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第一章二十二話

 村の周囲を囲む土塁は、ただ単に山形に盛った土を踏み固めただけの簡素な構造だ。高さは二メートル五十センチといったところで、王都を囲む城壁と比べれば雲泥の違いがある。この手の防御陣地としては最低限の代物である。

 それでもゴブリンなどの低級妖魔相手には十分な守りであったのだが、そこらの成人男性よりもよほど体格がよく、筋力も強いオークであれば容易く乗り越えることができる。

 

風刃(ウィンド・スラッシュ)! ええい、らちが明かない!」


 大西の背中で器用に杖をぶんぶんと振り回しながらスフレが何度めかの愚痴を吐いた。紅い光を放つ杖の先端から不可視の斬撃が飛び、土塁の上に乗っていたオークの首をギロチンめいて切断する。既に彼女の戦果(キルスコア)は二桁に達しているが、敵の圧力は弱まるどころが強くなる一方だ。

 

「敵はおそらく百以上。歩兵中隊(カンパニー)規模くらいだね。攻撃三倍の法則を勘定に入れても旗色はかなり悪いんじゃないかと」


「おー冷静冷静」


 顔色一つ変えず、大西はしっかりとした口調でそう言い切った。落ち着いているような言動だが、その足は全力疾走していた。

 小さい村とはいえ、土塁は村の半分以上をカバーしているので防衛範囲はかなり広い。オークを一撃で屠る攻撃力を持っているのはヌイ、シャルロッテを除けばスフレだけなので、彼女の足たる大西は大忙しだった。それでも規則正しい呼吸を維持し、なおかつお喋りまでする余裕がある当たり、彼の体力も尋常なものではない。

 

「うおおおおおおッ!!」


 土塁から頭を出したオークの顔に、農夫の一人が渾身の力でピッチフォークの穂先を突き出した。武器である槍の鋭さから比べればあまりにも鈍いその先端だが、それでも農作業で鍛えた筋力と合わせれば、十分な殺傷能力を持つ。しかし

 

「━━━━ッ!」


 オークは獣じみた唸り声を発しながら、それを丸太のように太い腕で容易に払いのけた。農夫がたたらを踏む。長柄武器というアドバンテージを加味しても両者の戦闘力の差は凄まじく、生物としてのスペックの差を感じさせた。

 そのままの勢いで、オークはずいと体を引き上げ、軽々と村の内部へ降り立った。先ほどの農夫がフォークを構えなおしたが、その腰は引けており柄を握る手は小刻みに震えている。


「魔法は?」


「クールタイム。十秒待て」


「分かった、僕が行く。少し待っていて」


 戦場に置いて、十秒は致命的な遅れだ。大西が左手で軽くスフレの肩を押す。降りろ、ということらしい。どうするつもりかといぶかしみつつも、彼女は抗弁することなくそれに従い地面に足を下ろした。問答している場合ではないし、彼の力量もここで見ておきたかった。

 

「無理するなよ」


「勿論」


 当然とばかりに大西は頷き、そして両手を軽くスナップさせた。同時に地面を蹴り、走る。オークと大西、両者の距離は十メートル弱と言ったところ。接近戦以外選択肢にない大西からすれば、超遠距離と言っていい。

 それだけの距離が、一瞬で詰まった。一番近くにいたはずのスフレでさえ、何が起こったのかわからなかった。気付いたら、大西がオークに肉薄していた。そうとしか見えなかった。

 

「━━━━!」


 さしものオークも、これには目を向く。だが生粋の種族種族であるオークは、驚いたからと言って動きを止めるような無様はしない。腰みのに下げていた粗雑なナタを反射的に抜き、目の前に現れた大西を迎撃せんとそれを振りぬいた。

 オークの眼前で急制動をかけた大西の前髪すれすれを、錆びた刃が通過していく。文字通り間一髪の距離だ。それとほぼ同時に彼の左手が蛇のような動きで突き出される。拳は握られておらず、貫手の形だ。目にもとまらぬ速度でオークの顔面に向けて襲い掛かる。

