第一章三十話
「トロルを殺したですって……!・」
タープの下で体を横たえていたシャルロッテは、そう言うなり血相を変えて身を起こした。太陽が西の地平に沈みかけ、空が茜に染まったくらいの時刻の話だ。
「死ぬまで見届けました。二匹以上、ほかに居ない限りは脅威の排除に成功したと思っていいかと」
澄ました顔の大西が、背中で眠りこけたスフレを地面に降ろしつつ答える。スフレは大西が頼んだ通り、トロルの殺害に成功した。術式の展開に十分以上かかる大魔術で作り出した巨大な石剣が、まるで神の裁きのように巨人の肉体を両断したのだ。
無論、凡百の魔法使いに扱える術ではない。文字通り人間離れした魔力量と魔法の知識をもつスフレだからこそ実現しえた作戦だった。
「なッ……一体、どうやって」
「魔法による狙撃です」
大西の答えはあくまで簡潔だ。スフレを地面に横たえ終えると、自らも腰をおろし、正座の姿勢になった。ひざ元で土がこすれ、ざりと小さく音を立てる。
「えっ……えっ?」
先ほどまで寝ており、大西がトロルを殺しに行ったことどころか村から出たことすら知らなかったシャルロッテには、あまりに唐突過ぎて理解の追いつかない報告だった。アクアマリンめいた美しい碧眼をまんまるに見開き、言葉にならない声を上げる。
「ただ、やはりトロルが一人だけと楽観するのはやめておいた方がいいでしょう。下手に油断すると、昨晩の二の舞です。破城鎚の建造は続行するべきと具申いたします」
「ええと、その、つまり……本気で言ってるの? 冗談じゃなくて?」
「はい。確かにトロルを一人仕留めました。それは間違いありません」
呑気な寝息をたてるスフレを一瞥してから、大西は小さく頷いた。彼女の顔は再びマスクに包まれており、表情を窺うことはできなかった。
一方のシャルロッテといえば、眉をひそめて口を一文字に結び、手を何度か握ったり開いたりした。そして深く息を吸い込み、一拍おいてからゆっくり吐き出す。
「そう……本当なのね」
「今、僕には嘘を吐くメリットはありません」
大西の表情はポーカーフェイスが過ぎて、逆に胡散臭いくらいだったが、しかしここまで言われては信用しないわけにはいかない。彼の言うように、わざわざトロルを殺したなどという嘘をついても、何一つ利益は無いのである。
「まったく……とんでもないことをしてくれて」
深いため息をつきつつ、すっと肩の力を抜くシャルロッテ。トロルの対処は一番の懸案事項だ。油断するのは論外でも、それが片付いたとなれば安心もひとしおだった。口角を微かにあげ、大西に笑いかける。
「そんなことができるなら、最初から言えば良いでしょう?」
「プランを思いついたのは昨日です。次の襲撃の可能性を考えれば、時間をかけて説得するより独断で動く方が確実だと判断しました。ですが、必要とあらば処罰はうける所存です」
処罰、ということばにシャルロッテが柳眉を跳ね上げる。確かに、リーダーに相談もなしに独断専行で危険な行動をとるなど、言語道断だ。まして大西は、冒険者としては完全な新米である。そこらの冒険者パーティーなら、一発ブン殴られるだけでは済まないだろう。
「そうは言ってもねえ……」
とはいえ、シャルロッテは大西をどうこうするつもりなど、あまりなかった。彼女は騎士だ。強者には、それなりの敬意を払う。トロルを相手に一晩戦い続けるなど、シャルロッテ自身にもできないようなことを容易くやってのける男に、自分が罰を与えるなどと言うことは、想像すらできない行為だ。
「規律保持の観点から見れば、無罪放免はよろしくありません。どうぞ、必要な処置をしてください」
「むむっ」
妙にさっぱりした態度の大西に、シャルロッテとしては苦笑するしかない。変なところで融通の利かない男だ。そこまで言うなら、必要な処置とやらを講じなければならない。表情を引き締め、シャルロッテはしゃちほこばった声を出した。
「では大西に謹慎を命じる。別命あるまで自分のタープで大人しくしているように」
「承知しました」
神妙な顔で頷き、大西が立ち上がる。そしてその場から立ち去ろうとしたところで、その背中をシャルロッテが呼びとめた。
「待って。こっちも連れて行って」
シャルロッテの指差した先には、ぐっすりと惰眠をむさぼるスフレの姿があった。彼女も独断専行の犯人の一人だ。処罰があるというのなら、彼女とてその対象の一人だろう。それに、こんなところに放置されても困る。どちらかといえば後者が本音だ。スフレの世話は大西に徹底的に丸投げしたいシャルロッテだった。
「ああ、すいません」
大西も大西で、シャルロッテの言葉に異論をはさむでもなくスフレを優しく抱き上げ、まるで子供でも抱っこしているかのような姿勢で抱っこして歩き始めた。後にはひとり、中途半端に体を起こした女騎士が一人残される。
「魔法ってことは、実行者はスフレだろうけど……なんにしても、妙に底知れない二人ね……」
一人ごちた言葉は、誰の耳に入るわけでもなく晩春のぬるい空気に溶けて消えていった。




