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第一幕間四話

 まっ平らに整地された赤土の地面。周囲は高い塀で囲まれており、外の様子を見ることはできない。小さめの市民体育館ほどの面積があるその空間は、フランキスカ邸の裏庭だった。

 

「ここは……練兵所?」


「そうだ」


 呟くようなスフレの言葉に、フランキスカがどこか自慢げに頷いた。彼女は豊満な胸を強調するように腕を組み、顎で裏庭の奥を指し示した。

 そこには数人の赤髪の男女が、思い思いの格好でトレーニングに励んでいた。あるものは剣の素振りをし、またある者は大きなダンベルを上下……といった具合だ。皆若いが、どこか古強者めいた風格を漂わせている。

 

「この屋敷は、我がエルトワール大公国のエスタル王国における拠点であり、王室守護と屯所でもある。当然、練兵所も備えているのだ」


「あの、申し訳ありませんが、エルトワール大公国だとか、王室守護とか、あまり聞きなれない言葉なのですが……よろしければ教えて頂けませんか?」


「おお、そうか。オオニシはまれびと、知らぬのも当然か」


 にやりと笑ってフランキスカは腕組みを解き、顎をゆるりと撫でる。

 

「エルトワール大公国は、エスタル王国の北方に位置する小さな国だ。余はそこを統治する領主、というわけだな。そしてエルトワールは武門の雄、大体エスタル国王より王室守護職を任じられておるのだ」


「ははあ、なるほど」


 王室守護とやらは、おそらく言葉そのままの意味の仕事だろう。なぜ領主が所領を離れてそんな仕事をしているのかはいまいちよくわからないが。

 それにしても、この長身の美女は大西の思っていた以上の大物だったようだ。大公国とやらの領主というのが並々ならぬ地位であることは、封建制度に疎い大西とはいえ理解できる。そんな人物がこれほどまでにフランクに接してくれると言うのは、異常事態といっていいのではないだろうか? 

 

「ああ、言っておくが今更畏まる必要はないぞ。他国はともかく、エルトワールは少々特殊だ。余も頻繁に部下にたかられたり暇つぶし感覚で謀反を起こされたりしているくらいである……」


 途中から彼女の表情は苦み走ったものに変わっていた。どうやら、部下からの扱いはかなりよろしくないらしい。封建制にあるまじきフリーダムさだった。

 

「とはいえ、よその貴族はそうはいかん。特に王都に集まっている連中は、どいつもこいつも気位が高いのだ。十分気を付けるが良い、絡まれたら厄介だぞ」


「そうですね……肝に銘じておきます」


 無論、大西とて余計なトラブルはできれば避けたい。神妙な顔をして頷いて見せる。

 

「うむ。……話が長くなったな、本題に入ろう。これを貸してやる」


 そう言ってフランキスカは、屋敷の壁際に置かれた武具立てから鞘に収まった一本の長剣を引き出し、大西に手渡した。預かっていた刀をフランに一礼しつつ武具立てに置き、そして両手でそれを受け取ると、ずしりと重い。革ひもの巻かれた長めの柄に、剣と一体化した無骨な棒状の鍔。鞘は革製で、剣帯に装着するためのリングが取り付けられていた。

 

「訓練用の剣だ。刃は潰してある。ここで訓練する間は、とりあえずこれを使うが良い。自分の剣は持っておらぬのであろう?」


「ええ。そのうち、調達したいとは思っているのですが」


「先立つものが、ねえ?」


 仮面越しにも苦笑しているのがわかる声で、スフレが大西の言葉に続けた。剣に限らず武具と言うのはなかなか高価で、鋳造した刀身にグラインダーで刃をつけただけの簡易量産品ですら、今の懐具合では、なかなか手が出せるものではない。

 そのあたりのことは当然フランキスカも把握しており、スフレの言葉に頷いて見せる。

 

