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第一章三十二話

 唐突に上がった巨大な火柱が、遠くの夜空を焦がした。一瞬遅れて、地震めいた衝撃波が周囲を揺らす。スフレの魔法だ。そう直感した大西が、ヌイに目をやる。

 彼女は既に抜刀し、強い反りのある刀身を露わにしている。まだ戦端は開いていないものの、いつでも突っ込んでいける姿勢だ。

 

「敵集団は大方切り通しに入ったようですね。とはいえ、すべてではありません。背後には気をつけましょう」


 ヌイは目を細めながらそう言い、地面に向けていた切っ先をすらりと指揮棒めいて持ち上げた。

 

「行きます」


 四肢の筋肉に魔力を通す。もっとも原始的で、それでいて戦士にとっては最も重要な魔法、筋力増幅(ブースト)。その神秘のチカラが、彼女の細身の肉体に尋常ならざる膂力を与える。ブーツの靴底が地面を削った。走るというよりは、もはや跳ぶといった方が正確そうな急加速。

 

「……」


 目にもとまらぬ速度だ。常人の大西がついていけるはずもない。それでも、彼は気にせずに自らも走り出した。例の独特な歩法だ。縮地と呼ばれるソレは、神秘を用いずともただ技術のみで高速移動を可能とする。流石に百メートル一桁秒で走りきるヌイほどの速度は出ないが。

 

「いち、にい、さん。沢山。大漁」


 ヌイの背中を追って切り通しに突入した大西が目にしたものは、狭い谷間に芋煮がごとくごった返す大量のオークたちだ。

 衛兵の必死の逃避行によって誘導された彼らは、暴力衝動の赴くままに切り通しに突っ込み、そして案の定詰まった。更には、先ほどの爆発である。集団はすっかりパニックに陥り、統制を失っていた。

 

「イヤアアアッ!」


 気迫のこもったシャウトと共に、ヌイがオークに切りかかる。鋭く研ぎあげられた白銀の刀身が風を切り、オークの屈強な肉体に袈裟懸けの切創を刻んだ。激しい血しぶきが舞う。断末魔の悲鳴が、混乱の渦中にあるオークたちの耳朶を叩く。

 

「ううむ」


 それを見ながら大西が唸った。戦場はまさに入れ食い状態、戦果を稼ぐなら今しかないといえるほどの好機である。だが、大西にはヌイほどの攻撃力は無く、オークを倒すのには時間がかかる。それに一対一の戦いならともかく、こういった集団戦は完全な初心者と言っていい。下手に打ちかかってもヌイの援護はできないだろう。

 

「ふむ……」


 ならば、何をすべきか。そう考えたところで、ふと彼は背後を見返した。そこには、遅れてこちらへ向かってくる少数のオークたちの姿がある。あれに背後を突かれると厄介だ。挟み撃ちしたはずが、逆包囲されてしまう。

 

「よし」


 ヌイの背中を突かれないよう迎撃すべし。方針を即座に決め、両手首を軽くスナップさせる。そして腰を浅く落として拳を構えた。右手を前に、左手を自らの顔のすぐ横に。

 徒手で何ができると、遅れてやってきたオークの一匹が笑みを浮かべた。内部の者たちとちがって精神に余裕のある彼は、後続に手を振って制止し、石の穂先のついた槍を構えた。

 常人など及びもつかない筋力を存分に生かし、猛烈な速度で突撃を始めるオーク。その槍の穂先は一分の乱れもなく大西を狙っている。彼我の距離はあっという間に縮んだ。石を打ち欠いただけの簡素な槍が、大西の腹に吸い込まれるように近づいていく。

 

「……」


 無造作に動いた左手がすぐ直前まで迫っていた槍の柄を掴んだ。軽く引っ張ると、その軌道が容易に歪む。大西の腹に突き刺さるはずだった穂先は大きくそれ、革鎧のわき腹を軽く擦る程度の効果しかもたらさなかった。そして右手の決断的なチョップがまるで刀のように閃き木製の柄をへし折る。

 

「ッ!?」


 オークの表情が驚愕に歪んだ。だが、彼我の体格差は歴然だ。槍が折られたところでそのままの勢いを保って体当たりすれば、貧弱な人間なぞ簡単に吹き飛ぶはずだ。そのはずだった。

 しかし、そうはならない。大西の動きは、槍を叩き折ってなお続きがあった。身体の軸をずらしつつ、脚と槍から手を放した左手がオークの身体に伸びる。それとほぼ同時に大西とトロルの身体が衝突した。

 大西は、吹っ飛ばされなどしなかった。代わりに、オークの身体が空を舞う。投げ飛ばされたのだ。錐もみしながら空を舞ったオークは背中を地面にしたたかぶつけて悶絶する羽目になった。

 

「よっ……」


 そしてその頭部に、まるでサッカーボールを蹴るかのような無造作で強烈な蹴りが叩き込まれる。つま先が頭蓋骨にめり込み、拳銃弾くらいなら弾きそうな強固なそれを陥没させた。即死には至らずとも、昏倒させるには十分すぎる一撃だった。

 

