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第一章三話

 太陽が、沈んでいく。ただでさえ薄暗い森の中は、夕暮れを迎えて昏く沈んでいた。二人はまだ、車の近くに居た。

 大西は、木の根元に体育座りの格好で腰をおろし、運送会社の社名が刺しゅうされたジャケットのポケットに手を突っ込んでいた。ポケットには、何やら棒状のものが入っているようで、膨らんでいる。大西の手は、それをひっきりなしに触っているようだった。

 

「その、すみません」


「はい?」


 ぼんやりしていた大西が、ヌイの方を見た。手の動きは止まっている。ヌイは、軽バンの助手席を限界まで倒して、そこで寝転んでいる。フードを目深にかぶっているせいで、あいかわらず表情は読みにくかった。彼女の足元には、大量の空になった食料の包装袋がくずかご代わりのビニール袋に詰め込まれていた。

 

「いろいろと……貴重な食料や水を分けて頂いて。それに、情けのないところも見せてしまいましたし」


「そういうこともあるよ」


 ひどく素っ気のない態度で、大西は言う。その声には、憐憫だとか気遣いだとか、そういった感情は含まれていなかった。それでいて、冷たいネガティブなものも感じない。無味乾燥な声音だった。

 

「今、大切なことは早く人里にたどり着くことだ。もう食料はすくないし、水を調達するのだって難しい。餓死は辛いから、僕は嫌だよ」


「……」


 半日前までの自分を思い出して、ヌイは黙り込んだ。彼の言うように、空腹と脱水で体が動かなくなり、そのまま衰弱していくのは舌筆に尽くしがたい苦痛だった。できれば、それを避けたいのはヌイとて同じことだ。

 

「だからって今すぐ出発、というわけにもいかないからね。体力も回復してない状態で夜の森を出歩くなんて、自殺行為もいいところだ」


「ええ、同感です」


 ずいぶんと回復してきたヌイだったが、それでも万全とは言い難い。そんな状態で真っ暗な森を強行軍など、出来るはずもない。

 

「今夜一晩休んで、明日の早朝に出発するのがいいと思う。ただね」


「はい」


「僕ぁ土地勘は全くないんだ。」


「でしょうね」


 当たり前だろう、という声でヌイが言い切った。

 

「あなたは、まれびとでしょう」


「まれびと?」


 聞き覚えのない単語に、大西が片眉を上げながら聞き返した。視線も彼女の方に向ける。薄暮と言うには深すぎる闇のベールに覆われた森の中で、白い塗装の古臭い軽バンがぽっかりと浮かび上がっていた。その全開になった助手席のドアの向こうに居るヌイは、確かに大西の方をみていた。

 

「異世界からの来訪者を、私たちはまれびとと呼びます。服装と言い、この良くわからない荷車といい、どうみてもあなたは、こちら(・・・)の人間ではありませんから」


「なるほど」


 こちらの素性をぴたりの言い当てられたのは、大西としても予想外だった。だが、そう言う言葉がある以上、大西と同じような境遇の人間がほかにもいるのだろう。説明が省けて楽だと、静かに頷く。

 

「そう、たぶんその、まれびとって言うのだと思う、僕は」


「私のいた国では、まれびとは吉兆だとされていました。……しかし、悪魔の使いだとか、不吉を呼ぶものとか、悪いイメージを持っている人も少なくはありません。街に出たら、正体は隠しておいた方が賢明でしょう」


「……そうだね、そうしよう。ありがとう」


 よそ者の扱いなど、そういうものだろうと大西は納得する。日本だって、場所によってはよそ者はあまり歓迎されなかったりするのはよくある話だ。

 

「まあ、ですから、異世界の方がこちらの地理に疎いのは、当然でしょう。地図なら一応、頭に入っていますから、帰路については大丈夫です。一日もあれば、森は抜けられるでしょう」


「良かった。それくらいなら、なんとかなりそうだ」


 なぜ土地勘のある場所で遭難していたのかについては触れずに、頷いた。何にせよ、脱出のめどがついたのはありがたいことだ。

 

