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第一章三十三話

 草一つ生えていない岩ばかりの山肌を、麓から吹いてくる生暖かい風が撫でる。草の香りを多分に含んだそれを頬に受けながら、大西は静かに鉛筆でスケッチブックに何かを書きこんでいた。

 

「オオニシ、ここに居ましたか」


 山道の下から歩いてきたヌイが、穏やかな声でそう言う。彼女は返り血まみれになった古い外套を廃棄し、新しく村で購入したフードつきの外套を纏っていた。大西が下を向けていた顔を上げてヌイの方を見ると、彼女は目を細めながら続けた。

 

「村の方に居ないものですから、探してしまいました」


「ああ、ごめんね。言い忘れてた」


「いえ……隣に座っても」


 スケッチブックに目を戻しながら、大西は「いいよ」と簡潔に答えた。再び鉛筆を紙面上で踊らせ始める。彼は、絵を描いているようだった。

 ゆっくりとヌイが歩み寄り、大西の肩に自らの肩が触れるかふれないかくらいの場所に腰を下ろした。そのまま、静かに視線をふもとの村へと向ける。

 

「ああ━━いい景色ですね」


 眼下の村では、既に復興が始まっていた。壊れた家々に大工たちが取りつき、修理や解体をしている。それ以外にも農夫や職人、そして雑多な装備で武装した男女が何人も、道を行き交っている。

 あの防衛戦から、すでに二日が経過していた。あれから襲撃は無く、老猟師が街へ出て集めた冒険者たちも到着した。オークの残敵掃討も、既にその深山の冒険者たちの手で開始されていた。もう、大西たちの仕事は残っていない。今日一日はまだ休養のために村に逗留し、明日になれば王都への帰路につく予定だった。

 

「そうだね」


 相変わらず、大西の声は静かで穏やかだった。落ち着く声音だと、ヌイはそっと彼の肩に身を寄せながら考える。

 村が受けた被害は、きわめて大きい。沢山の人が死んだし、生き残った人も家が壊されたり、畑が踏み荒らされたりと随分な被害を被っている。しかしそれでも、最悪の事態だけは避けることができた。あの時の戦力を考えれば、奇跡と言っていい戦果だ。自然と、彼女の顔に浮かんでいる表情は明るいものとなる。

 

「ありがとうございます。あなたが居なければ……こんな景色はみることができませんでした」


「うん、そう言ってくれると、とても嬉しい」


 再びスケッチブックから顔を上げ、大西は微かに口角を上げた。

 

「いい試金石にもなった。怪我もしなかったしね」


 実戦を経たことで、これからの課題も見えてきた。そしてすくなくともパーティーは誰一人として欠員は出ていないし、報酬もしっかり貰えた。大西としては、満足のいく仕事だった。

 

「お休みも取れるし?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、スケッチブックを指差す。実際、絵を描く彼はずいぶんと楽しそうだった。少なくとも、オークを相手に殴り合いをしているよりは随分と。

 

「そうそう! リフレッシュも重要だよ。……いやぁ、旅をしていた頃は毎日こうだったけどね」


「旅……ですか。随分と好きなのですね」


 村に来る前にも、そんなことを言っていたと思い出しつつヌイが言う。

 

「うん。生来の根無し草みたいでね。四年以上も家に帰らなかったのに、一回もホームシックにはかからなかったよ」


「それはまた……随分と。私なんか、今でも昔を思い出して、寂しくなることがありますよ。家と言っても、移動式のテントですが」


 フードを下ろして顔を露わにしながら、ヌイが苦い笑みを浮かべる。オレンジに近いくらい明るいブラウンの細い髪が、風に吹かれて揺れる。水浴びでもしてきたのか、不思議と爽やかないい香りがした。

 

「そりゃあね。人によって環境は違うから」


 穏やかな表情で目を村へ向けながら、大西が言う。視線の先には、広場に鎮座する破城槌があった。結局完成する前にトロルを倒すことができたため日の目を見ることはなかった急造兵器だ。大西は、大工の棟梁に必要ないものを作らせるなとどやされてしまっていた。

 

「環境ですか。ふふ、確かにそうですね。……そういえば、私はオオニシの過去の話は、全然聞いていませんね。私のむかしのことは、全部話してしまったのに」


 人差し指の爪を大西の膝に当て、やさしく線を引くように動かしつつヌイが言う。顔には悪戯っぽい笑み。

 

「確かに言ってないけど……よくあるコースアウト人生だよ。高校中退! フリーター! 自分探しと称した旅行! ありがちだよねえ」


 鉛筆を動かす手を止めず、大西は笑う。自嘲というには、あまりにも明るい声音だった。実際のところ、彼はあまり気にしていないのだろう。

 