「オオニシよ、下手に安物のナマクラに手を出すくらいなら、十分に金子をためて業物を調達した方が身のためだ。切れぬ得物ほど持ち主を傷つける故な」


「未熟者ほど良い道具を、ということですね」


「そういうことだ。……丁度良く鎧に剣帯がついている、佩いてみるが良い」


 彼女の言葉に頷き、革鎧の腰のベルトに鞘のリングを通して剣を腰に下げた。重心の遠い重量物が腰についた感覚は、なかなかなれないものだ。大西は何度か位置を直し、やっとしっくりくる場所を見つけて固定する。

 

「それが帯剣するという感覚だ。慣れよ」


「はい」


 その返事にフランキスカは満足げに頷き、微かに笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「先に、訓練の内容を詰めておこう。オオニシ、貴様は既にひとかどの武芸は収めている、そうだろう?」


「そうですね、基本は抑えています。拳を使うだけが功夫ではありませんから、器械(ぶき)……棒やら剣やらも、多少は使えます。ただ、人間相手の練習しかしたことがないので、妖魔を相手にする時の感覚が分かりません」


 これは決して大西の自意識過剰ではない。何せ彼は、旅先に道場があれば必ずと言っていいほど練習試合を申し込みに行くくらいには熱心に鍛錬を積んでいた。試合総数は三桁以上だ。

 

「だろうな。あくまでカンだが、最初に出会った時からそうではないかと思っていた。雰囲気で騙されかけたが。……スフレとやら、貴様もそうだろう? まさか、この男がひとかど以上の武芸者であるだなどと、思いもしなかったであろう」


「……そりゃあ、勿論。実戦で披露された時はびっくりしましたよ」


 唐突に話しを振られたスフレがびくりとし、聞きなれない敬語で答えた。流石の彼女も大公というネームバリューに気おされているのかもしれない。その声音は微妙に緊張の色が混ざっていた。

 

「で、あろうな。余が誤魔化されかけるくらいだ、名うての騎士や暗殺者でもそう気づくまいて。むふふ」


 子供のような笑い声を漏らしつつ、フランは大西の肩をポンポンと叩く。褒められているのかけなされているのかわからないような言い方だったが、大西は大して気にもしていない様子で肩をすくめるだけだった。

 

「とりあえず、だ。余が貴様に教えるのは、妖魔を相手にする時の心得と技術、そしてこちらの戦士の基本技能、筋力増幅(ブースト)の魔法だ。余の記憶が確かなら、ニホンには魔法が無いのであろう?」


「この目で確かに見たことは無いですね。魔法は、こちらに来て初めて目にしました」


 ちらりとスフレを見てから、そう答える大西。筋力増幅(ブースト)は正直いって外見的にはさっぱりわからない魔法だから、大西が初めて魔法と言うものを特別に意識したのはスフレの氷結術を見た時だった。

 

「そうか。ならば説明しておかねばな。筋力増幅(ブースト)は、この世界の戦士にとっては基本中の基本の魔法だ。これがあれば、女の細腕であっても牛や馬を平気で投げ飛ばすほどの膂力を得ることができる」


「それほど、ですか。正面からの殴り合いは難儀しそうだ……」

 

「なに、難しく考えるな。貴様も同じように筋力増幅(ブースト)を使えば同じ土俵に立つことができるのだからな。無論、誰にでも使えるわけではない。これが使えるか否かで、戦士としての適性が別れるくらいだ」


 本当に、筋力増幅(ブースト)とやらは戦士の基本技能らしい。確かに、この世界の戦士の敵は人間ではなく、人間をはるかに超える身体能力を持った妖魔たちだ。魔法のような特殊な能力が無ければ、中世程度の技術しか持っていない人類など容易に滅ぼされてしまうに違いない。

 

「だがな、オオニシ。貴様はきっと筋力増幅(ブースト)だろうがなんだろうが、使いこなせるだろうよ。あくまで余のカンであるが……。なに、余のカンは外れたためしがないのだ、大船に乗ったつもりで鍛錬せよ」