「まずは一人」


 構えを戻しながら、大西が静かに呟く。その目つきは極めて穏やかだった。戦闘中とはとても思えないほどに。息を吐き、そして吸う。

 今の敵は明らかに油断していた。ウカツな愚か者を倒すくらいならば、なんとでもなる。だが、一度こちらの手のうちをみせた以上、次からはこう上手くはいかないだろう。大西はあくまで冷静にそんなことを考えていた。

 

「ッ!」


 ほとんど垂直と言っていい急角度のキックが、オークの顎にハンマーめいて炸裂した。血と砕けた歯を空中に吐き散らしながらオークが倒れる。

 戦闘が始まって、既に半時間が経過していた。大西が倒したオークは、既にこれで五体目だった。人間よりも何倍もタフな肉体をもつオークだったが、大西はその身体能力や動きの癖に慣れ始め、今では上手く対処ができるようになっていた。

 

「うん……」


 先の戦いの時よりも格段に動きが良くなった自らの肉体に、大西は静かに頷く。先の戦いではオークの撃破は諦めたものの、再戦ともなればどう動けばいいのかわかってくる。パンチで倒せない相手にはキックをくれてやればよいのだ。これも師父の教えである。

 

「……」


 一匹のオークが咆哮を上げながらこん棒を大西に向かって振り下ろした。それを素早いサイドステップで紙一重に躱し、それと同時に拳銃の抜き打ちめいた速度で左手の貫手が放たれた。二本の指がオークの目を抉る。

 その痛みがオークの脳に到達するより早く左手は引っ込み、代わりに腰の入ったハイキックが哀れな緑の偉丈夫のコメカミに衝突した。丸太同士がぶつかったような重い音が響く。重い巨体がよろめき、膝をついた。

 それでもなお、大西は攻撃の手を緩めない。ハイキックの動きに連動して体の各部に力がこもる。左脚の着地と同時に一歩前に出た。短い準備動作からは考えられないほどの強烈な拳打がオークの顔面に撃ち込まれる。百キロを優に超すであろう筋肉質な肉体が、枯れ葉のように宙を舞った。

 

「ふう……」


 巨体が地面に転がる音と同時に、大西は短く息を吐いた。穏やかな目が新たな得物を探して左右に動く。

 

「━━ッ!」


 周囲の者たちよりも頭一つ分は背の高いオークが、そんな大西の姿を認めて咆哮を上げる。その肉体ははち切れんばかりの筋肉に覆われ、もともとマッチョ体型ばかりのオークたちの中にあってもなお異彩を放っている。

 異様なのは肉体だけではなかった。獣の生皮のジャケットに、宝石や小さな金属板などで飾り立てられた目立つネックレスという、見慣れないファッションに身を包んでいる。

 オークキングと呼ばれる上位種だ。キングの名の通りオークの中では高い地位にあるらしく、彼が手を振りまわすと周囲のオークたちは一瞬にして静まり、一歩下がった。

 

「……」


 構えを戻す大西に、オークキングは無骨な顔に凄惨な笑みを浮かべて腰のベルトから山刀を鞘ごと抜き、地面に落とす。そして指で自らを指差し、両手をボクシングめいて構えた。

 

「なるほど」


 かかってこい、ということらしい。敢えて武器を捨てるなど、味な真似をするオークである。三々五々集まってきた後詰の敵戦力だが、流石にこれ以上増える様子はなかった。素早く後方を窺うと、少し離れた場所でサーベルを片手に大立ち回りをしているヌイの姿があった。どうやらあちらも、戦いは終盤に近付いている様子だ。敵の数はずいぶんと減っている。

 

「退き時ということか。とはいえ手ぶらでは帰りにくいと。あちらも大変だ」


 食料や女と言った物理的な戦果が得られないのなら、せめて強敵の首級が欲しい。そういうことだろうと大西は考えた。そこそこいい勝負をしなければ説得力がないから、あえて武器を捨てたに違いない。

 

「よし」


 なんにせよ、好都合だ。乗らない理由は無い。オークキングにむかい、構えを維持したまま大西は走り寄った。十メートルは離れていた距離が、あっという間に埋まる。

 

「ふっ」


 オークキングの強烈な右ストレートが猛烈な速度で突きだされる。それを左手で相手の手首を手のひらで横から叩き、軌道をずらした。大西の顔のすぐ横を、拳は唸りを上げながら通過していく。

 その音を聞きつつ、大西はぐっと左脚をつっぱりつつオークキングの顎をカチ上げるようなアッパーを繰り出した。命中すればオークとはいえただでは済まない一撃だ。

 

「ッ!」


 だが、相手も木偶の棒ではない。左手を差しだし、ガード。大西の腕に岩を殴ったような硬い衝撃が伝わる。

 丸太のように太いオークキングの足が、反撃とばかりにバネで弾かれたような勢いで持ち上がる。強烈な膝蹴り。大西はそれを素早いサイドステップで回避する。

 いつもなら、ここで相手の勢いを利用してブン投げるところだ。しかし今回はそう簡単にはいかない。油断なく大西を睨みつけるオークキングの瞳は、あくまで冷静だった。掴みかかろうとする彼の左手を軽いフックで牽制し、寄せ付けない。

