第二章二話
雲の上の村。その集落を一言で表現するなら、こうだろう。えっちらおっちら寂れた山道を歩くこと丸一日、やっとのことで大西たち一行は目的地の間近まで到達していた。。
「おぉ……いいなあ」
岩肌にへばりつくように建設されたその小さな村を目にして、大西が小さくつぶやいた。辺境だけあって、ずいぶんとひなびた村だ。まだかなりの距離が離れているが、簡素で小さな家がいくつか立っているのが見える。炊飯の物と思わしき細い白煙もいくつか立ち昇っていた。地図によれば、ここが王国でもっとも北にある集落だった。
「なかなか、難儀しましたね。久し振りの人里です」
そう言いながらヌイがそっと外套のフードを目深にかぶった。最近、仲間内だけの時はフードを外すようになった彼女だが、流石に不特定多数の目に触れる場合はこうして顔を隠すのはやめていない。
「疲れた?」
「ええ、すこし」
「そっか。宿はなさそうだけど、どうにか屋内で休ませてもらいたいところだね」
会話をしつつも、大西は村の方をじっと見ていた。そして何かをみつけ、右手を上げて手を振った。ゆったりと、だが大きな動作で。
「どうしたんです?」
「人がこっち見てた。たぶん、羊飼いの方かな、服装から見て。手を振りかえしてくれたから、友好的な感じだと思う」
「……私も視力には自信がありますが、貴方には勝てませんね」
見通しの良い砂漠育ちのヌイは、狩猟民族だということもあって目は非常に良い。しかし、それと比べてもなお勝るほど大西は視力が高かった。おもわず口をとがらせる彼女だったが、こればかりはどうこう言っても仕方のないことだ。
「目まで悪かったら流石に日常生活に支障が出るよ」
「いや、そこまで極端な言い方をしなくても」
どうも、大西は妙に極端なことを言ったりやったりすることが多い。冗談かと思っても、大概そうではないのだ。とはいえ、慣れてしまえばそれを愉快に感じる心の余裕も出てくる。思わず相好を崩して、こう続けた。
「とはいえ、その視力は大変に心強い。有難い限りです」
実際、先の依頼でも一番先に襲撃を察知したのは大西だ。冒険者稼業に置いては、こういった特技は何よりも大切なことだろう。どれほどの実力者でも、敵を見つけられずに奇襲を受ければ苦戦は避けられない。今回のような依頼においては、特にその傾向は顕著だ。
「見るのは一番の特技だからね」
そんな話をしつつ、三人はのんびりと山道を歩いていく。まだ村までの距離はそこそこあったが、楽しく会話をしていれば到着まではあっという間だった。
岩肌を強引に切り拓いて作った猫の額のような広さの大地に、レンガと石でできた粗末な家が十軒ばかり立ち並んでいる。
「さて、少し急ぎましょうか」
腹をさすりながら、ヌイが微笑を浮かべる。行軍速度を優先して、ここ何日も保存食ばかり食べていたのだ。村にたどり着けば久方ぶりの温かい食事が楽しめるだろう。
「どうぞどうぞ、お食べください
数十分後。大西たちは村長の家で歓待を受けていた。一行を出迎えた村人たちは大変な喜びようで、腹が空いていると言うと即座にこの場所に案内されたのだ。
村長の家と言っても大きさは他の家とは大差なく、王都の民家とは比べ物にならないほど狭く、質素だった。煙突もない場所で日常的に煮炊きをしているせいか、室内には煤とヤニの発する独特な香りが漂っている。
「ありがとうございます」
大西は村長に対し一礼し、テーブルに乗せられた素焼きのお椀を取ろうとしたが、それより早く隣に座ったスフレがちょいちょいと袖を引っ張って止めた。
「あっ……イタダキマス」
「よろしい」
その様子に、おもわずヌイと村長が苦笑する。ちなみに、そんなことを言うスフレといえば一人だけ料理が出されていなかった。公衆の面前でマスクを取るわけにもいかず、諸事情で人前で食事はとれないと事前に説明していたのだ。完全に怪人物のそれである。
