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第一章十三話

「うぇー、きみ、こんなところに住んでるのかい」


 開口一番、スフレはいきなりそんなことを言った。場所は、大西の寝床こと墓場の片隅である。何とスフレは、打ち合わせが終わった後も大西についてここまで来てしまったのである。しかも眠気でふらふらしながらだ。一体どういう了見でこのような行為に及んだのか、大西にはさっぱりわからない。わからないが、「まあいいや」と簡単に抵抗をあきらめてしまうのが大西と言う人間だった。

 

人気(ひとけ)もないし住みやすいですよ。屋根もあるし」


「屋根はあるけど壁は無いじゃないか」


 休憩所を指差す大西に、スフレが渋い声で答えた。なぜか、心底嫌そうな雰囲気を発している。大西と言えば、そんなマスクマンの不満など気にせず、いつもの曖昧な表情を浮かべながらぽややんと視線を遠くへ彷徨わせている。

 

「金は出すから、宿を取るかせめてテントを用意してもらえないか」


「宿は嫌ですねえ……えっ、じゃあテントですか? まあいいけど」


 文句を言うでもなく、大西は唯々諾々とスフレに従った。いや、そんなに適当でいいのかと、頼んだ側であるスフレの方が困惑するくらいだった。

 それから数十分後。墓地の隅には、小さなテントが建っていた。テントといっても現代でよく見るドーム型の物ではなく、屋根のような形に組んだ木の棒に防水加工した帆布をかぶせた、三角型の簡素なものである。

 

「やれやれ……やっと落ち着けるな。ふぁあ……」


 そのテントの中で、スフレが我が物顔で座りながら言った。あくびもしている。やはり、眠いのだろう。まったく大変な体質だなあと、スフレの対面に胡坐をかいて座っている大西がぼんやりと考えていた。

 テントの中は案外広く、荷物と言えば大西の鞄とスフレが持参した背嚢と大きな杖くらいで、窮屈さはあまり感じさせなかった。

 

「さて、わざわざきみの住処にお邪魔したのは他でもない。少しばかり、頼みがあるんだ」


「頼み?」


 大西の問いに応えず、スフレはまた欠伸をした。そしてゆっくりと自らの顔を覆っている物々しいマスクを両手で掴み、真上の引っ張り上げた。

 マスクの下から現れたのは、ミルクチョコレート色の肌と笹穂のような……いわゆるエルフ耳をもった少女だった。歳の頃は、十歳かそこらに見える。雪のように真っ白い髪をボブカットにしたその特徴的な容姿は、はっと息を呑んでしまうような美しさを持っている。アメジストのような神秘的な色の瞳が、まっすぐに大西を見ていた。

 

「どうだい?」


「はぁ、綺麗な髪ですね。脱色じゃないでしょう、それ。天然でそう言う髪色を見たのは、久しぶりだなあ」


 能天気な大西の答えに、スフレがニィと嬉しげに笑った。

 

「予想以上の答えだ。そうさ、天然だよ。いいだろう、ふふん」


 マスクを自分の横にそっと置いてから腕を組み、胸を張るスフレ。そしてふと笑みをけし、再び大西の目を凝視した。

 

「ボクはね、実のところ、人間じゃあないんだ。ダークエルフと呼ばれる、エルフが妖魔化したイキモノさ」


「はぁ」


 突然のカミングアウト。だが大西としては、そんなことを言われてもよくわからない。そもそも妖魔自体まだまともに正面から遭遇したことはないし、スフレ自体こちらに害を加えてくる様子はない。だからこそ、妖魔だなどと言われたところで実感は持てないのである。

 

「要するに、駆除対象というわけだね。この肌や髪はダークエルフ特有の物だし、みだりにさらせばトラブルになる。だからこそああいう変な格好をせざるを得なかったのさ」


「なるほどなー」


 納得しているのかしていないのか、いまいちわかり辛い反応の大西だったが、スフレは気にせずふいと腰を上げ、大西に近づく。そしていつの間にか皮手袋を外していた手で、大西の頬に優しく触れた。しっとりと汗でぬれた、柔らかく暖かな感触。

 

「んっふふふ。きみね、まれびとだろう。雰囲気でわかるよ」


「そうですが」


 唐突なボディタッチである。ふいっと身を逸らしてスフレの手から逃れつつ、大西はあくまで冷静に答えた。

 

「差別なんてものはさ、別の文化圏から来た人間にはあまりピンとこないものだ。だからこそ、きみとは素顔で付き合えると判断した」


 逃げる大西に、スフレは容赦なく追撃した。褐色の柔らかい両方の手で大西の頬を包み、むにゅむにゅと揉む。フランキスカさんといい、こちらの人はボディタッチが多いなあと、大西は完全に抵抗をあきらめつつ思った。

 

