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第一章十七話

「これは……」


 村の郊外に広がる背の高い草が生い茂った野原で、ヌイがぽつりとつぶやいた。ここは村からも畑からも道からも離れた場所で、普段は村人もめったに入り込まない。草原とはいっても人間の背丈とそう変わらないくらいのイネ科めいた外見の草が密集して生えているため、見通しも効かない厄介な場所だった。

 

「見てください、足跡です」


 ヌイが草をかき分けながら指差した先には、踏み荒らされた草といくつもの足跡があった。足跡の形から見てそれは明らかに野犬や猪などの獣の仕業ではなく、人為的なものと読み取れる。草が念入りに踏みつけられ、簡単な道のようになっているのだ。

 

「足跡の形から見て、オークのものでしょうね」


 兜のバイザーを上げながらしゃがみ込み、シャルロッテが言った。足跡は、人間の素足でつけたような形をしており、全体的にかなり大きいものだった。それが無数についている。足跡の主は、ひとりふたりではないだろう。

 むろんこんな場所で村人が裸足のまま集団でうろうろするはずもない。これは、オークたちが移動して出来た跡にちがいなかった。

 

「これ、古いのも新しいのもありますね。踏まれた草も枯れかけてるし……一朝一夕にできたものじゃないかも」


 大西が自分の顎を撫でながら、シャルロッテに向かって言う。確かに足跡は、風雨で消えかけたものもあれば、明らかに最近できたものまである。長時間にわたってこの場所を道として利用していなければ、こういうことにはならないだろう。

 

「これは……近くにオークの野営地があるかもしれないわね。すくなくとも、これをたどって行った先に何かがあるのは確かでしょう」


「追いますか」


 彼の問いにシャルロッテは顔をしかめながら天を仰いだ。太陽はすでに西に傾き、空の色が変わりかけている。時間的な猶予はもうないだろう。夜になれば、奇襲を受ける確率は格段に高まる。にわか作りのこのパーティーがそれに対処するのは、非常に難しいだろう。

 

「やめておいたほうがいいわ。深追いは危険すぎる……それに」


 オークたちの"道"を見回しながら、シャルロッテが唸った。道は広く、足跡は多い。かなりの数のオークが通った形跡がある、ということだ。すでに一行は森で遭遇した物を含めて三回、オークの偵察隊を発見し殲滅している。偵察隊の数とこの道の状態を合わせて考えれば、敵の本隊の数はかなりの物と推測できる。

 もし下手に追跡してこれと遭遇すれば、全滅は避けられない。そうなれば村の命運は尽きたも同然だ。

 

「蛇が潜んでいることがわかっている藪をつつく気にはなれないわ。ここも危険だし、いったん村へ帰りましょう」


 シャルロッテは、慎重策を選んだ。手練れであればもっと積極的に動けたのだろうが、このパーティーにそれを望むのは難しいのは、彼女はよく理解していた。まったく、難儀な依頼を回されたものだと腕を組みながらため息を吐く。

 

「少し待ってください。……どこかから、腐臭が」


 ゆっくりと首を左右に振りながら、ヌイが小さな声で言う。大西もすぐに鼻に意識を集中したが、怪しい臭いは感じとれなかった。とはいえ、大西は臭覚が別段優れているわけではない。ヌイが腐臭がするというのなら、本当にどこかで何かが腐っているのだろう。

 

「被害に遭った村の人のご遺体なら回収しておいた方がいいのでは」


「それは状況次第です。……まだ人が死んでいるとは決まっていませんし」


「とはいえ、確認はしておきましょう。臭いの出所はわかる?」


「ええ、こちらです」


 背の高い草の中に隠れるようにして中腰になりながら、ヌイが歩き始めた。姿勢を低くしながら、一行も続く。シャルロッテも、あれほどの重装備でありながら鎧の擦れる音一つしていない。器用なものだった。

 

「……うっ」


 歩くこと数分。それ(・・)を見つけたシャルロッテが、苦しげな声を上げた。道からやや離れた場所にあったそれ(・・)は、ネギトロめいた状態の腐肉の塊だった。骨も内臓もぐちゃぐちゃに混ざり合って粉砕されており、原型がまったくわからないほどだ。真っ当な死に方ではない。四方八方に強烈な吐き気を催すほどの腐臭を放っている。ヌイ以外臭いに気付かなかったのは、ここが風下だからだろう。

 

「人間の肉の量じゃないですね。羊とか牛とかですか」


「そうね。でも、これ……どう見てもオークの殺し方じゃない。連中にこんなことをするような力はないはず」


 この死体は、明らかに圧倒的な潰されたような死に方をしている。棍棒を持って囲んで叩いても、なかなかこうはならないだろう。今日見たオークたちでは、なかなかこういうことはできないのではないだろうか。背中で「うぇー」と妙な声を上げているスフレの頭を優しくたたきながら、大西が考え込んだ。

 

「……なんにせよ、これをやった犯人と遭遇したら命は無いわ。急ぎましょう」


 バイザーを下ろしながら、シャルロッテが言い切った。どんな相手がどういう意味があってこんなことをしでかしたのかわからないが、規格外の膂力がなければ牛や羊のような大きな動物を原型が無くなるほど潰すような真似はできないだろう。そういう相手と遭遇するのは、絶対に避けたいところだ。シャルロッテは即座にそう判断し、踵を返す。一行もそれに反論せずに彼女に続いた。

 しばしの時間が経過した。一行は小麦畑に挟まれた農道を、声もなく歩いている。ヌイもシャルロッテも獲物に手をかけ、いつ奇襲されても対応できる姿勢だ。周囲には、羽虫くらいなら殺せそうなほど濃密な緊張感が放射されている。

 

(聞こえるかい?)


