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第一章九話

 翌朝。いや、もはや朝と言うには太陽の位置が高すぎるが、とにかく翌日である。大西は、顔中に感じるやたら柔らかくて重量感のある感触で目覚めた。おまけに、びっくりするくらい酒臭い。

 

「んんー?」


 一瞬、どういう状況なのかわからずに混乱する。昨日は、フランキスカにドギツイ酒を飲まされてからの記憶がなかった。幸いにも頭はすっきりしており、気持ちの悪さや頭痛などは感じない。二日酔いというわけではないようだった。

 とはいえ、目を開けても布に包まれた毬めいたものが間近にあるため何も見えず、おまけに体は何かが絡みついていて全く動かせない。

 

「ううん……」


 悩ましい声と共に、大西の身体を拘束していたモノがもぞもぞと動く。そして

 

「ん、おう、ぬわーっ!」


 素っ頓狂な声と共に吹っ飛ばされた。大西の身体は四、五メートルほど空を飛び、そして土煙を上げながら地面に転がった。突然のことであり大西に抵抗するすべはなく、受け身を取るのがせいぜいだった。

 

「あわわわ、貴様オオニシかっ! すまぬ、大丈夫か!」


 土まみれになって芝生も生えていない土の地面に転がる大西を見て、彼を突き飛ばした張本人……フランキスカが慌てて駆け寄る。熊にぶん殴られたくらい見事に吹っ飛んだのだから、心配もするだろう。

 

功夫(クンフー)が足りていなければ危なかった……」


 ただ、本人は妙にケロリとしたものだった。しっかりした足取りで立ち上がり、周囲を見回す。そこは、大西が前回宿として利用した墓場の隅であった。奇妙な記号めいた見たこともない形状の墓石が整然と立ち並び、相も変わらず人気(ひとけ)は皆無。それを中天から照らす太陽が、既に現在が朝とは言い難い時間であることを物語っていた。

 

「ええ、大丈夫ですよ。おはようございます」


「う、うむ。本当に無事なのか……?」


 大西のすぐ前まで走ってきたフランキスカが、心配そうに聞いた。だが、こけ方が良かったのだろう、大西の身体には事実傷一つなかった。

 

「うむぅ、真のようだな……うむむ。……ああ、おはよう」


 整った口元をへの字にしながら唸った後、フランは優しい手つきで大西の服や頭についた土をぽんぽんと優しい手つきで払いながら言う。

 

「本当に申し訳ない。余としたことが驚いてとっさに動いてしまった……あたた」


 そこでフランは顔をしかめながら額に手を当てた。その顔色は、決して優れているとは言い難い。どうやら大西と違い完全な二日酔いのようだった。それを見て、大西はすぐ近くにあるベンチを指差した。先日大西が寝ていた、天井つきの休憩所である。

 

「ちょっと、水でも持ってきます。そこで休んでいてください」


「う、うむ……」


 フランキスカは文句も言わず、弱々しい足取りでベンチに向かう。快活な普段の姿からは考えられないような弱りっぷりだった。

 

「どうぞ」


 十分後。たっぷり水の入った金属製の水筒を大西が持ってきた。これは昨日購入しておいたものだ。中身の水は近隣の井戸から汲んできたものである。生水だが、周囲の住人は普通にこれをそのまま飲んでいたので煮沸はしなくても大丈夫だろう、というのが大西の判断だ。

 

「助かる」


 げっそりとした顔でそれを受け取ったフランは躊躇なくそれに口をつけ、ごくごくと音を立てて飲み始めた。そして、ほぼ一瞬で水筒の中身を完全に干してテーブルの上に置く、一リットル以上の容量がある大きな水筒だというのに、まったく豪快な御仁だった。

 

「これも」


 そういって大西がさらに手渡したものは、白身魚のジャーキーだった。井戸の近くの店で安く売っていたものだ。こくこくと頷きながら突き出されたジャーキーを口で受け取ったフランがもごもごと咀嚼する。口の中には、濃い塩味が広がっていた。普段食べるには多少しょっぱすぎるかもしれないが、二日酔いの時はそれがおいしく感じるものである。彼女の表情がふっと和らいだ。

 

「ふうぅ……」


 一息ついた、という様子でテーブルの上にでろーんと身体を乗せるフランキスカ。豊満な胸が押し潰されてとてもすごいことになっていた。

 

「すまぬー……本当にすまぬー……。さっきは余も混乱していた……」


 突き飛ばしのことだろう。おそらく、酔いつぶれた彼女は大西を抱き枕代わりにして寝ていたのだろう。そして目を覚まして、びっくりしてああいうことをした……というのが大西の推理だった。

 

「気にしないでください。僕も気にしてないので」


 対面のベンチに座りながら、大西がなんでもない風に答えた。事故のようなものなのだから、彼としてもどうこう言うつもりは一切なかった。

 

「うう、すまぬ……ありがたい……」


 テーブルの上でとけたまま感謝の言葉を放つフラン。どこぞの偉い人らしいが、まったく威厳と言うものが感じられない態度である。

 

「えー……昨日は……酒を飲んで……駄目だ、酒を飲んだことしか思い出せぬわ……」


「まあ多分飲酒以外のことはしてないから記憶が無くても大丈夫でしょう、たぶん」


 自らもまともな記憶が無いので、随分とあいまいな言い方の大西。

 

「まあそうか……ええと、支払いは確か現物でやったような。ぬう……」


 身を起こして懐に手を突っ込んだフランの顔が、みるみる険しくなった。手を出すの、その中には昨日見せてもらったブローチがあった。

 

