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第一章二十三話

 丸太と土を組み合わせて作られた質素ながら堅牢な正門は、今や文字通り粉砕され、原型をとどめていなかった。もうもうと立ち上がる粉じんのなか、シャルロッテが正門破壊の下手人を兜に包まれた顔で見上げている。彼女の奥歯が、微かに軋む。

 そこには、月光に照らされた灰色の巨人がいた。身の丈は優に七メートルを超える。足も腕も旧い巨樹を思わせる太さで、子供の描いた絵のように不格好な顔には黒目のない濁った目がらんらんと輝いている。

 

「く……」


 シャルロッテの金属板で補強されたブーツが、ざりと音を立てて一歩下がる。意識してのことではない。本能が、彼女を後退させた。人間のようなカタチをした、それでいて周囲の建物よりも巨大なこの存在は、見る者に根源的な恐怖を呼び起こさせる。

 

「不味いですね……」


 一方、櫓の上にいたヌイといえば、動揺は少なかった。彼女がトロルと呼んだ巨人のコンクリートめいた色合いの皮膚には、既に何本かの矢が刺さっている。村に近づかれる前にヌイが射掛けたものだ。

 とはいえ、相手は直立歩行するゾウのようなものだ。矢の数本程度、なんのダメージにもならない。その不格好な顔に浮かぶ表情は、なんの痛痒も感じていなさそうに見える。

 

「ッ!」


 トロルの不気味な瞳が、櫓の方を向く。目があった、そう直感したヌイは矢筒を押さえながら反射的に物見やぐらを飛び降りた。地上まで五メートルという高さだが、全身の関節と筋肉を柔軟に使い、衝撃を殺しながら着地する。

 

「どうします?」


 そのまま、シャルロッテの元に駆け寄ったヌイは、矢筒から一本矢を抜き出して短弓に番え、いつでも絃を引けるようにしてからシャルロッテに問いかけた。

 

「どうするもこうするも……」


 既に血脂で輝きのぼやけたブロードソードで接近してきたオークに斬りかかりつつ、シャルロッテは眉根を寄せる。胸を切り裂かれてのけぞるオークの腹に強烈なケリを食らわせつつも、その目はトロルを見たままだった。

 

「アレは明らかにわたしたちだけでは手に余る相手よ。勝ち目がない。引くしか……」


「引くと言っても、どこに」


 すでに防衛戦は食い破られた。正門の残骸の向こうからは、無数のオークが我が物顔で村の内部に入り始めている。トロルの攻撃を避けるためにいったん門の内側に退いていたいたシャルロッテには、その侵入を止める手立てはなかった。

 

「とにかく、時間を稼がなくては。こうなっては、村は捨てるほかないわ。村人の避難が最優先よ」


 先ほどまで行われていた会議では、大西とスフレが退出した後一応は具体的な防衛作戦が話し合われていた。それによれば、オークたちの村への侵入を許した場合の話も出ていた。村の奥にある一本道から、山へ避難する手はずになっている。

 こうなってしまえば、防衛線の維持など不可能だ。動揺しつつも、彼女の理性はいち早く決断を下していた。

 

「避難民の誘導をお願い! ここは私たちがなんとかするわ」


 周囲にいた数名の衛兵にむかって叫ぶシャルロッテ。想定外すぎる敵の出現に呆気にとられていた衛兵たちだったが、その激しい声に弾かれたように体を震わせ、裏返った声で返事をしてから脱兎のように走り去った。

 その間にも、状況は進んでいく。トロルはヌイをロックオンしたようで、しゅうしゅうと音を立てて息を吐きだしながら、その巨木めいた足を前に進め始めた。靴も履いていない素足が地面を捉えるたびに、どすんどすんと重苦しい足音が聞こえる。動きは緩慢に見えるが、しかし身体のサイズが人間とは比べ物にならないほど大きいため、速度自体はとても速かった。

 

「あれが村の中で暴れたら対処のしようがないわ。わたしたちが囮になって遅滞させる以外に選択肢はない」


「わかりました、私が前に出ます。シャルロッテは援護を。オークの相手までは手が回りませんので」


 一瞬、シャルロッテは迷った。その役目は自分がやるつもりだったからだ。あの巨人の気を引いて囮になるのだ。その危険度はオークを相手に戦うよりもよほど高い。それを他人に任せるのは気が引ける。

 しかし、大重量の全身鎧をまとったシャルロッテでは長時間走り続けるのは不可能だ。ヌイはシャルロッテに比べれば圧倒的に軽装で、しかも牽制に使いやすい弓も持っている。どちらが適任かは、考えるまでもない。

 

「お願い。でも、無理はしないように」


 そう小さな声で答え、シャルロッテは手の中に収まったブロードソードの柄をぐっと握りしめた。滑り止めとして巻かれた革ひもが、微かな音を立てる。身を低くし、左手の盾を構えてから走り出す。狙いはトロルの周りのオークたちだ。

 一方のヌイは、番えていた矢を引きながら弓を構えた。すばやくトロルの顔のあたりに照準を定め、手を放す。ひゅんと快音を立てながら、短い矢が夜気を切り裂きながら飛ぶ。

 トロルがそれに反応し、顔を腕で隠した。腕の分厚い皮膚に鏃が突き刺さる。簡単な鎧くらいなら簡単に貫通する程度の威力はあるその矢は、しかし皮膚を貫通しきれず肉まで到達できなかった。おそろしい強度の皮だ。下手をしなくてもシャルロッテのフルプレートアーマーよりも堅そうだ。