 相変わらずスフレを背負ったまま軽い足取りで歩いていた大西だったが、突如彼の脳内にそんな言葉が響いた。耳から入ってきた音ではないと、なぜか瞬時に理解してしまう。今まで味わったことのない、不気味な感覚だった。

 

「……」


 大西は何も答えない。表情すら変えない。ただ淡々と、シャルロッテに続いて足を進め続けている。


(良い反応だ。スフレだよ。今は念話という魔法を使って話しかけている。頭の中に言葉を思い浮かべれば返事ができるから、周りに悟られないよう平然としたまま聞いてほしい)


(わかった)


 ぼんやりとした顔のまま、大西は頭の中でそう呟いた。視線をゆっくりと周囲に向ける。のどかな田園風景。実が入りはじめた青々とした麦穂が、風に揺られてさざなみのように揺れている。空は茜に染まり、暗くなり始めた東の空には血のように真っ赤な小さな月が煌々と輝いていた。

 

(ヌイに聞かれないように?)


(そうだよ。猫人族は耳がとにかく良いからね。ほかに誤魔化す手段はいくらかあるけど……まあ、簡単で効果的な方法がこれだったのさ)


(なるほど、便利だ)


 背中で、スフレが大きな欠伸をした。殿を歩いていたヌイが、厳しい視線をペストマスクの少女に向ける。今のところ、スフレは完全に役に立っていないお荷物だ。心証が悪くなるのも致し方あるまい。

 

(敵が随分多いってんで、ちょいと対策会議をね。彼女らにはあんまり手の内をさらしたくないから、きみだけに。ま、緊急時は四の五の言ってられないだろうが、まだ穏便に済む可能性も普通にあるし)


(勝てる?)


(状況によってはね)


(場合によっては負けると)


(察しがいいね)


 不気味なマスクに包まれたスフレの顔が微かに動いた。笑ったのかもしれない。

 

(見通しのいい平原で、距離をとった状態で交戦するなら百回やっても百回勝つけどね。実戦でそういうのはなかなか望めないし。懐に飛び込まれたら一撃死さ)


(前衛による足止めは?)


(味方をまとめて吹っ飛ばしていいなら勝ち目はあるけど。それに、敵はかなり多いはずだ。そうそう上手くいくとは思えないかな)


 ゆっくりと、大西が息を吐いた。

 

(一人でも通すと不味い、と)


(そういうこと)


 要するに、少しでも敵に接近されると終わりということだ。話しぶりからして、スフレは完全な後衛型らしい。自走榴弾砲めいた運用にならざるを得ないわけだ。

 

(非現実的なプランでいけば、禁呪で敵の潜んでいそうな場所を区画ごと消し飛ばすという手段もある。辺り一面文字通り消えるから、とてもじゃないけど実行できないけどね)


(禁呪?)


(太陽の力を地上に顕現させる大魔術さ)


(確かに非現実的だ)


 どうかんがえても戦略兵器の領分だ。そんなものをこの片田舎で使った日には、オークの襲来以上の大事になるかもしれない。

 

(勝ち目は薄いか。戦うべきではない)


(同感だ。ただ、防衛戦だからね。戦いたくない相手とも戦う必要があるかも)


(戦う前から負けが見えているような戦いをするべきではない)


(だろうね。とはいえプランだけは立てておいた方がいい)


 表情を変えないまま、大西は考え込んだ。ポケットから手帳を取り出し、付属の紐型のしおりを挟んでいたページを開いた。そこには村とその周囲の地図が描かれていた。無論ポケットサイズの手帳に書かれたものだからサイズ自体は小さいが、恐ろしく綿密に書き込まれており、地形同士の距離も異様なまでに正確だった。

 

(なんか書いてると思ったら、そんなものを。凄いな、きみ。測量家かなにかかい?)


(趣味の一環)


(変わった趣味だなあ)


 村と今日歩き回った場所の地形しか描きこめていない簡素な地図ではあるが、作戦立案の参考にするには十分なクオリティである。やはり、村が山を背にしているというのは大きいと、地図を見ながら大西は考える。包囲される心配をほぼしなくていいのだ。


(増援が見込めるなら、籠城がベター)


(それしか選択肢はないだろうね。多かれ少なかれこういった村は防衛向きに作ってあるものだが……地形だけはボクたちの味方らしい。有効活用しないと)


(村に戻ったら提案する)


(ま、あの二人も玄人らしいし、同じ結論になっているだろう。話は早い筈だ。問題は村の連中だが……まあ、それに関しては考えても無駄か。なるようにしかならないだろう)


 小さくスフレがため息を吐いた。籠城戦となればいやがおうにも村が戦場になる。そこで生活をしている人々からすれば、それは絶対に避けたいところだろう。説得には骨が折れるかもしれない。

 

(最悪、君だけは絶対に助けてあげよう。友達だからね)


(ありがとう。でも、その前に皆で逃げたほうがいい。強引にでも)


(最悪の状況になる前に、か。確かにそういう判断は大切だ)


 くつくつと小さく笑うスフレの背中を、地平線に沈んでいく太陽が照らしていた。太陽を追い落とすように昇る欠けた場所のない真円の真っ赤な月が、血生臭い未来を暗示するように光っている。

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