「うーん、こうして普通に他人と関わるのは十数年以来だな。やっぱりいいね。マスク越しでの関係なんて好きじゃあないんだよボクは」


 その言葉は、大西に向けたものではないようだった。鈴を鳴らすような涼やかな声が、薄暗いテントの中に霧散していく。スフレはそれっきり、頬の感触を確かめるように大西に障り続け、しばらく言葉を発さなかった。大西も、何も言わない。

 

「や、ありがとう。満足した。人のぬくもりほど、心を満たすものはない」


「はぁ、まあ、同感です」


「だろう?」


 どれほどの時間がたっただろうか。やっとのことで大西の頬から手を放したスフレが、心満たされたような声で言う。それに答える大西は、引くでもなし、さりとてなにか好意的な感情が浮かんでいるわけでもない、凪いだ水面のような静かな声だった。

 

「いやね、自分の正体を偽った状態……それもあんな怪しい風体で、まともに他人と関係が結べるはずもなし。でもね、ボクは一人ってやつが大っ嫌いでね」


 おそろしく渋い顔をしながら、スフレが吐き捨てるかのような口調で言った。

 

「少し前までは、大切な親友が居た。でも、彼女は死んでしまったんだ。しばらく落ち込んで引きこもっていたが、孤独に耐えられなくなって、こうして人里に出てきたわけだ」

 

 厳しい表情だった。幼い外見に似合わず大人びた表情のスフレだったが、今はまるで両親に捨てられた幼子のような表情をしていた。だがすぐに引き攣っていた頬を緩め、続ける。


「とはいえ、こんな身の上だ。友達一人作るにも難儀する始末……そこで、ちょうどよくダークエルフでも気にしなさそうな人を見つけたから、押しかけたというわけだ」


「ははあ。ふむ、なるほど……。しかし、友達ねえ」


 むむむと唸りながら、大西がつぶやく。

 

「コイビトでもいいよ。でも、それはしばらく友達づきあいをしてからだね。流石に、出会って数日でそう言うのは、ボクとしてもどうかと思うし? きみがどういう人間なのか、まだよくわからないからね」


「あ、僕ノンケなんで男性の方はちょっと。失礼ながら性別がいまいちよくわからないのですが、お聞きしても?」


「本当に失礼だな。女だよ、女」


 さっきとはまた違った嫌そうな表情でスフレが言う。とはいえ、スフレは中性的な顔立ちで、声もどちらかといえば低めだ。それに身体の線が全く出ない長衣とくれば、性別などわかるはずもない。

 

「すみませんね。それで、頼みと言うのは」


「鈍いなあ。友達になってほしい、というのがボクの頼みだよ」


「友達。……友達か。友達って、こういう風な過程でなる物なんですかね?」


「いや、普通はいつの間にか自然にできているものだと思うが……」


 スフレは困惑したような声だった。断られるのではないかという懸念が、胸の内に湧き起ってきたからだ。流石に拙速すぎたかと、額に微かに冷や汗を浮かべる。

 

「らしいですねえ。僕もよくわかりませんけど。まあ、イレギュラーはどこにでもあるもんでしょうから、あまり気にしても仕方ないのかも」


 不思議な表情を浮かべて、大西がつぶやいた。彼が何を考えているのか、スフレにはよくわからなかった。そもそも、大西は表情こそそこそこ変わるものの、内心がとても読みにくい人間だった。出会ったばかりのスフレが、何かを察せるはずもない。


「えっ、どういう意味だい、それ」


「いえ、大したことじゃあないです。良いですね、なりましょう、トモダチ」


「……んん、ありがたい。これからよろしく頼むよ」


 にんまりと満面の笑みを浮かべて、スフレが大西の腕をつかんでブンブンと力いっぱい振り回した。握手のつもりらしい。

 少しして手を放したスフレは、周囲を見回す。殺風景なテントの中の景色。そしてしばし考えた後、口を開く。

 

「それじゃあ、わるいけど、しばらくここで世話になっていいかい? 宿も悪くないけどさ、この体質だろ? 近くに事情を理解している人が居ないと、よく困ったことになるんだ」


「そうなんですか? まあ、構いませんよ」


 おそろしく気楽な口調で大西が即座に応える。一体いままでどうやって生活してきたのかはわからないようなスフレの発言だったが、まあ別に何か損があるわけでもないし、いいやというのが大西の考えである。

 

「ありがたい。きみが物わかりのいい相手で良かったよ」


「僕に損のある提案じゃないですし」


「そうなのかい?」


「たぶん」


 ふうんと、スフレは気の抜けた返事をした後、背嚢に括り付けてあった毛布を外して広げた。それを身体に巻きつけ、ごろんと横になる。既に、目は半開きの状態だった。かなり眠そうだ。

 

