと考えている相手の背中ですやすや睡眠をとれるような肝の太い人間、いや妖魔はそうそう居ないだろう。居たとしても、対応は容易い。
「ならいいよ。ボク個人は、キミを味方だと思ってる。ヌイも僕のことを味方だと思ってくれるなら、協力は容易い。なんてったって目的は一緒だからね」
「オオニシの奪還ですか? しかし」
だったらこんな場所で待つより、脚を使って探した方が良いのではないか。喉まで出かかったその言葉を、ヌイは呑みこんだ。やみくもに探し回ったところで見つかる可能性は極めて低いし、体力を無駄に消耗したいだけだ。
探しに行きたいのは、合理的な判断などではなく動いていないと落ち着かないから。ただそれだけの話だ。
「前にも言った通り、ドラゴンの狙いはあくまで自分の子供と手ごろな人間を戦わせることだ。奴らは乱暴だが筋は通す生き物だからね、勝ちさえすれば解放してくれる」
解放された後、遭難して合流に失敗する位なら当初の目標地点であるここで待ち合わせした方がいいのさ。スフレは澄ました顔でそう言いきった。
「しかし、幼体とはいえドラゴンにそうそう勝てるものですか? 大西は確かに強い。最近は、どこぞで筋力増幅を習ってきたみたいですし、はっきり言って対人戦では私よりも強いでしょう」
しかし、それはあくまで対人戦の話だ。人のカタチからかけ離れた生物相手だと、途端に役に立たなくなる。徒手空拳では攻撃力が足りないし、急所の位置も変わってくる。なにより大西の一番得意とするトラッピングや投げ技の技術がまったく使い物にならなくなるのが問題だ。
細々とした依頼を受けている中で、ヌイは大西の戦闘能力があくまで人間相手にだけ発揮されていることに気付いていた。彼に、獣を相手にした経験がほとんどないのが原因だろう。それはそうだ。現代地球に、人間以外を相手にするための拳法など無いのだから。
「それでいい。人間相手に特化した戦闘術、それこそがドラゴンどもを相手にする際の特効薬になる」
「一部のドラゴンは人間に変身する……これも先日言っていたことでしたか」
「そうだ。今は落ち着いているけど、古い時代にはドラゴンは人間の一番の天敵だった。だからこそ、人類は対ドラゴン戦術を研ぎ澄ませた。ボクだってね、準備と十分な前衛の数があればドラゴン殺しだってできないわけじゃないんだ。人間の創った魔法を使えばさ」
勿論、それはあくまで戦力が充実していればの話だ。ヌイと自らしか居ない現状では、戦いを挑んだところでドラゴンのおやつにしかならないだろう。
「だからこそ、人間に変身して戦えばそれらの培ってきた戦術はまったく使い物にならなくなる。人間は、人間相手より妖魔と戦い続けてきたからね。常識はずれの身体スペックを維持したまま人間の器用さを得たあいつらは、とても厄介な相手さ。対龍魔法は、あくまで巨大生物を相手にするためのものだ。人間が相手では命中させるのが難しい」
「その進化が、オオニシには有利に働くと。わからない話でもありませんが」
それでも不安なものは仕方ない。人類と妖魔の戦いが小康状態になった現代において、ドラゴンスレイヤーなどおとぎ話のなかにしか出てこない存在だ。ドラゴンそのものが、その生息域を人類の文明圏の外へと移しており極めて珍しい存在になってしまった。
そんな人類とドラゴンが闘争していた時代の話を、身近な口調で語る彼女はいったい何者なのだろうか。もともとエルフは長命な種族だが、そんなエルフの中から生まれたダークエルフが見た目通りの年齢であるはずがない。相当の古老であるはずだ。
「実際のところ、オオニシの魔力量は一般的な冒険者よりも多いがあくまで常識の範囲内だ。ドラゴンから見れば取るに足らない相手でしかない。雑魚だと思って攫ってみたら、馬鹿みたいに強い……まったく、その時の親ドラゴンの顔が見てみたかったよ」
底意地の悪い声で、スフレがくつくつとくぐもった笑い声をあげる。落ち着いて見えるが、彼女も目の前で仲間を成すすべなく攫われたのは腹に据えかねる出来事だったらしい。
「ドラゴンとはいえ、所詮は子供。決して勝てない相手じゃあない。オオニシならね。そしてこのくだらない儀式に親が干渉するのは明白なルール違反だ。だからこそ、ボクはオオニシの勝利に賭ける」
「つまりは、ここで待つほかないと。それ以外の有効な方策がないわけですね」
「そうだ」
「ならば、仕方ありません」
むっすりとした様子でヌイは岩に深く座りなおす。スフレの話を一から十まで信じるわけではないが、ほかに選択肢が無いのだから仕方ない。
「いつものように、寝たらどうです? オオニシが来るのを待つだけならば、見張りは私だけで十分ですが」
言い方は突き放したようなものだが、その声音は決して冷たいものではない。実際、スフレは眠くて仕方がない様子だ。声こそしっかりしているものの、表情を見れば明白だ。既に目がトロンとしている。
「や、そう言うわけには。帰ってきたらすぐ謝りたいし」
油断が無かったといえば嘘になる。事前にそれなりの準備をしていれば、ブラック・ドラゴンの奇襲を受けた際にももう少しちゃんとした抵抗ができただろう。討伐は無理でも、撃退くらいはできたかもしれない。
彼女の手の中の宝石が擦れ合い、小さな音を立てる。ビー玉より少し大きい、丸くてオレンジ色のものだ。これは彼女が昨晩のうちに用意した、一種のマジック・アイテムだった。もちろん、またブラック・ドラゴンが現れた際の用心だ。どれほど役に立つのかは、彼女自身もわからなかったが。
「私も意地を張るのはやめます。あなたもやめなさい」
「……わかった、お言葉に甘えよう」
ぴしゃりとした言い方に、スフレは肩をすくめて立ち上がった。無理に寝るのを我慢して、朦朧とした頭で戦闘に入ればどんなポカをやらかすのかわかったものではない。またブラック・ドラゴンが現れる可能性は低いとはいえ零ではないし、間引きもまともにできていない未開の地域だから、ドラゴン以外の妖魔が現れるかもしれない。休めるときには休むべきなのだろう。
「ここは任せた。何かあったら起こしてほしい」
そういって彼女は小さなテントに入って行った。後に残されたスフレは、その若草のような色の瞳を虚空へと戻す。
「オオニシ……」
そう呟く彼女の声には焦燥と後悔、そして少しだけの寂しさが含まれていた・




