第一章二十八話
昨日は体調不良でダウンしており、投稿できませんでした。申し訳ありません
「ふう……やっと落ち着けますね」
地面に腰を下ろしながら、ヌイが深く息を吐いた。キャンプ地の端に建てられた、小さなタープが初夏の陽光を遮り、穏やかな風がゆるやかに吹いている。戦場とはほど遠い、穏やかな光景。
昨晩から一睡もしていない一行を休ませるため、村長によってあてがわれた場所だった。ちなみにシャルロッテは別のタープで休んでいる。四人で休むには、このタープは狭すぎるのだ。
「そうだね」
大西が、ちらとタープの外を窺いながら答える。革鎧は脱いでおり、普段着の亜麻のシャツ姿だ。ヌイの方も血まみれで使い物にならなくなった外套は着ておらず、身軽な格好をしている。
「流石に、私もずいぶんと疲れました」
「結局、昨日はほとんど休みなしだからね……」
そう言いながら、大西は鞄をヌイに手渡した。手に入れた当初はほとんど空っぽだったこの大きな鞄は、いつの間にか中身が詰め込まれそこそこに膨らんでいる。うけとったヌイは、ずしりとした重さを感じた。
「枕に使えるんじゃないかな。せっかくだし、ゆっくり寝たほうがいい」
「そんな」
受け取ったそれを見て、それから大西の顔へと視線を移したヌイは、小さく笑いながら首を振った。
「これはオオニシが使ってください。野宿は慣れてますから、必要ありませんよ」
「僕は寝るときに枕を使ったためしがないんだ。必要ないよ」
鞄を返そうとしたヌイだったが、大西はそれを受け取らない。視線を外へ向けたまま、静かな口調でそう言う。
「……そうなんですか?」
「うん。今までずっとソファだとか床だとかに座って寝てたから。そもそも寝るときに横にならないんだよ」
嘘ではなかった。大西は本当に、ベッドやふとんで寝る習慣のない男なのだ。墓場にこしらえたテントでも、彼は体育座りの姿勢で寝ていた。スフレを泊めたときは、ずいぶんと変な顔をされたものだ。
「ううん、じゃあ、お言葉に甘えましょうか……」
一瞬大西から視線を逸らしてから、ヌイは鞄をむき出しの地面に置く。岩石質の、砂っぽい土だ。敷物などは敷かれていない。
「でも、正直な話、寝られる自信がありません。ご存じでしょうが、寝つきが悪いんですよ、私は。目を閉じるといろいろ余計なことを考えてしまって……」
地面にうつぶせになって呑気な寝息を立てているスフレを見ながら、彼女は苦い笑みを浮かべる。どこでもすぐ寝ることができるスフレを、多少羨ましく感じるのだ。
「余計な事?」
「ええ。いろいろと」
大西の目が、ヌイに向けられる。両者の目があった。なんだか照れくさくなって、ヌイはすぐに視線を外す。
「自分がここにいる意味はあるのだろうか、とか。これからどうすればいいんだろうか、とか」
「なるほど」
炊き出しやけが人への治療でにぎわっているキャンプの中央と違い、ここは静かなものだ。もちろん狭いキャンプだから、人の声や音はいくらでも聞こえてくる。しかし冒険者たちの休息を邪魔してはいけないと言い含められているのか、村人たちはこのタープの周りには近づいてこなかった。
そんな環境のせいだろうか、スフレはいつになく自分の口が軽くなっていることに驚いていた。何かを考えるより早く、言葉が口から出ていく。
「なんだか、ふわふわした感じで、現実感が無くて。それなのに、妙に身体も心も重くて……」
その言葉に何かを返すでもなく、大西は体をヌイの方へ向けた。そのまま、小さく頷いて先を促しつつ、片膝立ちだった姿勢を正座に直す。
「どうしていいのかわからないから、辛いのかも。今までは、少なくとも目標だけはありましたから」
彼女は、かつて復讐のために生きていた。たとえ殺意や憎しみと言ったネガティヴな感情が原動力だったとしても、少なくとも生きる気力はあったのだ。しかし今はそれがない。だからと言って、自ら死を選ぶという方法も、前回の遭難でやる気が失せてしまった。
いつの間にか、ヌイの両手は堅く握りしめられていた。意識的に力を抜き、深く息を吐く。
「ふむ……」
表情を変えず、大西は静かに唸った。
「さっきも言った話だけど、急所を正確に打てば大抵の問題は解決するんだ。この場合の急所と言うのは、どういうモノが当たるんだろうか」
「急所……ですか。それは、やっぱり目標を見失っているというのが大きいんだと思いますが」
結局のところ、何をすればいいのかわからないというのが、自分の悩みの最大の原因であることをヌイは理解していた。無論、家族を失った悲しみや、賊に対する憎しみを失っているわけではない。しかし、それを発散する方法を失ってしまったがために、彼女はこうして足踏みを続けているのだ。