「なるほど、安心しました」


 破顔しながらそんなことを言うフランに大西は神妙な顔をして頷いて見せた。裏付けが勘しかない言葉だが、この女丈夫が言うと不思議と安心感があった。

 

「とはいえ、とりあえずは筋力増幅(ブースト)は置いておこう。一朝一夕で使いこなせるものではないからな。とりあえず、てっとり早く役に立つことを教えよう」


 そう言いながら、フランキスカは自らも模擬剣を一本手に取って歩き始めた。彼女が向かったのは、練兵所の隅に無造作に並べられた太い丸太のもとだ。成人男性が両腕を使っても抱えきれないような大きさの樫の丸太が、何本も地面から突き立っている。

 

「これはな、堅いモノに刃を通す練習だ。妖魔の表皮は大概堅い! たとえ名工が打った業物であっても、やすやすと切り裂くことはできぬのだ」


「要するに、刃を潰した剣で丸太を斬れと」

 

 目を丸太に向けながら、大西が言う。そこには、ナタか何かをがむしゃらに打ち付けたような跡がいくつもついていた。

 

「そこまでは言わん! だが、キチンと刃筋を通せばこのようなナマクラであっても幹には刺さるし、案外体への負担も少ない。逆に上手く刃筋を通すことが出来なければ、剣は弾かれるし身体も痛める。正しい角度から正しい力加減で打ち込む、そういうことを体で覚える鍛錬なのだ」


「ははあ、合理的ですね」


「で、あろう?」


 フランキスカがニンマリと笑う。この鍛錬は、筋力増幅(ブースト)を覚えていなくても行うことができる。むしろ、下手に筋力増幅(ブースト)を使うと力任せで解決できてしまうため、それはそれで問題なのだ。

 

「とはいえ、な。技巧を極めれば、刃のない剣で丸太を切断することも不可能ではないのだ。もちろん筋力増幅(ブースト)なぞ使わなくてもだ! 見ているがいい」


 刀身が鞘に擦れる音が響く。フランが剣が抜き放たったのだ。右手で軽く柄を握り、構える。左は鞘を握ったままだ。笑みがすっと消える。次の瞬間、銀光が閃いた。剣が音もなく振り抜かれる。

 

「これは……」


 重苦しい音と共に、丸太の上半分が地面に転がった。身の詰まった太い樫の幹が、まるで藁束のように容易に切断されたのだ。ほとんど魔法か何かのような、非現実的な光景だった。パチンと快音を鳴らし、フランは剣を鞘に納める。

 

「こんな風にな。どうだ、素晴らしい手前だろう。ふふん」


「ひえぇ……」


 悲鳴に近いような感嘆の声を漏らしたのはスフレだ。魔法に特化した彼女は、魔法を用いずにこれほどのことを成す剣士というのが、どれほどの技巧を持っているのか想像すらできなかった。わかるのは、目の前にいるのが人類の枠からはみ出しすレベルの強者ということだけだ。

 

「流石に丸太のなます切りは初めて見ましたね……凄いな。どれ、やってみます」

 

 こんな時にも大西は能天気だった。穏やかに笑い、剣を抜く。剣は重い。もちろん実重量はそれほどでもないのだが、何せ重心が遠くにある。初めて剣を握る物なら、ただ構えるだけでも難儀するだろう。

 だが大西もいっぱしの武芸者。その動きに淀みは無い。フランと同じように片手で構えて見せた。それを見て、フランキスカの目がすっと細くなる。

 

「ほう……」


 すいと滑らかに、剣が振られる。大西の目の前に有った先ほどとはまた別の丸太が、まるで豆腐か何かのように綺麗に切断された。また、土煙を上げて丸太の先端が転がる。その様子は、まるでさっきの光景の焼き直しのようだ。

 

「……つまり、こうやるわけですね?」


 そんなことをフランキスカに向かって聞く大西の表情は、あくまで常と変らぬ平坦なものだった。


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