表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/30

1 誓い ⑧

 主の寝室の手前で侍女のひとりに、アイオールが呼んでいると声をかけられた。

 何でも、久しぶりにタイスン夫人ことお袋が、揚げ菓子を作ってくれたので一緒に食べたい、お茶に付き合ってくれということらしかった。


 『揚げ菓子』は、俺が初めて睡蓮宮へ来た時に、レーンの方から直接もらったあのお菓子だ。

 黒糖を使ったレーンでは一般的なお菓子だそうで、かの方に教わった厨に古くからいる者と、お袋は作れる。

 子供の頃の、俺とアイオールの一番の好物だ。


 そういえば俺たちが喧嘩した時、仲直りのきっかけにとレーンの方が作らせ、勧めて下さったことが何度かあった。懐かしい。


(まったく……お袋のやつ。俺たちは、声変わり前の子供(ガキ)じゃねえんだぞ)


 胸で悪態をつくが、恥ずかしい反面なんとなく嬉しく、同時にひどく申し訳なくも思った。

 俺たちがどこかぎくしゃくしているのを、お袋に気取らせてしまったのだろう。



 寝室の扉を開けてみると、お茶の用意はすっかり出来ていた。

 黒糖独特の甘いにおいが、油のにおいと混じって室内にただよっている。

 少し疲れたような感じに安楽椅子へ身を預け、アイオールが待っていた。


「やあ。懐かしいだろう、この揚げ菓子。小さい頃によく作ってもらったじゃないか。お前と競争するみたいに食べて、後ですごい胸焼けがして困ったこともあったなあ」


「……ああ」


 妙に饒舌なアイオールに少し戸惑いながら、お茶の用意が調ったテーブルにつく。


「とにかくまずは食べようよ。マーノへもお茶を入れてやっておくれ」


 アイオールに勧められるまま、俺は、中央の皿から小山状に積み上げられた菓子をひとつ、取る。

 自分の皿に乗せ、カップに注がれたお茶へ牛乳だけを入れる。

 この菓子はかなり甘いので、これを食べる時はいつも俺は、お茶へ牛乳しか入れない。


 取り上げ、かじる。

 かっちりとした独特の食感。黒糖の香りが鼻に抜ける。

 不意に胸が詰まった。

 これをよく食べていた、幼い日のことが急に思い出された。



 俺たちは甲高い声を上げながら、次々と菓子へ手を伸ばす。

 相手よりたくさん食べてやろうとして喉に詰めそうになり、咳き込みながら慌ててお茶で菓子を流し込む。

 それを、寝椅子でくつろぎながらほほ笑ましそうに見ていらっしゃったレーンの方。

 あんまり慌てて食べてしまったら、お菓子のレクラと響き合えませんよ、という、かの方独特のたしなめる言葉。



(戻れないんだ……)


 改めて思い、涙ぐみたくなる。

 あの優しい方、あの幸せな子供たちはもうどこにもいない。

 かの方は眠りの国のかなたへ逝かれて久しく、あの幸せな子供たちは今、表沙汰に出来ない形で傷を負わされた王子、主を守れなかった無能の護衛官としてここに座っている。


「マーノ」


 声をかけられ、はっとして顔を上げる。

 アイオールが、少し困ったような顔でこちらを見ていた。

 目をしばたたいてややうつむき、言う。


「昨夜は……すまなかった」


 謝られるとは思っていなかったので、かなり俺は驚いた。


「あんなことを言われてもお前は困る、役目としてもひとりの人間としても。仮にもし立場が逆で、お前が私に殺してくれと頼んだのだとしても、私はきっとお前を手にかけることなど出来なかっただろう。ひょっとするとそこまで見越して、私はあんなことを言ったのかもしれない。あの時の気持ちとして、生きていたくなかったのは本当だったけど、お前に頼むのは間違っていたし卑怯だった。申し訳ない、許してくれ」


「アイオール……」


 俺は茫然と主の名を呼んだ。

 恥ずかしそうに目をそらし、アイオールは言う。


「実はさっき、セイイール兄さまに泣きながら諭されたんだ」


 先程のセイイールの赤い目を思い出す。


「お前に出来ないと言われてから、私は改めて考え始めた。苦しいとか辛いとか生きていたくないとか、そういう自分の感情だけじゃなく、そもそも何故こんな目に合わされたのか、私を傷めつける目的はなんなのか、順を追って考えていった。私を殺して得をする者などいないが、チョロチョロされると目障りだ、くらいの悪意を持つ者なら少なからずいるだろう。そのうちの何者かがおそらく、殺さない程度に私を傷めつけたかったのだろうな。私がこのまま自分の傷に囚われて自滅すれば、彼らはきっと喜ぶ。でもそんなのは業腹だ。たとえ彼らの鼻を明かす為だけであったとしても、私が生き続けてやる意味はある、と……」