 

「おう」


 蹴りで崩れた体勢が整うと同時に、再びの右ストレート。大西はそれを同じようにして左手で弾く。左ストレート。右手で弾く。猛打、猛打、猛打。嵐のようなストレートの乱打だった。常の人間ならミンチになるような強烈な攻撃。だが大西はそれを全て両腕を自在に操り逸らして見せた。木人を相手にした演武のような、見事な防御。

 しかしその乱打は、オークキングにとってはあくまで目くらましだった。本命の強烈な右フックが、大西の身体に向かって飛ぶ。

 

「ふう」


 小さく息を吐きつつ、それを凄まじい勢いでしゃがむことで回避した。勢いを維持したまま両手を地面に尽き、突っ張るようにして低い回転蹴りをお見舞いした。ブーツに包まれた足がオークキングのくるぶしを捉える。完璧な命中。だが、その古木めいた巨体は小揺るぎもしない。凄まじいタフネスだ。

 小さな蹴りで反撃するオークキング。それを紙一重で躱し、蹴った力をそのまま使ってびっくり箱のように立ち上がった。左の掌打を、緑色の無骨な顔面向かって突き出す。オークはそれを一歩退いて回避。

 

「ふん」


 お返しとばかりに、ひねりの効いた渾身のストレートが飛んでくる。大西はあえてそれを弾かず、代わりに右手で凄まじい速度で接近するオークの手首をつかんで強引に自分の方へと引っ張った。

 同時に身体をひねって、いったんはひっこめた左手を握りしめストレートパンチの形で突き出す。強烈なカウンターがオークキング顔面に突き刺さった。

 

「━━ッ!」


 咆哮を上げるオークキング。それは悲鳴と言うよりは、怒りの叫びというほうが正しい。痛みは与えられても、大したダメージではないのだ。

 左手のジャブが大西に襲い掛かった。サイドステップでそれを回避しながら、くるりと体を動かして回し蹴りを放つ。短い予備動作ながらも力のこもった一撃。大西の踵がハンマーめいた勢いでオークキングのコメカミにぶつかる。コンクリートに石を力いっぱいぶつけたような硬質な音が周囲に響く。

 さしものオークキングもこれにはふらりと一瞬体勢を崩した。それでも大西の追撃を防ごうと、強引に引っ込めた右腕を振るうが、彼はそれを容易に弾いて一歩踏み出す。両者の距離、わずか一インチ。拳打を振るうにはあまりに短い距離だが、功夫を収めた人間にとっては問題にならない。

 

「ッ!!」


 全身の筋力を総動員して振るわれる寸勁……ワンインチ・パンチは、地味な動きの割に鮮烈な効果をオークの肉体にもたらした。鉄板すら貫通しそうな打撃がオークの王の鳩尾に炸裂し、波紋のように全身に衝撃が伝わる。

 オークキングの身体が今度こそ大きく揺れた。大きなダメージに、思わず一歩下がってしまう。それと呼吸を合わせるようにして、大西は一歩進んだ。自らの足をオークの左足にからめつつ、同時にその分厚い胸板を押す。ひどく容易にオークの巨体が転倒した。

 

「……」


 流れるような動作で腰の鞘から小さなナイフを抜き、地面に後頭部をぶつけて目を白黒させているオークの顔面に投げつけた。狙いたがわず、銀色の刃はオークの眼球に突き刺さる。先ほどの方向とは明らかに違う、痛々しい悲鳴が上がった。

 素早く一歩進み、大西はオークの顔面に足を踏み下ろした。ナイフの尻が靴底におされ、眼孔の奥へと沈み込んでいく。切っ先は脳まで到達した。

 

「━━━━ッ!」

 

 鼓膜が破裂しそうな大音量の悲鳴に構わず二度三度と顔面を念入りに踏みつけ、最後につま先でナイフを更に深く押し込んだ。そしてそのまま素早く後退する大西。

 いつのまにか、戦場を静寂がつつんでいた。オークたちも、そしてヌイすら戦う手を止め、大西とオークキングを見ていた。

 ナイフに脳内をぐちゃぐちゃにされたオークはしばしの間もだえ苦しんでいたが、やがて悲鳴が止まり、そして体も動かなくなった。

 動揺がオークの間に広がる。再び切り通しが騒がしくなったが、それは戦声などではなく、オークの恐怖の声だった。一匹のオークが、一目散に切り通しの出口に向かって走りはじめる。ほかのオークも次々にそれに続く。

 

「おっと……」


 敗走に巻き込まれたりすれば、逆に危険だ。大西はさっさと切り通しの出口に向かった。ヌイもそれに続く。いくら狭い場所に閉じ込めていたと言っても、圧倒的な数を誇るオークたちを殲滅することなど不可能だ。相手の戦意が挫ければ、さっさと逃がすという手筈になっていた。案の定、統率者を失ったオークたちは大西など目もくれず我先にと逃げて行った。

 二度目の防衛戦は、こうして大西たちの勝利に終わったのだった。

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