 

「ちぃっ!」


 舌打ちひとつしただけで、ヌイは文句も弱音も飲み込んだ。そのまま矢筒から二の矢を引き抜きつつ、走りはじめる。筋力増幅(ブースト)で足の筋肉を強化することで、その速度はあっという間に人間の本来の限界を超えた領域へと突入する。まさに疾風のような動き。

 トロルはそれを、緩慢な動きで追いかけた。しかし、見た目には鈍く見えても、そこは巨人。その歩幅は尋常ではなく、速度自体は凄まじく速かった。

 トロルの無骨すぎる顔からは何の表情もうかがえなかったが、しかし地面のひび割れめいた口からはボタボタと涎があふれている。どうやら、ヌイを捕食するつもりのようだ。

 

「……くっ」


 振り返り様に二射目を放ったヌイだったが、やはり矢は腕で弾かれてしまった。動きが鈍い割に、反応はすこぶる良い。当然といえば、当然だ。いくら巨躯と規格外の膂力を誇ろうとも、ただの木偶の棒であるなら優秀な冒険者なら大して苦戦はしないだろう。巨人が妖魔の中でも厄介とされているのは、その高い自衛能力あってのことだ。

 

「とにかく、時間を稼ぐことを第一に……」


 無力感に打ちひしがれそうになる精神と肉体を、今すべきことを念仏めいて唱えることで無理やりに鼓舞する。討伐どころか撃退すら覚束なくとも、少しでも時間を稼げばそれだけ村人たちは遠くへ逃げられるのだ。ここで自分が引くわけにはいかない。

 とにかく、村の外周部を走り回る。時おり振り返り、矢を放つ。かすり傷すら与えられなくとも、敵意をヌイに集中させるためには必要な事だった。幸い、筋力増幅(ブースト)込みの全力疾走なら追いつかれる心配はない。

 

「このっ!」


 小さな民家の近くでターンしながら、弓を構えた。ざりざりと靴底が土を削る感触。視界の端には、天を突くようなオークの身体が見える。そっと弓を握る手を動かし、そして十分な照準をつけずに矢を放つ。矢はトロルの肩に突き刺さった。急所からはかけ離れた場所だが、どうせ弓矢で有効な攻撃をするのは難しいのだから、これでいい。気さえ引ければいいのだ。

 

「━━ッ!」


 近くに居たオークがナイフを振り回しながらヌイに突進してくる。右にステップし、それを回避。また走り続ける。サーベルで迎撃したりはしない。とにかく逃げる。オークは怒り狂ってヌイの背中を追いかけたが、十メートルも走らないうちに物陰から飛び出してきたシャルロッテがそれを斬り伏せた。シャルロッテはそのまま、ヌイやトロルを一瞥もせずに別の方向へと走る。

 じつは、ヌイは意図的に同じ個所をぐるぐると回っているのだ。シャルロッテはそのルートに先回りし、ヌイの邪魔をする雑魚(オーク)を片付けるという戦法である。どちらもそれなりの経験をした冒険者だ。作戦会議などをしなくても、これくらいの連携はできた。

 ヌイはとにかく走り、時々矢を射掛けてトロルの狙いを自分に集中させる。これではいつまでたってもトロルを倒すことなどできないが、村の衆深部にトロルが突っ込めば取り返しのつかないことになる。火力の足りないヌイとシャルロッテでは、こうするのが精いっぱいだった。

 

「はあ、はあ、はあ……」


 そんな命がけの追いかけっこが、どれくらい続いただろうか。ヌイはかなりの長時間走り続けていたように感じていたが、しかし実際は短時間だったのかもしれない。ヌイの呼吸は、すっかり乱れていた。たとえ魔法で補助していたとしても、全力疾走を長時間続けるのは難しい。しかし少しでも速度を緩めれば、容易にトロルはヌイに追いつくだろう。体力の出し惜しみする余裕はなかった。

 

「あっ……」


 一瞬、足がもつれた。普段の彼女であれば、このようなミスはしない。しかしバカでかい巨人が真後ろで轟音を立てながら追走してくるという状況が与えるプレッシャーは、尋常なものではない。ベテラン冒険者といっていい彼女とはいえ、ミスの一つでもしてしまうというものだ。

 そして今、ヌイは百メートルを五秒台でゴールできるほどの速度で走っているのだ。軽く体勢を崩しただけで、リカバリーをかける暇もなく転倒。無様に土の上を何メートルも転がる羽目になった。彼女のダークグレイの外套を土で汚しながら、立てられていた杭にぶつかって停止する。

 

「ぐっ……」


「ヌイっ!」


 遠くでシャルロッテが叫んだが、どうしようもない。トロルは土煙を上げながら急制動をかけ、ヌイの直前で停止する。勢い余って蹴飛ばしたりすれば、彼女の小さな体など一瞬でミンチになり、トロルの食べる場所など無くなってしまう。妖魔とはいえそれは避けたいようだった。

 

「うっ」


 急いで体を起こそうとしたヌイが見たものは、自分を掴まんと目の前にまで迫ってきた巨大な手のひらだった。灰色のコンクリートめいた皮膚の手が、視界いっぱいに広がっているのだ。反射的に転がってそれを避けようとするが、もはや間に合う距離ではない。死ぬ。そう直感した。

 


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