第一章二十六話
ストックが切れたので、次回からは水曜日・土曜日の週二回更新となります
左右を高さ数メートルの崖に挟まれた、荒れた道を大西とヌイ、そして大西にだっこされたスフレの三人が歩いている。村のすぐ奥にある、山中へと続く道だ。崖は岩場を切り拓いて作られた、人工的なものだ。
「この切り通し……迎撃戦は、村の正門よりこっちがやり易そうだね」
崖の風化して滑らかになった表面を見ながら、大西が言う。彼の言うとおり、幅が三メートルほどの道がしばらく続くこの地形は、寡兵で大軍に立ち向かうにはぴったりの地形だ。
「ええ。昨晩の会議では、村民をいったん山の方へ避難させ、こちらで迎撃する案も出ていました。結局、まとまる前に攻撃を受けましたが……」
左右に首を振りながら、ヌイがため息を吐く。百年ほど前まで、村はもっと山の中にあった。この切り通しはその時代の防衛設備なのだ。もっとも、村民の増加によって交通の便の良い麓へ村自体が移転してしまったため、今回の襲撃では役に立たなかったのだが……。
「……正直なところ、敵襲があの一回だけとは思えません。あの欲深い連中が、手負いの得物を放置するとは思えませんから。二回目は、おそらくここでやることになるでしょう」
胡乱げな目つきでヌイが後ろを振り返った。村の方の土塁や櫓といった防衛設備は大半が破壊され、用をなさなくなってしまっている。オマケに、村自体もずいぶんと壊されてしまったため、逆に放棄するためのあきらめもつくだろうというのが、ヌイの考えだった。ここに防衛線を敷くということはつまり、村自体はそのまま妖魔どもに明け渡すということになるのだ。
「ということは、村の人たちは大半がむこうに避難しているの?」
「そうです。とはいっても、逃げ延びられたのは元の三分の二程度の人数ですが……」
残り三分の一は、昨日の一夜だけで皆死んでしまった。小さな村とはいえ、その人口は優に百人を超える。それだけの人数が、わずかな時間で消えてしまったのだ。そう思うと、自然にヌイの身体に力が入った。奥歯がギリと微かに鳴る。
「ヌイ」
「……なんですか」
「次は勝てるよ、僕がなんとかする。運悪く大失敗しない限りはおそらく大丈夫だから、安心してほしい」
静かな、そしてひどく自然で気負いのない声だった。言葉と、言い方が合っていない。大西は、まるで今日の夕飯について話すかのような気楽な様子で、とんでもないことを言い放ったのだ。
「えっ」
「えっ」
ヌイの間抜けな声に、大西まで驚いて変な声を上げた。なんでそんな反応なの、と言いたげな微妙な表情を浮かべる大西。
「オオニシ、あなた、昨日は逃げたほうがいいって言っていましたよね? ……なのにトロルに平気で突っ込むし、突然大丈夫だなんて言い出すし……」
そんな大西が不服なのか、拗ねたような目をしながら言い訳がましくぶつぶつと言うヌイ。正直なところ、彼が何をしたいのか、ヌイにはよくわからなかった。いくら何でもやることが極端すぎるのだ。まともに戦いもせずに逃げようとしたり、そうかと思えば命知らずにもほどがあるような戦いを挑んだり。こんな男は、今まで見たことが無かった。
「いやさ、だってヌイ、僕がスフレと二人だけでさっさと逃げたら、きみとは二度とこういう風に普通におしゃべりすることができなくなっちゃうじゃないか」
「……は?」
「たとえこの戦いで生き残ることができても、自分を見捨てた相手と日常会話できるタイプの人間は結構少ない……はずだ」
「え、ええ、まあ、それは……」
予想外にもほどがある返答に、ヌイはどう反応していいかわからずしどろもどろになってしまう。そういえば、樹海で出会った時もそうだったと、ふと思い出すヌイ。大西は平々凡々な青年に見えて、実のところ内面はずいぶんと変わった男のようだ。
「じゃあ、なんですか。貴方はそんなことのために、ここに残ったと……?」
「実際のところ、そうだよ。気に障ったのなら、申し訳ないけれど。だけど、ふざけているとは、思わないでほしい。僕にとっては大切なことなんだ」
言葉のとおり、大西にはふざけたり冗談を言っている様子など無かった。真冬の湖面のように凪いだ真っ黒い目が、静かにヌイを見つめている。
「……まったく、貴方は。危なっかしいくらい変な人ですね」
ヌイはもう、怒る気もしなくなって口元をわずかに緩めた。ふっと身体の力が抜ける。正義感だとか、あるいはヌイの肉体が目当てだというのなら、まだ理解できる。しかし、まだ出会って大した時間も経過していない、友人ともいえない女とお喋りしたいからという理由で命を賭ける男など、そうそうは居ないだろう。
