第一幕間三話
軽やかな足取りで、大西が石畳の敷かれた道を歩いている。朝とも昼ともつかない微妙な時間帯だ。喧騒に包まれているのが常の王都の道路だったが、この辺りは閑静なもので道行く人々の数も少ない。
だが、それは決してこの辺りが寂れているからではない。道路の左右に立ち並んでいるのは大きな庭のある豪邸ばかりで、門にはもれなく衛兵や門番が立哨をしている。五番街と呼ばれるこの場所は、貴族や豪商などの邸宅の立ち並ぶ上流層向けの区画だった。
「こんな場所に何の用があるのさー」
もはや定位置のごとく大西の背中にくっついたスフレが、気だるげな声でそんなことを言う。彼女はいつものように白衣とペストマスクという怪人物のお手本のような格好をしているから、衛兵たちの視線を独占する羽目になっていた。下町ならまだしも、治安のいい場所で変な服装をしていると大変に目立つのだ。
「知り合いに用事があるんだ」
なぜか普段着ではなく革鎧をつけた大西が、周囲からの視線をまったく気にしていないような様子で答えた。武器こそ(持っていないので)携行していないが、その冒険者めいた格好もまたこの場所ではやたら目立っている。衛兵たちは大概おそろいの鎖帷子や部分板金鎧といった上等の装備を身に着けており、いかにも冒険者と言った格好の大西とはやはり雰囲気が違う。
「知り合いィ? いるのか、こんなところに」
「うん。五番街に家があるって話だけど……あれかな」
丁度それらしいものを見つけ、指差す。そこに有ったのは、青く塗られた漆喰壁の大きな建物だった。二階建てで、地方都市の公民館くらいの大きさの豪邸だ。不思議なことに、その家の周りだけ妙に建物が少ない。
「あれ? なーんか妙な雰囲気だぜ? 本当にアレなの?」
「たぶん……」
それらしい家は他にない。玄関に向かい、青銅で出来た質素なドアノッカーで扉を叩く。重苦しい音が三回。しばらくして、ドタドタという乱暴な足音が聞こえてきた。
「なんだァ? 押し売りならお呼びじゃねえぞ」
そう言いながらドアから顔を出したのは、赤髪を短く刈り込んだ筋肉質な偉丈夫だった。歳の頃は二十代中ごろ……大西と同じか、少し若いくらいだろう。荒っぽい造りの顔には、威圧的な表情が浮かんでいる。
「おはようございます。僕はオオニシと申します」
男の身長は、大西よりもだいぶ高かった。百九十オーバー、下手をすれば二メートル近いだろう。オマケに筋肉も服の上からでもはっきりわかるほどついている。そんな相手が不機嫌そうな表情を浮かべているのだから、凄まじい迫力があった。
思わず身を固くするスフレ。しかし大西はマイペースを崩さない。穏やかな微笑を浮かべ、続けた。
「フランさんの刀の手入れの件でお邪魔させていただいたのですが、御在宅でしょうか?」
「姐御の? あー、そういや、そんなこと言ってたな。ちょっと待ってろ、確認してくる」
そう、大西はフランキスカを訪ね、ここまでやってきたのだ。冒険者云々の面倒事が片付いたら、もう一本の刀も面倒を見るという約束だったからだ。
ヌイに化粧をする、という約束もあった為しばらくフランとは会っていないのだが、それも昨日解決した。冒険者の仕事こそ村の防衛の後はやっていないものの、これでなかなか忙しい日々を送っていた大西だった。
「おう、待たせたな。入れ」
しばらくして、赤髪の男が戻ってきた。彼は大西に手招きすると、またドアの向こうへと引っ込んでいく。
彼に続いて家の中に入る。広いが、そこらの民家と変わらないような質素な内装だった。木とレンガを組み合わせた、飾り気のない壁。調度品など、何一つ置かれていなかった。それに、お手伝いさんや女中の類とも会わない。
「ここだ」
やがて男が振り返り、言う。彼は丈夫そうな分厚い木製のドアを指差していた。自分は入る気が無いようで、そのままどこかへと歩いていく。
「失礼します」
ドアノブをひねり、重いドアを開ける。その先に居たのは、革張りの椅子に座ったフランキスカの姿があった。相変わらずの軍服風の黒コート姿だ。彼女は書類が沢山乗った執務机にむかい、何らかの事務作業をしていたようだった。
「おお、来たか。久し振りだな、元気そうで何よりだ」
「どうも。フランさんもお変わりなく」
音がしないよう注意しながら扉を閉め、一礼する大西。それを見て上機嫌に笑ったフランは椅子から立ち上がると、大西に向かって歩み寄る。
「妙なヤツを連れているな? どうしたのだ」
「あー……失礼」
見るからに偉い人だ。さしものスフレとはいえ、人の背中に負ぶわれた状態であいさつするなどと言うストロングスタイルを貫くことはできない。眠気で鈍い体を億劫そうに動かし、旧いじゅうたんの敷かれた床に足をつけてフランに向き合う。
「スフレです。諸事情がありまして、仮面については勘弁していただきたく」
「良い良い。貴様、冒険者であろう。冒険者は多少傾いていた方が面白みがあっていいではないか」
愉快そうに笑い、スフレに頷いて見せたフランがちらりと笑みを浮かべたまま大西を一瞥した。
「貴様も冒険仲間が出来たか。なかなか愉快な旅路であるようで、何より」
「ええ、おかげさまで楽しくやれてます」
緋色のポニーテールを尻尾のようにふりふりしつつ破顔するフランキスカ。なかなか機嫌が良さそうだ。もっとも、彼女に関してはこれが平常運転かもしれない。
「とりあえず一仕事終わりまして、そこそこ暇が出来ました。約束通り、もう一振りの刀をお預かりしようかと。申し訳ありませんが、例の件に関してはまだ進捗がありませんが……」