「いかん、まさか」


 慌てた様子でジャケットやらズボンやらのポケットを探り、挙句の果てにシャツのボタンをはずして胸の谷間にまで手を突っ込んだが、目的の物は見つからなかった様子。ただでさえよくなかった顔色を更に蒼くして、両手で顔を覆う。

 

「渡すものを間違えておるではないか―――ッ!!」


 どうやら、支払いの際に思惑とは違うものを渡していたようだった。判断力などまともにない泥酔状態だ、何をやってもおかしくない。

 

「貴様、オオニシ、会計の時のことを覚えているか?」


「申し訳ないですが、まったく」


「ぬわあああああッ!!」


 美しい赤髪をがしがしと掻くフランキスカ。随分と大切なものを無くしてしまったようだった。その動揺っぷりは尋常なものではない。大西が目を細め、口を開く。

 

「あれだったら、店に戻って店主に話をつければ、返してくれるかもしれませんよ」


「ならん、余が恥をかくだけならばどうでもいいが、エルトワールの名前に泥を塗るような真似は出来ぬ……」


 泥酔して正体を失い、男を抱っこして野外で寝ていたのは大丈夫なのだろうか。そう思わないでもない大西だったが、口に出すようなことはしない。彼は奥ゆかしい日本人だった。

 

「一度出したものを引っ込める、というのはよくないのだ。長にけちだの貧乏性だのと悪い風評がつけば、自然下の者にも迷惑をかけてしまう」


「ははぁ……」


 まったく、偉い人は大変だと他人事のように大西は思っていた。何せ彼は責任もくそもないペーペーの仕事しかしたことが無い。する気もない。

 

「ちなみに、どういう物なんですか?」


「ロケットだ」


「ロケット」


 大西の脳裏に浮かんだのは、アポロ月往還船を衛星軌道に乗せた世界最大級のロケット、サターンV型の雄姿だった。全長にしても重量にしても、旧日本海軍の睦月型駆逐艦より大きい、化物ロケットである。

 無論この世界にそんなものは無い。フランキスカが言っているのは、ロケットペンダントだ。中に肖像画などと入れることができる、装飾品の一種である。

 

「材質は金で、中身はコンパスだ」


「金? コンパス……?」


 どうやら自分の知っているロケットとはまったく違うものであると薄々感づいた大西は、ぽんやりとした顔でフランを見た。あ、これはわかってないなとフランキスカは優しげな苦笑を浮かべる。

 

「丸い、蓋つきのペンダントよ。手のひらに収まるくらいのサイズである」


「はあ、なるほど。その蓋の中身が方位磁針と、そういう認識で間違いない?」


「うむ、そうだ」


 ポケットから手帳を取り出した大西が、ボールペンで何かを書きこんだ。そしてそのページに付属の紐しおりを挟み、閉じてポケットに戻す。

 

「一応、僕の方でもなんとか回収できないかやってみます。絶対取り返す、とは言いづらいですけど」


「いいのか? 知っての通り余は金に縁がない。謝礼なぞ出せぬぞ」


「謝礼金が欲しいなら、絶対取り返すくらい言ってますよ。出来たらやります。出来なかったら、やりません。そのくらいの気持ちですから、お気になさらず」


「むうう」


 そこで突然フランキスカが唸り、ベンチから立ち上がった。そして身を乗り出し、力いっぱい大西を包容する。彼の顔に、彼女のメロンくらい大きな胸が押し付けられる。水風船のように張りがあり、それでいて真綿の入ったクッションのように柔らかい、不思議な感触だった。そして何よりも、温かい。

 

「愛い奴! よかろう、任せる」


 すぐに包容は解かれ、フランはびっくりするくらい満面の笑みを浮かべてガシガシと大西の頭を撫でた。まるで大型犬にやるような、乱暴だが優しい手つきだった。

 

「そこまで、期待はしないでください。まだこっちの商習慣を知らないので、確証がだせません。無理そうなら、できませんから」


 ちょっと過激なスキンシップを受けたにもかかわらず、大西はあくまで冷静だった。できないことはできない。当たり前のことだ。なので、過度の期待をされると困るのである。

 

「わかっておるわかっておる! だが、余にはそう言ってくれる貴様の姿勢がうれしいのだ。わかるか?」


「わかりません」


「わかれ」


「善処します」


「良し」


 満足げに頷くフランだったが、そこでふと外の方を見た。レンガ造りの家々が、真昼の陽光を浴びて輝いている。とっくに朝ではない。むしろ昼食時だろう。

 

「おう、いかんな。朝帰りですらなくなってしまう。すまぬが、そろそろ帰らせてもらおう」


「ああ、もういい時間ですしね」


「うむ」


 フランがジャケットの埃を払い、シャツの乱れを直して、最後に腰に佩いた二本の刀の位置を直した。そして、にやりと笑う。

 

「もう一振りのほうも、貴様に面倒を見てもらいたい。冒険者の用事とやらが終わったら、五番街の端にある青い壁の家に来てくれ。なに、あのあたりに青壁の家は一軒だけだ。迷うことはないだろう。まあ、留守にしていることも多いが、その時はすまんが出直してきてくれ」


「五番街の青い壁ですね、はいはい」


 頷き、またメモ帳をだす大西。まめな男だった。手帳は黒い表装で、だいぶくたびれた様子だ。ページも半分ほどが既に使われているようである。普段から頻繁に使っているのだろう。

 

「うむ! では、またな」


 敬礼するように頭に手をかざし、そして颯爽と踵を返すフランキスカ。まったく、先ほどの醜態がうそのように格好の良い動作だった。身長の高い怜悧な美貌を持った、ほとんど男装みたいな格好をした美女がやるのだから、ぎざな動きはにあって当然なのだが。


「どうも」


 それを見送る大西の顔は、相変わらずぽややんとしたものだった。



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