「ただ、この森はかなり危険な場所です。油断は、してはいけません。妖魔に見つかったら、不味いことになる」


「妖魔?」


「ええ。人類の天敵、狡猾にして狂暴な怪物……それが、妖魔です」


「クリーチャーのようなもの、かな」


 頭を掻きながら、大西が聞いた。名前からして、ろくな連中でないことはわかる。だいたい、森の深奥から時折聞こえてくる鳴き声、あれを発しそうな生き物を、大西は知らない。だから、聞くたびにいやーな気分になっていたのだ。おそらく、その声の正体が妖魔とやらなのだろう。

 

「そう考えてもらって構いません。奴らは多種多様な姿を持っていますが、全般的に人や普通の獣を襲います。小さなものは蟻のようなサイズから、大きいものは小山ほどのものまで、いろいろいます」


「それは、なかなか。できれば出会いたくない相手だね。昨日からここまで、無傷で済んでるのは奇跡かも」


 下手な猛獣よりもよほど恐ろしい相手ではないだろうか。だいたい、山猫や狼の類ですら、武器も使わずに撃退なんて非常に困難な話だ。そんな地形級の敵対生物が出現したら、生き残る自信は無い。

 

「無論、種類によっては私でも倒せます。見捨てて逃げるような真似は致しません、ご安心を」


 運転席側に立てかけている剣をちらりと見ながら、ヌイが言う。剣の横には、矢筒もあった。弓は、車体に立てかけている。

 

「いやあ、危ないなら逃げて欲しいかな。二人まとめて死んでも馬鹿らしいし」


「……」


 ヌイが沈黙する。大西としては、この言葉は心から出たものだった。二人とも死ぬよりは、ヌイが生き残った方がいいだろう。どうやっても避けられない死は仕方ないが、回避できるものはするべきだ。

 

「……いえ、私は、誰かを置いて逃げたりしません。絶対に、そんなことはできない」


「そう? まあ、強制はしないしできないけども」


 生死のかかった話とは思えないほど軽い大西の声音と、必要以上とも感じられるヌイの口調。だが、先に折れたのは大西だった。

 

「まあ襲われなければいい話だし、襲われても撃退できるなら別に大丈夫だろう。駄目そうなら、その時に考えればいいし」


「……ええ、そうですね。慎重に行きましょう」


 言い争いをしても仕方がない。ヌイもそれはわかっているので、おとなしく頷いた。彼の言うように、問題なく森を抜けることができれば、それが最上にはちがいないのだし。

 

「それで、つつがなく街に行けたとして、あなたはどうするおつもりですか? 縁もゆかりもない街で、糧を得るのは大変でしょう」


「さあ、なんだろうか。案外、こういうの、慣れてはいるけど。異世界と言うからには、僕の知っている常識は通じないかもしれないし」


 ヌイの言葉に、大西は視線を宙に彷徨わせた。太陽はとうとう完全に地平線の向こうへ沈んでしまったようで、すでに周囲は真っ暗に近かった。大西が夜目の利く方なので、なにも見えないということはないが、それでもあちこち動き回るなんてとても無理だろう。

 それに、昨夜も感じたことであるが、この森は変だ。ここまで深い森なのに、虫や小動物の気配がほとんどない。聞こえてくるのは、わけのわからない奇声ばかり。きみが悪いことこの上ない。

 

「選択肢としては、二つあります。一つは、日雇いの仕事で糊口を稼ぐこと。大工の下働きや、街の掃除。身体が健康なら、誰でもできる仕事です。そこで資金をため、どこぞの商家や店の下働きに入る。堅実なやり方ですね」


「それなら出来るかな。慣れたものってやつで、もう何回転職したやら」


 くつくつと、静かに大西が笑う。実際、大西の転職経験は、同年代の中ではダントツに多いだろう。数か月以上、同じ仕事が続いたことなどほとんどない。

 