ふっと小さくヌイがため息を吐いた、呼吸と一緒に、胸の中の重石が少しだけ軽くなったような気がする。まったく、人を脱力させる事に関しては天下一品だと、ヌイは大西から目を逸らしながら思った。
「自覚はあるんだけど、直す気はない」
「そうですか。それじゃあ、変な女に引っかかって死なないように精々気を付けてください」
突き放すような言葉だったが、その声音は決して冷たいものではない。変なヤツには違いないが、どうもヌイは大西を嫌いにはなれなかった。
大西が、いつも自分の意志を尊重して動いていてくれているからかもしれないと、そこでふとヌイは思い至った。大西はヌイの言葉を否定せず、さりとて単なるイエスマンにならず、言うべきことは言う。ヌイが成したいと思っていることが、最終的には達成できるよう、彼は常に動いてくれているのだ。悪い気はしなかった。むしろ、嬉しい。こういう風な扱いを受けるのは、彼女にとっては生まれて初めての経験だった。
「無茶をする気はないんだよ、実際のところ。昨日とは状況が変わって、勝ち筋が見えてきた。だから大丈夫だと判断したんだ」
「……どういうことです?」
ヌイが首をかしげた。確かに状況は変わった。だが、それは決していい方向に変わったとは言い難い。大勢の人が死傷したし、村の防衛を担う衛兵も数はずいぶんと減ってしまった。もう一度襲撃があれば、守りきる自信はヌイにはなかった。
オークはまだしも、トロルの脅威が大きすぎるのだ。あの巨人を自分たちでどうこうするのは不可能だということは、昨晩の攻防でよくわかったし、その圧倒的な暴威はただそこにいるだけで村人たちの士気をそぐ。
「僕の師父曰く━━」
ふいとヌイへと視線を移し、大西が小さく微笑んだ。
「━━あらゆる問題は急所を全力で殴れば解決する」
穏やかな口調に似つかわしくない、恐ろしく乱暴な言葉だった。ヌイの柳眉が昇竜のごとく跳ね上がったが、しかし大西は気にすることなく視線を前方に戻す。
「敵の急所はわかった、後は殴るだけ。単純だろう?」
「いや、簡単にそれが出来たら苦労しないんですよ」
一刀両断だった。確かにその通りで、状況は決してラクラクに解決できるほど甘いものではない。やるべきことは山積しているし、それが成し遂げられるかも不透明だ。大西は楽観的過ぎるとヌイは思う。
「まあ、そうだね。攻撃は当てるまでが難しい」
大西はふいと目を自らの肩に頭を乗せて熟睡しているスフレの顔へ向けた。真っ白いペスト医者めいたカラスマスクが彼の目にどアップで映る。
「それでも……それでもだ。僕なら何とかできるよ。こういうのは得意分野だ。だから……」
足を止め、大西はヌイに笑いかけた。
「あまり思いつめないでほしい。不安と言うのは万病の元だ。ありとあらゆる分野へ悪影響が出る」
「……そうですね。ありがとうございます」
あまりネガティヴに思いつめるくらいなら、彼のように楽観的に過ぎるほうがまだマシだ。そう思い、ヌイは苦い笑みを浮かべた。強い不安は緊張を招き、戦闘でも本来の実力を発揮できなくなる。言われずとも、熟練の戦士であるヌイは理解していることだ。
だが、頭で理解しているからといって、実行できるかは別の話だ。右手で顔の傷跡を撫でながら、ヌイが深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐く。無意識に固くしていた身体が、若干だが弛緩した。
「どうも私は、神経が弱いですね。不安なことがあるとすぐにこれです。なんとか、鍛えたいものですが」
小さくため息をつくヌイ。
「ストレス耐性は人によって千差万別なんだよ、ヌイ。無理をするのはいけない」
しかし大西は、ふっと笑みを消してそう言った。平坦な口調だった。
「これは、暑いのが得意とか、寒いのが苦手だとか、そういうのと同じ程度の話だ。出来ることを無理ない程度にやればいいのさ」
「そういうものですか?」
「そうだよ」
短く答えて、再び歩きはじめる大西。その歩調に迷いや疲れなどさっぱり感じられず、昨日徹夜で戦い続けた人間には、とても見えなかった。まったく、底の知れない男だと、ヌイは思わず笑ってしまった。彼は相変わらずぽややんとした雰囲気で、頼りがいなど微塵も感じない。それでも、彼が大丈夫と言ってくれるなら、信じてみようかと思わせる何かがった。
「オオニシ」
「なに?」
「……ありがとうございます。本当に。貴方には、お世話になりっぱなしです」
「いや……できれば、もっと頼ってほしい。人に頼られるのは、大好きなんだ」
「そうなんですか?」
「うん」
神妙な顔で大西は頷いた。冗談を言っている様子はない。それが妙におかしくて、自然と笑みが深くなる。
「それじゃあ……有難く、これからはもっと頼らせてもらいますね」




