第一章十話
王都にやってきた二日目は、フランキスカの寝起きドッキリ以外に大した出来事は無かった。夕方までまた研ぎ屋として働き、夜になれば食事をして墓場で眠る。まるでアンデットのような一日だ。
そして、明くる三日目。大西は、王都の中央広場にいた。さすが、この国の中心地のさらに中央である。広場は野球場がまるまる入って余りあるくらいに広く、そして人でごった返していた。老いも若きも、ヌイのような獣人から、オオニシと大して変わらないような丸みを持った耳をした種族まで。最底辺の浮浪者も、貴族みたいな恰好をした人も、さまざまである。
「聖アームストロング像、これか」
そんな中で、大西は相変わらず茫洋とした目で古びた銅像の前に立っていた。フルプレートメイルを身にまとい、長剣を高々と掲げる若き騎士の像である。広場には、こういった像がいくつも並んでいたが、近くの人に聞いて確かめたのでこの像で間違いないだろう。
ヌイとの約束では、三日目にここで待ち合わせのはずだ。だが、時間までは指定されていないので、大西はこうして朝っぱらから像を探して彷徨っていたのだ。
「うーん」
ヌイはまだ来ていないようだった。仕方なく、大西は像のすぐ前に立ち、ヌイを待つことにする。だらんと身体から力を抜きつつ、ポケットからハンディマニ車を出した。マニ車とは、経文か描かれたローラー状のパーツを回すことで読経のかわりとする仏具の一種で、大西が持っているのはマラカスみたいな形状をしたごく小型のものだ。
ぼんやりとした表情のまま、手の中のそれを器用に回す。百年以上昔に作られた骨董品のような古ぼけた見た目をしているくせに、ベアリングでも仕込んでいるのかやたらと滑らかにローラーは回転していた。
「ああ、もう来ていたのですね。すいません、待たせましたか」
無心にマニ車を回すこと一時間。正体不明の謎のアイテムを延々と回し続ける変な人を見るような目をしながら、ヌイが声をかけてきた。当たり前だが、すこし引いていた。とはいえ彼女は大西が異世界人であることを知っている。異世界の風習か何かだと無理やり自分を納得させた。
「多少は待ったけど、無駄な時間は過ごしてないよ。気にしないで」
「そ、そうですか」
いつもの調子で答える大西に、ヌイは苦笑する。彼女は相変わらず暑っ苦しいグレーの外套を着ており、顔もフードを目深にかぶっていた。オマケに背中には短弓、腰にはサーベルと矢筒という格好だから、下手をすれば大西よりも怪しい風体かもしれない。
「とりあえず、ついてきてください。見せたいものがあります」
そういうなり、ヌイは踵を返して歩き始めた。ずいぶんと早足だ。大西は、あわててそれについていく。
群衆をかき分け、歩くこと数十分。すでに喧騒は遠く、遠くからとぎれとぎれにしか聞こえてこない。時間からして、かなりの距離を歩いただろう。それでも、街の果てである城壁はまだまだ遠く、この街の広さを否応なく感じさせる。二人は今、裏路地らしきさびれた小道を歩いていた。道幅は狭く、あちこちにゴミや汚物が転がっている。表通りと違い、かなり治安が悪そうな場所だった。
もうそろそろかな、と大西はちらりとヌイの方を見た。大股でパタパタと急いだように歩く彼女だったが、かなり頻繁に振り向き、大西がついてきているのか確認していた。
「……」
また、ヌイが振り返った。陽光を反射して金色の瞳がきらりと輝く。
「そこです」
彼女はそういって、未知のすぐそばにある大きな横長の平屋を指差した。普通の住居をいくつか連結したような見た目で、ただの民家にしては異様な数のドアが取り付けられている。西洋風の長屋、といった風情だった。
「私の自宅ですよ」
そう言いながら、ヌイが首にかけていた細いチェーンを手に取った。鎖の先には、鉄さびの浮かんだ簡素な鍵がとりつけられている。そのカギを扉の一つの南京錠めいた錠前に差し込んで回すと、カチンと小さな音がして錠が外れた。
一応、防犯設備はあるらしい。大西はそのカギをじいと見て何かを考えているようだったが、ヌイが鍵を胸元に戻すと、ふいと視線を戻してドアを開けて中に入っていく彼女の背中に続く。
「おじゃまします」
「どうぞ。狭いところですが」
部屋の中は真っ暗だった。ランプの燃料らしき油脂の臭いと、微かな汗の香りが鼻腔をくすぐる。ヌイが窓の鎧戸を開けると、日の光が部屋に差し込みパァと明るくなった。
確かに、そこは彼女の言うとおりあまり広いとは言えない部屋だ。しかし棚や机やベッド、部屋の外に煙突がつながった小型のかまどなど、生活に必要そうな家具は一通りそろっている。使用感や雰囲気からして、別宅と言う感じではない。ヌイの言うとおり、ここが自宅で間違いなさそうだと、大西は言葉に出さずに考えていた。
「見せたいものと言うのは、これです」
ベッドに腰掛けながら、ヌイが壁際を指差した。そちらに目をやると、そこにはこげ茶色の革鎧と金属製の籠手とすね当てが置かれていた。サイズは、ヌイが着るにはかなり大きい。大西ならばちょうどくらいだろう。
「先日のお礼です。どうぞ」
大西が目を細めた。鎧は使用感こそあるがきっちりと手入れされており、そこそこ良いものに見える。ハード・レザー製らしい表面はしっかりとオイルが塗られ、唯一金属製の肩当はきれいに磨かれてぴかぴかと光っていた。かなり、高そうだ。