 俺は、俺には絶対思いつかない凄絶な生きる意味に、絶句した。


「そこまで考えた時、兄さまがお見舞いにいらしたんだ。聡明なあの方に、私の仮説の信憑性がどのくらいか確認したかったんだ。事が事だけに、あの方ははっきりと肯定なさらなかったが……否定もなさらなかった。だけど、私の話を一通り聞いた後、あの方はお泣きになったんだ。驚いたよ、あの方がお泣きになったのなど、私は初めて見たから」


 微苦笑しながらアイオールは言った。

 幼い頃から落ち着き払った、常に人より一歩も二歩も先読みをしているセイイールだ、彼に涙は似合わない。

 俺だって、泣いている彼は上手く想像出来ない。


「そんな哀しいことを言わないでくれ、兄さまはそうおっしゃった。お前の敵の鼻を明かす為じゃなく、お前を愛しいと、大切だと思う者の為に生きてくれ……そうおっしゃったんだ」


 柔らかくアイオールはほほ笑む。

 苦笑の影が少し残る、照れたようなほほ笑みだった。


「……はっとしたよ。今まで自分の痛みに手いっぱいで、私を支えてくれている人、大切に思ってくれている人のことまで考えが至らなかった」


 アイオールは思い出したように揚げ菓子を取り、かじった。


「ああ……旨いな。黒糖の香りがいい、懐かしいなあ。こういうのを作ってくれる者が身近にいてくれて、私は本当に幸せ者だよ」



 俺は椅子から立ち上がり、安楽椅子の前に片膝を突いた。

 何事かと、アイオールは目を見張る。


「アイオール・デュ・ラクレイノ殿下。私マイノール・タイスンは王命により、あなたの護衛官を務めさせていただくことになりました。以後私はあなたに従い、陽に影にあなたをお守りすることをここに誓います」


「どうした?それは『就任の誓いの挨拶』でお前が言った口上だろう?」


 不思議そうに問う主へ、俺は顔を上げて視線を合わせる。


「実は俺は、近いうちに暇をもらうべきだと考えていた」


 アイオールはぎょっとしたように再び目を見張る。


「護衛官の任務は何だ?いついかなる時も主の安全と命を守ることだろう?だけど俺は就任早々、その任務をしくじった。俺がその場にいたとかいなかったとかは、言い訳にもならない」


「マーノ……」


「陛下からどんなお沙汰が下るのかはわからないが、俺は銀の襟章に相応しくない。誰よりも俺自身がそう思う。だから、仮に免職にならなかったとしても暇をもらうべきだ、と」


 俺はひとつ、ため息をついた。


「だけどそれは逃げなのかもしれない。今の話を聞いてそう思うようになった。……アイオール・デュ・ラクレイノ殿下。私は誓いを全う出来ませんでした。罷免されて当然だと思います。でも……もし。もし、もう一度誓い直させていただけるのならば。あなたのお父君が罷免のお沙汰を下さない限り、私の知力・体力・精神力のすべてを傾け、あなたをお守りすることを誓います。あなたを殺せという命令以外なら、たとえお前の命を差し出せという命令であっても、あなたに従うことをここに誓います」


 誓いの口上以上の誓いを込め、俺はそう言って頭を下げる。

 アイオールはしばらく逡巡していたが、やや困ったように、でもごく真面目に、応えた。


「お立ちなさい。その誓いを忘れず、務めに精進するように」


 誓いを受けた主の紋切りの返事だ。

 俺は静かに立ち上がり、改めて、主になった王子を見た。

 小柄で華奢で、それでいて見かけ以上に芯の強い、俺の主は深い息をひとつついた。


「重い誓いだな。後悔しないか?」


「人を守るって仕事は本来、このくらい重い仕事なんだ。就任した時は、あまりちゃんとわかっていなかったけどな」



 俺の返事に主は目を潤ませ、しかし明るい笑みを浮かべた。


「お茶の続きだ、タイスン護衛官」  

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ここまで拝読しました。 最初の一文からマイノールが回想している感じ、考えていることや思い出すことなどの一つ一つがとても自然で、すんなり世界へ入っていけました。王を守護する護衛官の務めの深さ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