 狙いは、目だ。そう直感したオークは反射的に目を閉じながら顔を逸らす。しかし貫手はフェイントだ。左手は途中で引き戻される。同時に、大西の左足が地面を強く踏みつけた。それによって得られた反作用が、足、腰、背中、そして肩と腕の筋肉によって生み出された力と混ざり合い、右手の正拳突きとなって撃ち出される。中国武術特有の動きだ。

 

「━━━━ッ!」


 縦拳と呼ばれる拳が地面に対して垂直になる独特なパンチがオークの鳩尾に突き刺さった。ショットガンを思わせる強烈な破壊力。オークの口から悲鳴と唾と呼気が混然一体となったものが吐き出された。一般的な人間なら一撃で戦闘不能になる、強烈な一撃だ。

 しかし相手はオーク。そのタフネスは一般人など比べ物にならない。その濁った瞳に憤怒を宿し、小癪なちび(・・)を払いのけようとナタを持っていない方の手を振った。

 十分な体制が整っていなくとも、人外の筋力で振るわれたそれはまともに喰らえば大西とてただでは済まない。だが、それはあくまでまともに喰らえばの話。

 

「……」


 彼の左手が、無造作に突き出された。そしてそのままオークの腕をするんと無造作にキャッチし、軽く力を加える。受け止めるのではなく、受け流す動き。予想外のベクトルを加えられたオークの腕は、大西を捉えることなく空を切る。

 それとほぼ同時に、大西の足が跳ねるようにカチ上がった。金属で補強された革のレッグガードに包まれた膝が、オークの無防備な金的に打ち付けられる。攻撃と防御の混ざった見事な動きだった。

 オークは、人間と同じよう身体構造をしている。当然、股間は最大級の急所と言っていい。そこを蹴られたのだから、さしものオークも声にならない悲鳴を上げて悶絶した。緑色の肌にじわりと粘度の高い汗が浮かび、身体がふらふらと揺れる。

 

「おう」


 それでも、オークはいまだに健在だった。憤怒と共にナタが翻り、大西に向かって襲い掛かる。対する大西は、さすがに一連の動きで攻撃のコンボは打ち止めであり、その一撃をなんとかバックステップで回避するのがせいぜいだった。

 これは大西の学んだ拳法が、一撃必殺に偏重したものだったことが原因だ。人間相手なら、あの攻撃で斃れない相手などほぼ居ないのだ。恐るべきはオークのタフネスである。

 

「お願い」


「あいよ、風刃(ウィンド・スラッシュ)


 しかし、時間は稼げた。攻撃能力は大西よりスフレの方が圧倒的に高い。弾けるような音と共に放たれた風の刃が、オークの胴体を真っ二つに切り裂く。臓物をまき散らしながら、オークは一瞬で絶命した。


「ごめんね、六秒とは言わず十秒でも倒し切れないとは」


「いやいや、筋力増幅(ブースト)なしの徒手空拳で武装したオークと殴り合えるとか普通にどうかしてるぞ。思った以上にとんでもなかったな、きみは!」


 スフレの見るに、時間的な余裕がありなおかつ一対一という状況なら、大西は普通にオーク相手に完勝できそうだった。彼の攻撃は、まったく通用していないというわけではなかったのだから、同じようにして何度も殴る蹴るしては後退し、また攻撃するというヒット&アウェイ戦法を取ればオークとていずれは倒れるだろう。無論、魔法もなしにそんなことが出来る人間はこの世界にもそうそう居ない。

 

「なんにせよ、僕では彼らと戦うにはまったく打撃力が足りない。オフェンスはスフレに丸投げした方が良さそうだね」


「ああ、そのための魔法だ。任せてくれ」


 頷きながら、再び大西がしゃがみこんだ。スフレが背中に乗る。この状態での戦闘は見た目こそ間抜けなものの、足の遅いがオークを一撃で倒せるスフレと、機動力が高く十分な自衛能力も備える大西の組み合わせは事実かなり相性が良かった。

 