「……ううん」
彼の表情は険しいものではなかった。いつも通りの微かに笑った柔和な顔。だが、その目は少しだけ険があった。さて、どうするかと悩んでいる風にも見える。石の床の上に立ったまま、するりと自分の顎を撫でる。
「その、すいません。お節介でしたか?」
明らかに困っている様子の大西に、ヌイが表情を曇らせながら立ち上がった。確かに、彼はこういうお礼目的でで自分を助けたのではないだろうというのは、ヌイもわかっている。とはいえ、全く何の借りも返さないわけにはいかない、というのがヌイの考えだった。
幸い、蓄えはそこそこはあった。こうして防具一式をそろえるくらいなら、なんとかなるくらいには。危険な冒険者業を行うにあたって、防具は必須の装備だ。流石に、普段着で妖魔に相対するのは自殺行為でしかない。だからこそこうして大枚をはたいて鎧を用意したわけだが……。
「いや、有難いよ。ちらっとね、武具店にも顔を出したんだが、今の稼ぎじゃかなり長い事続けないと届かないような額の物ばっかりだったからね」
当たり前だが武器も防具もおもちゃなどではなく命を預ける大事な道具である以上、ある程度しっかりした造りのものしか流通しておらず必然的に高額になってしまうのだ。そして今の露店での商いで稼げる金は微々たるものであり、節制したとしても目標額に届くにはかなりの時間を要するだろう。
それをすべてカットできるのだから、これ以上有難いことは無い。とはいえ、全部で数千円いかないくらいの非常食のお礼としてここまでのものを貰うのは、どうかと思うというのが大西の正直な心情だった。
「……ありがとう。大切に使わせてもらうことにする」
大西が、ヌイに向かって一礼した。それを見たヌイが破顔して肩の力を抜いた。どうやら、随分と緊張していたらしい。それから一息ついて、笑みを消して口を開く。
「冒険者になるのはいいですが、ご存じのとおりこの稼業は大変に危険なものです。今更ですが、大丈夫なのですか?」
「わからない。妖魔に正面から相対したことはないからね、判断がつかないよ」
「ええ……」
あまりに能天気な答えに、ヌイは一転して渋い顔になった。鎧を贈ったはいいが、そのまま帰らぬ人になられた日には寝覚めが悪いどころの話ではない。ベッドから立ちあがって大西に近づき、少しだけ背伸びをしながら彼の両肩に手を置くと力を込めて近くにあった丸椅子に無理やり座らせた。
「武道の経験とかは?」
「健康目的で拳法を少し。まあ、完全な対人用なので、獣みたいな相手には完全に素人ですね」
「ううん」
ヌイが唸りながら頬を撫でた。そしてそのまま大西の周りを落ち着きなく歩きはじめる。硬い石の床だというのに、不思議と足音はしなかった。
しばしの沈黙の後、ヌイはやっと歩くのをやめた。そして少し躊躇した後、外套を脱いで壁際に置かれている木製の簡素なコート掛けに引っかけた。彼女の大きな傷のついた顔が露わになる。その美しくも凄惨な顔を大西にむけ、ゆっくりと歩み寄る。大西はその視線を正面から受け止め、目を逸らすことなく見返していた。
「オオニシさん。……いいえ、オオニシ。私の、相棒になりませんか?」
「えっ」
完全に予想外の言葉に、大西が大口をあけた。突然何を言い出すのだろうと、ヌイの目をまじまじと見る。
「相棒……仲間同士なら、冒険者としてのノウハウを教え合うのは普通です。これでも私、ベテランですから。教師役としては、適任だと思いますよ」
どうやら、冒険者になった後も面倒を見てやる、ということらしい。そこまで世話になるわけには、と大西が立ち上がりかけたが、それよりも早くヌイは言った。
「なにも、恩義ばかりでこういうことを言ってるわけじゃあありません。私はいままで、ずっと一人で冒険者をしていましたが……そろそろ、背中を預ける決まった仲間が欲しいと言いますか」
頬を赤くしながら、ヌイはそっぽを向く。この言葉は、決して嘘ではなかった。一人でいると、また鬱々とした負のスパイラルに囚われるのではないかという不安があったのだ。
「その、なんというか、オオニシさんは、信頼できると思うので、冒険者として成長したら、信頼できる相棒としては不足が無いかな……とか思ったりして」
無論、大西とヌイは出会ったばかりだ。彼が何を是とし、何を否とする人間なのか……それすらヌイは知らない。しかし、あの深い森の中での出来事は、大西を信頼できる人間だと判断するには十分なものだったと、ヌイは思う。それゆえの提案だった。
それにたいし、大西は少しだけ表情を変えた。困っているような、自嘲しているような、不思議な表情だった。しかしそれも一瞬。すぐにいつもの微妙な笑みに戻る。
「……わかった。それじゃあ、お世話になろう。ありがとう」
「いえ、いいえ。こちらこそ」
微笑を浮かべて、ヌイが軽く頭を下げた。先端に飾り毛のある特徴的なネコミミが、ぴくんと跳ねる。
「それでは、さっそくギルドへ行きましょう。登録、済んでいないのでしょう?」
「うん。まだ中に入ってもないよ」
「でしょうね」
苦笑しながら、ヌイが窓を閉めて出口へ向かう。そしてドアノブを握ったところで、外套を忘れていることに気付いて慌ててコート掛けへと走り寄った。