「すまない。まだいろいろと話したいことはあるが、限界みたいだ。何かあったら、また起こしてくれ」


 言ったきり、大西が返事をするより早く寝息をたてはじめた。恐ろしく早い寝入りである。大西はしばらくその姿を胡乱な目つきで見ていたが、やがて何かを思いついたかのように立ち上がった。

 

「よし」


 そのまま、妙にうれしそうな足取りで、テントの外へ出て行った。薄暗闇の中に、スフレだけが一人残されていた。

 スフレが目を覚ましたのは、それからしばらくしてのことだ。鐘が鳴っている。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……澄んだ音色が、余韻を残して消えていく。

 

「五の鐘……もう夕方かぁ……」


 欠伸を噛み殺しながら、スフレが呟いた。五回鐘が鳴るのは、夕刻だ。現世風の言い方をすれば、六時になる。とうに太陽も傾いているだろう。

 ぼんやりとしているスフレの鼻腔を、肉の焼ける臭いがくすぐった。近所の家が、料理でもしているのだろうか。無性に寂しい気分になって、スフレが顔をしかめた。家族など居ない身だ。他人の団欒は、堪えるものがある。

 

「……」


 もやもやしたものを抱えたまま、マスクをかぶりとぼとぼと布をくぐって外に出る。そこで彼女が目にしたのは、フライパンを持って座り込む大西の姿だった。

 

「えっ、なにやってるの」


 大西は、石で作った簡素なかまどで、何かを焼いていた。ここがそこらの草原やら森やらなら、たんなる野営の作業だろう。だがここは墓地である。スフレは信心深いとは言い難い性格ではあるが、彼のフリーダムっぷりにはさすがに度肝を抜かれたようだった。

 

「夕食を作ってます」


「夕食?」


 おそるおそるかまどに近づく。五徳の上に置かれた小さなフライパンの上では、楕円形に成形されたひき肉がじゅうじゅうといい音を立てて焼けていた。どうやら、テントの中で嗅いだ臭いの出所はこれらしい。

 

「い、いや、まあいいけどねえ。ボク、あんまりそういうのは気にするタチじゃないしい……」


「どういう意味です?」


「なんでもないよ」


 純粋に、何を言っているのか理解できていない顔で大西が聞き返してきた。とはいえ、スフレとしてもあまり強くは言えない。なぜかと言えば、彼女は空腹だったからだ。美味しそうな料理に、文句をつけることはできなかった。そも、スフレは人間から迫害される側の存在である。あまり気にしないというのは、本当のことだ。

 

「ま、とりあえず料理はできたので、テントに戻りましょう。流石に外じゃ食べにくいでしょう」


 大西の視線は、スフレのマスクに向けられていた。顔の全体を覆うデザインのそれは、とても装着したまま食事ができそうには見えない。実は、いくつかの仕掛けのお陰で付けたままでも食べられないわけではないのだが、食べづらいのは事実なので、スフレは大人しく頷く。

 

「それじゃあ、中で待っててください。火の始末をしたら、持っていくので」


「わかった」


 おとなしく指示に従うスフレ。大西は手早くフライパンの中のハンバーグを近くに用意していた木製の皿によそい、かまどの火に土をかけて鎮火した。自分用とスフレ用の二つの皿を持ち、自らもテントの中へ入っていく。

 

「……ふうん、結構おいしそうだね。料理、得意なの?」


 自分の前に置かれた皿を見ながら、スフレが言う。ハンバーグと、付け合せのサラダ。野外炊飯にしてはかなり上等な料理といえる。形も綺麗で、素人が無理して作ったようには見えない。

 

「前、レストランで働いてたことがあって。作り方を知ってるだけで、特に得意ってわけでもないですね」


 謙遜ではなく真実そう思っているような口調で言いながら、鉄製の粗雑なナイフでハンバーグを切った。中から肉汁と食欲を誘う芳香がじわりと湧き出す。フォークで刺して、口の中に運んだ。

 

「ウマイ」


「あのさ」


「はい」


「いただきます、しない?」


「あっ」


 忘れていた、という顔で膝をうつ大西。スフレがニィと笑い、両手を合わせた。二人の「いただきます」という唱和が、テントの中に響いた。笑みを浮かべたまま、ハンバーグの切れ端を食べるスフレ。うんうんと頷き、また笑う。

 

「いいね。好きな味だ」


「ありがとうございます」


 常と変らぬ柔らかい笑みを浮かべて返事をする大西だったが、それに対してスフレは整った神と同じ色の眉を跳ね上げた。

 

「折角友達になったんだ。敬語はやめてもらえないか」


「わかった」


 物分かりの良さに定評のある大西である。とくに文句を言うでもなく、さっさとその言葉を受け入れた。ちょっと変な奴だが、付き合いやすい手合いでよかった。そう思いながら、スフレが安どのため息をひそかに漏らす。

 こうして、食事の時間は進んでいく。ぎこちなくではあるが、スフレにとってそれはとても楽しい時間であった。

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