「それで、もう一つは冒険者になること、です」


「冒険者?」


 なんだか、聞き覚えのない単語であった。大西がweb小説に精通した人間ならピンときただろうが、哀しいかな彼はこの手の分野にはとんと疎かった。

 

「ええ。妖魔を狩ったり、この森のような場所……魔境と呼びますが、その魔境を開拓したり、あるいは行商人の護衛をしたり……物騒な仕事を全般的に請け負うのが、冒険者です」


「ほほう」


 傭兵のようなものだろうかと、ぼんやり想像する。頭の中に浮かんできたのは、Tシャツジーパンに防弾ベストを着こんで、ライフルを持った男たちの姿だ。もっとも、ヌイの持ち物から見て、こちらの世界ではあったとしても精々マスケット銃程度だろうが。

 

「これはギルドに登録すればだれでもなれます。危険なだけに、人死にも多い仕事ですからね。かくいう私も、冒険者です」


「なるほど、なるほど……大工も清掃業も前にやったし、やるならそれかな」


「……なんだか、私、あなたならそう言うんじゃないかと思ってました。ええ、ええ。たぶん、向いているんじゃないでしょうか、あなたには」


 不思議な声音で、ヌイがそう言った。その意図が読めずに、大西が首をかしげる。すくなくとも、今まで物騒な仕事は一度もやったことが無い。平和な仕事ばかりだ。だから、そんな傭兵めいた仕事に向いているだなどと言われるとは、思ってもみなかった。

 

「とはいっても、冒険者は武具は自弁するものです。装備を手に入れるためにも、結局なにか短期の仕事をやらなくてはならないと思います」


 そこで、ヌイが整った眉根の皺を寄せて、ゆっくりと自らの頬を撫でた。滑らかな肌の感触と、対照的な傷跡の手触り。そして今度は、足元に目を向ける。自分が食べた食料の入っていた袋たちが、そこには有った。

 無論大西とて、そこまで多くの食料も水も用意していなかった。一人分を、最小限だ。そしてそれらは大半が、ヌイの腹に収まることになった。大西は水はともかく、食べ物はほとんど口にしていない。

 

「……ですが、ええ、なんとかできるかもしれません。武具の用意は、そんなにお待たせはしないかと」


「なにを考えているのか知らないけれど」


 声音の変化を感じとったのか、大西が穏やかな口調で言う。

 

「変に恩とかなんとか、考えなくていいからね。偶然、いろいろ持ってたからあげられただけで、何も持ってなかったら、どうもできなかったし。僕は月のうさぎとは違うからね」


 その言葉に、ヌイが大西に胡乱な目を向けた。何も持ってなかったら、それは勿論どうしようもないだろう。なにをあたりまえなことを、というのがヌイの心の声だ。月のうさぎ云々の話も、よくわからなかったし。

 だが、議論するつもりがあるわけでなし、ヌイは抗弁しなかった。大西に下心がないのは、すでにヌイとしてもわかっていた。であるなら、この提案は拒否されるかもしれないというのは最初からわかっていた話だ。だったら、拒否できないよう、無理やり押し付ければいい話だ。

 

「とりあえず、今日はこのくらいにしておかないか。明日は早いだろうし、体力も温存したい」


「そうですね、休みましょう。ただ、妖魔の夜襲があるかもしれません。私も注意はしますが、警戒は怠らないようにしてください」


「わかった、そうしよう」


 ヌイとしては交代で見張りをしようかとも考えたのだが、大西の見張り能力がどの程度なのか信用しきれなかったし、ヌイ自身も今だ全身に重りのように疲労が張り付いて、本調子とは言い難い。明日のことを考えれば、もう一斉に休んで、体力の回復に努めたほうがむしろ生存確率は高くなるだろう。

 

「じゃあ、そういうことで」


 それっきり、大西は静かになった。ヌイは目をちらりと大西に向けたが、彼は体育座りの格好のまま頭を自分の足に預け、微動だにしていない。あれが、寝る姿勢なのだろうか。疑問に思ったが、口に出すことはできず、自らも目をつぶった。


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