「……オオニシは、何か目標を持っていますか?」
「あるよ」
「あるんですか……」
普段のぼんやりした主体性のなさそうな彼を見ていると、とくに目標などもっていなさそうだと失礼なことを考えていたヌイだったが、大西は躊躇することなくあると答えた。
「それはまた、どんな?」
「目標と言うか、夢と言うか。不労所得で可愛い嫁さんを養いながら死ぬまで遊んで暮らして、その嫁さんに看取られたいんだ」
「なんですかそれは……」
不労所得だの、死ぬまで遊んでだの、ひどく不真面目な夢だった。あんまりといえばあんまりな夢に、ヌイの頬が思わず緩む。
「確かに、それは幸せそうですけれど」
「多分幸せだろうね。だからいいんじゃないか」
いつものぽややんとした顔でそんなことをのたまう大西。
「まあフリーターなんていう、不労所得からは程遠い仕事をしていたわけだけど。その上仕事を投げ出して、何年も旅をしてみたり。考えてみれば、ずいぶんと夢に対して不真面目だな、ぼくは」
苦笑するでもなく、あくまで真面目な風にふざけた言葉を続ける大西に、ヌイは思わず声を出して笑ってしまった。鈴の転がるような、軽やかな声だ。
「そんなのでいいんですか?」
「いいんだよ、緩くて。楽しいのが一番だ」
「ゆるくて楽しい、ね……」
ヌイの今までの人生とは正反対の言葉だった。だが、だからこそ今自分に必要なのは、そういった癒しなのではないかと、ヌイはふと思った。
「そういえば、私も昔は夢がありました。下らない、子供っぽい夢ですが」
「それはまた、どんな?」
「その……」
ふいと顔を逸らし、一瞬躊躇する。彼女の頬が、紅をさしたように赤くなっていた。
「お嫁さん、です」
「お嫁さんか……」
だからこそ、傷跡を人に晒すのを嫌がっているのだ。顔にこんな大きな傷がある女など、嫁に貰いたい男はいないだろうと考えてしまっていた。
しかし、今はフードを被らず、素顔をさらしている。大西は、ヌイの傷跡をまったく気にしていないからだ。彼は傷跡をじろじろ見たりしないし、だからと言って妙な気を使ってくることもない。あくまで自然に接してくれる。そう言う態度は、ヌイにとってか心地よいものだ。だからこそ、大西の前では自然にフードを脱ぐことができるのかもしれない。
「……オオニシ、私は"可愛い嫁さん"になれると思いますか」
「僕は余裕でなれると思う。ただ、配偶者に求める要素と言うのは人それぞれで、絶対の保証をすることはできないんだ。そこは申し訳ない」
「いえ。いいえ。……その言葉だけで、十分です」
何とも煮え切らない、大西らしい言葉だったが、しかしそれでもヌイは華やかに笑った。何かが吹っ切れたような、晴れやかな笑顔だった。
「オオニシ、少し、お願いがあります」
「なに?」
「手を……握っていただけませんか。そうすれば、ちゃんと寝られる気がするんです」
ヌイはそう言いながら、ゆっくりと体を寝かせて大西の鞄に頭を預けた。いつまでも、こうしてお喋りしている訳にはいかない。適切な休憩を取るのも、戦士の仕事の一つだからだ。敵はいったん引いたとはいえ、いつまた襲撃を受けるかわからないのだ。休めるうちに休んでおく必要がある。
「私が寝付くまでで構いませんから。……駄目、ですか?」
そっと大西に向けて手を差し出すヌイ。彼は身体を彼女の方へ寄せ、その手を躊躇なく握った。
「わかった」
「ありがとう、ございます」
大西の手は硬く、少しだけ冷たかった。ふっと小さく息を吐き、もう一方の手を自らの胸に当てるヌイ。今度は深く息を吸い込んで、そしてゆっくりと吐きながら目を閉じた。
(ああ、この手なら)
ヌイの心は、不思議と凪いでいた。ただ、人の手を握る。それだけで、絶えず彼女を苛んでいた不安や後悔が、小さく萎んでいくようだった。家族を失ってから一人で生きてきたヌイにとって、この大きな手は何物にも代えがたい安心感があった。
(ずうっと握っていたい……)
まるで水に沈んでいく小石のように、彼女の意識はすっと落ちて行った。余計なことなど考える暇もない。久し振りの感覚だった。
静かに時間が流れていく。大西は、ヌイの手を握ったまま微動だにせず、じいっと彼女を見ている。
「……よし」
寝息や瞼の下の目の動きから、ヌイが完全に眠ったことを確認し大西はその手を放した。彼女は小さく悩ましい声を上げ、眉を顰めたが、目を覚ますことは無かった。
大西は立ち上がり、そのまますぐ近くでベタンと潰れたような状態で眠っているスフレの元まで歩き、小さくその肩をゆする。
「ううん……なんだい?」
「トロルを殺しに行く。手伝ってほしい」