「す、すみません、助かりました」


 そこに、先ほどフォークを構えていた農夫が話しかけてきた。汗の浮かんだ顔は、いまだに顔色が悪かった。息も荒い。彼は今まで戦いなど無縁の生活を送ってきたのだろう。訓練もなしにいきなり実戦など、無理があるというものだ。

 

「仕事の内です」


 やわらかな笑みを浮かべつつ、大西は首を横に振った。そして、空に一瞬目をやる。星空と、赤い満月と、青い少しだけ欠けた月。既にだいぶ夜も更けている。夜勤の割増賃金は出るのだろうか。いや、出ないだろう。そんなことを考えながら、立ち上がる。大西の肩に乗ったスフレの手にぎゅっと力がこもった。

 

「それでは。まだまだ残業がありそうですので、行って参ります」


 そう言って一礼し、周囲を見回す。既に何匹かのオークは土塁の突破に成功しているようで、足音や打撃音、悲鳴などの戦闘音は村の内側でも聞こえ始めていた。ヌイたちはまだ、正門で頑張っているだろう。自由に動けるのは、大西とスフレだけだ。仕事はいくらでもある。

 大西は両手を背中に回してスフレが落ちないようにぐっと固定し、走りはじめた。土塁に沿って進む、時折、オークの姿を見つけてはスフレが背中で杖を振るい、魔法を飛ばした。その様子は、まるで映画の騎兵隊のようだ。もっとも、隊と言うにはあまりにも数が少ないが。

 

「くそ、まだ終わらないのか」


 スフレがそう吐き捨てたのは、戦いが始まってから半時間が経過したころだ。魔法を連発し、既に十以上の首級を上げた彼女だったが、いまだに敵の攻勢は弱まる気配がない。

 その息は荒く、そして大西の背中に捕まる力は当初よりかなり弱くなってきている。自分で走る必要が無いとはいえ、魔法は案外体力を使うので運動不足の彼女には連続した戦闘は辛いものがあった。

 それでも、いまだ防衛戦の維持が出来ているのは、大西の健脚と彼女の魔法の腕があってのことだ。普通の魔法使いならば、とっくに魔力切れでへばっていただろう。

 

「ポン刀の一本でも借りてくればよかったよ、ほんと」


 大西の頭に浮かんでいるのは、フランキスカの顔だ。大切な刀をそう簡単に貸してくれるはずもないが、とはいえ真っ当な武器を大西が持っていれば、もう少し状況はマシだったのは確かだろう。焼け石に水かもしれないが。

 

「とはいえ、無い袖は振れない。次回はこうならないよう気をつけよう」


「次回があればいいけどね……落雷(サンダー・ストライク)!」


 呆れたような声を出しつつ、スフレが杖を一閃。虚空から現れた白銀の輝きを放つ稲妻が、村の外周を我が物顔で歩いていたオークを吹き飛ばした。オークは待っ黒焦げになり、全身を痙攣させながら民家の壁に衝突して動かなくなる。

 

「その時には来世に期待しよう。功徳の貯金は十分とは言い難いけども」


 腰のベルトに固定した革袋をぽんと叩いて大西は笑った。袋の中には、マニ車が入っている。そのあっけらかんとした軽い言い方に、スフレがふっと笑いを含んだ息を吐き出した。

 

「そりゃあいい。次は完全無欠絶対無敵のチーターに生まれ変われるかもしれないぞ」


 張りつめていた空気が、一瞬緩んだ。そしてスフレが次の敵を探して目を細め……

 

「ッ!?」


 その瞬間、地面が突然に揺れた。同時に、音と言うよりは最早衝撃波に近いような破砕音が大西とスフレの全身に叩きつけられる。大西が、転倒しまいと足を踏ん張る。スフレは反射的に音の出所である後方を振り返った。正門のある方向だ。

 

「なッ……!」


 そして、絶句する。彼女の視線の先には、粉微塵になった正門と、そしてそれを蹴り飛ばしたような姿勢の巨大な人影があった。月光に照らされたその人影は、周囲の民家よりも大きい。

 

「巨人、だと」

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