「ありがち……なんですか?」


「ありがちだね。似たような人は結構見たよ」


「そういう……ものですか」


 首を傾げつつ、ヌイは口をへの字に結んだ。あれほど強く、そのうえ妙に多芸な大西がコースアウトだのありがちだのと言うのは、違和感があるのだ。高校だの、フリーターだのといった単語の意味は、いまいちよくわからなかったが……。

 もっとも、これは平和な日本出身の大西と年中妖魔の脅威にさらされるこちらの世界の人間では意識が違うのは仕方のないことだ。それに、大西が多芸なのは単純に転職経験がやたら多いせいでもある。

 

「まあ、なんにせよ、もう今となっては関係のない話だよ。今はなかなかに楽しいし。ヌイが居てくれるからね」


「そうですね……ええ、貴方と過ごす時間は、私も楽しい」


 小さく息を吐いて、ヌイは笑みを深める。そして一瞬躊躇してから、大西に寄りかかり、体重を預けた。意外と硬い彼の肩に、頭をくっつける形だ。

 大西は何も言わず、抵抗もしなかった。少しだけ増した心拍を落ち着けるようにして、ヌイは深く息を吸い、そして吐き出す。いつの間にか全身に入っていた力が、ゆっくりと抜けていく。

 

「しばらく、こうしていてもいいですか」


「うん。いくらでもどうぞ」


 絵を描く手を休めることなく、大西は言う。目線は村とスケッチブックを往復し、ヌイには向けていない。しかしそれは、自分を無視しているわけではないことを、ヌイは理解していた。ヌイが体を預けやすいよう少しだけ重心を傾け、そして力を抜いている。

 それは、下手にベタベタと相手をされるより、よほどヌイには嬉しい事だった。パーソナルスペースに入れた状態でリラックスし、そして作業を続ける。相手を完全に受け入れていなければできないことだ。

 頬を撫でる穏やかな風。耳には、大西の心音が微かに聞こえてくる。日差しは強くもなく弱くもなく、ちょうどいい温かさ。とても、心地に良い空間だった。いつしか、ヌイの瞼は重くなっていく。意識には、だんだんと霞がかかって行った。

 

「ん……」


 どれほど眠っていただろうか。微睡の中に有ったヌイの意識が、ゆっくりと覚醒していく。顔のすぐそばにある温かいものに半ば無意識で頬を擦りつけ、深く息を吸う。どこか、安心できるような匂いがした。

 

「はふぅ」


 息を吐き出して、身を起こす。目を擦りながら周囲を見渡すと、相も変わらず周囲には長閑な風景が広がっていた。村の方からは、復興の鎚音が遠く響いてくる。それほど長い時間はたっていないようで、太陽はまだ高い位置に有った。

 

「あっ……すいません」


 そこまで考えたところで、ヌイの頬が赤くなった。自分が大西の膝を枕にして寝ていたことに気付いたのだ。彼は絵を描くことをやめ、いつものぽやんとした目つきでヌイを見ていた。

 

「すいません、とは?」


「いえ、ずいぶんと失礼なことを」


 長い間膝を占拠していた上に、頬擦りをして匂いまで嗅いでいるのだ。なんという恥ずかしいことをと、片手を熱い頬に当てつつ目を逸らす。

 

「不快だとは感じなかったよ。むしろこういうのは、好きだ」


「好き、ですか」


「うん。一人でいるよりは、隣に誰かいたほうが安らげるから」


 落ち着いた声でそう言いながら、大西はヌイの方を見て小さく微笑んだ。その顔を見るだけで、不思議と心のざわめきが静まっていくような感覚があった。ヌイは自然と微笑み返し、「良かった」とつぶやく。

 

「実は、私もです。あなたのそばにいると、とても落ち着くんです」


 そうして両手を真上に上げ、ぐっと体を伸ばす。流石に寝心地の悪い岩場で寝ていたので、身体の節々が固まっていた。それでも、悪夢にうなされて目覚めるよりは、よほど気分がいい。


「もし、良ければ……またこうして、膝で寝かせていただけませんか? その、なんといいますか、貴方にくっついていると、とても夢見が良くて」


 無意識に、そんな言葉がヌイの口をついて出た。言った本人が驚き、あわてて発言を取り消そうとしたくらいだったが、それよりはやく大西が頷く。


「いいよ。いつでも、何度でも」


「━━ありがとうございます」


 ヌイの顔に、まるで大輪の花が咲いたような、晴れやかな笑みが浮かぶ。そうしていったんは離れていた体をまた大西に寄せ、小さく言う。

 

「それでは早速、遠慮なく」


 まだ、夕餉にはあまりにも早い時刻だ。だから、昼寝をする暇はいくらでもある。村で過ごす最後の日は、こうして穏やかに、そして甘く過ぎていくのだった。

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