改めて大西はお椀を手に取る。中に入っているのは穀物を羊の乳で煮込んだ粥のようだ。ただ、よく見る小麦や大麦の粥ではないようで、ずいぶんと黒っぽい。旅先でいろいろなものを食べてきた大西だったが、見たことのないタイプの粥だった。それでも彼は気にせず、躊躇なく中身を匙ですくって口に入れる。
「うん、美味しいです」
同じように食べたヌイが横で一瞬神妙な顔になっていたが、大西はみじんも表情を変えることなく即座に言い切った。この粥は酸味の強い独特な味なのだが、彼は平気な顔をして匙を口に運び続ける。
「本当かい? よその人は大概あんまり気に入らないんだけどねえ」
「ええ。僕は好きですよ」
村長の奥さんがカマドに乗せた鍋の中身をかき混ぜながら、豪快に笑う。聞いているほうが思わず笑みを浮かべてしまいそうな、あっけらかんとした笑い声だ。細身でやせぎすの老女だが、ずいぶんと明るい性格をしているようだ。
「いやしかし、本当に助かります。無理を言って申し訳ありません」
テーブルに並んだ料理を見つつヌイが言う。料理と言っても、出ているのは羊肉のソーセージと先ほどの妙な粥だけだ。もちろんこれはよそ者だからと粗末な食事を出しているわけではなく、農地も放牧地も限られた山岳ではこの程度の食料しか手に入らないからだ。ちょっとした食料も、このような場所では貴重な物資だろう。それを躊躇なくふるまってくれているのだから有難い限りだ。
「いやいや、この辺にゃ冒険者もほとんどいませんからね。わざわざ御足労いただいたんですから歓迎せにゃ」
老年の村長は、ところどころ抜け落ちた歯をむき出しにして笑いながらそう答える。村長という立場の割にはみすぼらしい服装だが、その笑顔からは人柄の良さがうかがえた。
「それはまた。この辺りにはたちの悪い妖魔も多かったと記憶しています。冒険者が居ないとなれば、なかなか大変ですね」
手持無沙汰なスフレが村長に聞く。いつものラフな口調ではないが、彼女とて目上の相手に敬語を使う程度の社会性はある。
「ええまぁ。大昔に都会の大魔術師に頼んだっちゅう妖魔避けの結界のお陰でなんとか生きていけてますがね」
くつくつとくぐもった笑い声を立てる村長。実際、このあたりは妖魔の間引きもまともにやられていないため、力のない人々が住むにはあまりにも厳しい土地だ。それでも彼らがこの場所に根を張っているのは、先祖が切り拓いた土地を守っていくという矜持があるからだろう。
「ほほう、妖魔避け。なるほどなるほど」
仮面の顎をさすりつつ、スフレが唸る。彼女の正体は人の形をした妖魔だ。何かしら感じるものがあったのかもしれない。一瞬目を逸らしてから、テーブルの飴色の天板を手袋に包まれた手で優しくなでる。
「それは、飛行型の妖魔も防ぐことが出来る程度のモノなのでしょうか?」
「飛行型? さぁてね、ジャイアントバットやらブラックイーグルなら十分防げますがね……」
笑顔を消して村長が唸る。彼もスフレの言いたいことは理解していた。問題は、目撃された相対不明の飛行型妖魔が防げるか、だ。妖魔避けの魔法の効果は、当然だが相手の妖魔が強くなればなるほど効果が薄くなる。まともな防備のないこのような村に強力な飛行型妖魔が襲い掛かればひとたまりもない。その防衛の難しさは、先のオークとの戦いの比ではないだろう。
「いや、実はですね、私も件の妖魔は目にしとるんですよ。遠目ですがね」
目つきを険しくしつつ、開け放たれた窓の外へと目を向ける村長。視線の先には、雲一つない清浄な碧空があった。
「あくまでカンですが、まあ無理でしょうな。アレはとても妖魔避けなんちゅう小細工が効く手合いには見えなかった」
「ほう?」
マスクの下でスフレが片眉を上げる。無論、妖魔に関しては完全に素人である一般人の言葉だ。単なる勘違いである可能性も高い。とはいえここまで言い切るからには、なんらかの確証があるのは間違いない。辺境に住む人間ほど、危険な妖魔に対する嗅覚は自然に鋭くなっていくものだからだ。
「あれはね、いわゆる龍って奴でしょう。ワイバーンなんぞとは、迫力が違いましたわ」
確信めいた口調で、村長はそう言いきった。