例の件、というのは間違えて呑み代に変えてしまったロケットのことだ。あれから暇を見つけては捜索をしていた大西だったが、いまだその足取りはつかめていなかった。酒場の主人が早々に質に出してしまったことまでは分かったのだが……。
「構わぬよ、もとより余の失敗である。貴様が無理をして探す必要はない」
一転して神妙な表情になり、静かに頷くフランキスカ。腰に佩いた二振りの刀がふれあい、微かな音を立てた。
「それで、刀であったな。本業の研ぎ師ではないのだ、暇なときにやってくれれば構わぬ。刀なぞ、余にとっては一つあれば事足りるのだからな」
そういって彼女は剣帯から刀を外し、大西に手渡した。落ち着いた赤色の糸で柄をしつらえた、長めの打刀だ。
「しばらく預けておく。完成したら持ってきてくれ」
「ありがとうございます、助かります」
実際のところ、大西としても最近冒険者らしいことは何もやっていないため、そろそろ新しい依頼を受けるべきではないかと考えていた。
先の依頼のように何日も王都を開けるような仕事ではなく、近郊で出来る妖魔の間引きなどであれば、一日で依頼を終えることができるのだ。そういった短期の仕事をこなしつつ、刀の手入れもするつもりだったため、納期を特に設定されないのは大変にありがたかった。
「それと、もう一つ。実は、一つお願いがありまして」
「うん? なんだ、言うてみよ。だが、金の無心なら無い袖は振れぬぞ?」
その大きな胸を張りつつ、どこか自慢げにフランキスカは笑った。所謂ドヤ顔というやつだ。もちろん、大西としても金の代わりに塩を持っていた人間に金を貸してくれだなどと頼むつもりはない。
「よろしければ、剣術を教えて頂ないかと」
「剣術だと? いったい何故だ」
柳眉を上げつつ、フランキスカは首をかしげた。彼女は、達人レベルの剣の使い手だ。大西が優秀な拳法家であることは、一目で理解していた。それがいきなり剣を教えてくれだなどと言いだすとは思ってもみなかった。
「先の仕事で、随分と打撃力不足で難儀しまして。器械がないと何ともならないと判断しました。人型だったからまだ良いものの……獣みたいな相手だったら、間違いなく対処ができなかったでしょう」
大西が知っているのは、人間相手の拳法だ。人間ではない動きをする相手への対処法など、さっぱりわからない。ならば、対妖魔用の戦闘術を改めて習得する必要がある、というのが彼の判断だった。
「いや、剣があろうと巨人相手に戦うのは無茶だぞオオニシ」
首を激しく左右に振りながら、スフレが大西の腕に触れる。当たり前だ。どんな武器が有ろうと、巨人と正面からぶつかり合える人間などそうそうはいない。一部の化物級の冒険者や騎士だけが、そのような偉業を果たすことができる。
「それはわかってるけど、選択肢は増やしておきたいし。巨人は無理でもオーク相手に剣があれば、随分と楽に殺せたと思うんだ」
「なに、巨人とやり合ったか! やるではないか」
フランキスカが愉快そうに大笑いした。彼女自身、巨人と相対したことは一度ならずあった。巨人殺しがどれほど困難な事なのかも、身に染みてよくわかっている。
「足止めをしました。倒したのは彼女ですよ」
そう言って大西はスフレの方に笑みを向けた。思わず、スフレのマスクの下の表情が渋いものになる。確かに手を下したのはスフレだが、ほとんど暗殺と変わらないような遠距離攻撃だったのだ。あまり自慢できるものでもないだろうと、彼女自身は考えていた。
「ほう、随分と優秀な魔術師なのだな。良い仲間に恵まれたな」
「ええ、とても」
「よせよせ、背中が痒くなる」
大西の背中をぺしぺしと叩きながら、スフレが言う。そして首を軽く振って気を取り直し、咳ばらいをした。
「こほん。……まあ、確かに武器があれば随分と助かるのは事実だな」
「うん。……そういうことで、ぶしつけで申し訳ありませんが、お願いできないでしょうか?」
顔をフランキスカの方に向け、大西は頭を深々と下げた。ヌイ、あるいは前の依頼で一緒に仕事をこなしたシャルロッテなども剣を使うが、しかし一度フランの刀を預かってじっくりと検分した大西には、彼女がヌイらを超える剣士であると判断していた。だからこそのこの頼みだ。
「なるほど。うむ、承知した。余も異界の武芸者には興味がある。その技を余に見せると言うのならば、代わりに剣術を教えると言うのも、吝かではないが」
「ありがとうございます。ええ、僕の技であれば、喜んで」
交換条件としてはとてもいい話だったので、笑みを浮かべて大西は頷く。授業料を払う気でいたのだが、確かにこちらの手を隠したまま相手の技術だけ教えてもらおうだなどと言うのは、あまりにも虫が良すぎるだろう。
「よかろう! オオニシにこのエルトワール大公、フランキスカ・ルード・エルトワールに剣を習う栄誉を授ける! 喜ぶがいい!」
「うぇっ!?」
呵呵大笑するフランキスカにスフレが変な声を上げた。二人の視線がスフレに集中したが、彼女はすぐに首を左右に振って「な、なんでもない」と若干震える声で答えただけだった。
「まあいい。貴様、この後時間はあるか?」
「ええ、夜まで予定は空けています」
「うむ。では早速手ほどきしてやろう。ついて来い」
そう言うなり、フランは意気揚々と歩き出した。……机に残った大量の執務を放り出して。このことを彼女が大変に後悔するのは、今から六時間ほど後の話だ。




