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1 誓い ⑥

 言葉もなく二人の王子は、ロンさんに導かれるまま廊下を進む。


 アイオールの寝室だ。

 消毒薬のにおいがただよう薄暗い部屋の中、天蓋を下ろした寝台に、うつぶせの状態でアイオールは横たわっている。

 相変わらず感情のない虚ろな顔だ。


 一瞥し、俺はぎょっとした。

 ずっとそばにいる時にはそこまでとは思っていなかったが、こうして改めて見ると、わずか半日で別人のように面変わりしやつれている。


 兄君たちははっと息を呑み、絶句した。

 生ける屍のような弟の姿に、激しい衝撃を受けたのだろう。


「サーティン先生」


 ややあってセイイールが声を絞り出す。


「アイオールは、その……」


「お怪我そのものは、単純なものが大部分です」


 侍医のサーティン先生は、強いて淡々と告げる。


「打撲、右肩の脱臼、擦過傷に……裂傷、が主なものです。これだけ一度に傷めつけられれば身体への負担は大きいですが、お怪我だけでは決してお命に関わることはありません。ですが……」


 ためらうように口ごもる、まだ若い侍医へライオナールが問う。


「ですが?ですが、何だ?」


 サーティン先生の顔がこわばる。


「殿下のお心の傷が……気になります。ヒトはあまりにすさまじい衝撃を受けると、心が砕けて生きる気力までなくしてしまうものです。殿下は昨日からほとんど何もおっしゃいませんし、何も召し上がりません。せめて少し食べていただこうと、先程無理にスープをお勧めしてみたのですが、戻してしまわれました」


 サーティン先生はひとつ、大きく息をついた。


「このままではお身体が衰弱し切ってしまいます。最悪の場合……」


 口ごもるサーティン先生を一瞥し、ライオナールはきつく口を引き結ぶ。


「最悪の場合、死ぬ、と?……馬鹿な、死なせん。死なせてたまるか」


 怒りを押し殺したような低い声でライオナールはつぶやき、にらむようにアイオールを見た。



 突然つかつかと寝台へ近付くライオナールに、その場にいた皆があっけにとられた。

 彼が何をするつもりなのか、我々にはまったく読めなかった。


 寝台の端に座ると、彼は無造作に腕を伸ばしてアイオールの身体を引き寄せた。サーティン先生が悲鳴を上げる。


「で、殿下!そんなに乱暴になさるとアイオールさまの傷が……」


「わかっておる!少し黙れ!」


 怒鳴りつけると彼は、やや荒っぽく弟の身体を引き寄せて起こし、顔を上向かせた。



 その瞬間、アイオールの表情が激しく変わった。

 唐突に何か恐ろしいことを思い出した、そんな感じだった。


「あ……あ……あ……」


 アイオールの喉の奥から声にならない声が漏れる。

 鋭いおびえが瞳に閃く。

 ライオナールは上を向かせたアイオールの顎をつかみ、覗き込んで呼びかけた。


「アイオール」


 がくがくとアイオールの身体が激しく震える。


「アイオール!」


 もう一度ライオナールが呼びかけた刹那


「ひぃぃいい!」


 とでもいう断末魔の獣のような声が響き渡った。

 アイオールの悲鳴だった。


「私だ、アイオール!ライオナールだ!」


「うわあああ、うわあああ!」


 意味のない叫びを上げ、アイオールは滅茶苦茶に暴れてライオナールを振りほどく。

 勢い余って寝台から転がり落ちたが痛みすら感じないのか、すさまじい形相で這うようにして壁ぎわまで逃げる。

 まるで猟犬(いぬ)に追われたうさぎの子だ。

 追い詰められ、壁を背にこちらを見上げる目は正気ではなかった。


「アイオール!」


 叫ぶように呼びかけ、ライオナールは立ち上がる。途端、


「うわあああ!来るな、来るなー!」


 と、喉も裂けよとアイオールは絶叫した。誰の目にも明らかだ、完全におかしくなっている。



 皆が硬直している中、ライオナールだけはひるまなかった。

 再びつかつかとアイオールへ寄る。

 彼は、混乱し切ってあえいでいる弟の胸ぐらをつかみ、引きずって立たせた。


「アイオール・デュ・ラクレイノ!」


 一音一音区切るように、ライオナールは弟の名を呼ぶ。

 一瞬何故か、ふっと、アイオールの目に正気が戻った。


「アイオール・デュ・ラクレイノ!第十代ラクレイド王・スタニエールの第三王子!聞こえるか!」


 噛みつくような勢いで呼びかけるライオナールへ、アイオールは震えながら何度もうなずく。


「いいか、よく聞け。お前は王子だ、デュ・ラクレイノだ!何があろうとなかろうと、それだけは揺るがん!たとえ不心得者がお前の身体を殺したとしても、デュ・ラクレイノであるお前の魂までは殺せん!わかるか!」


 アイオールはおびえたようにうなずく。


「お前の名前はっ?」


 怒鳴りつけるようなライオナールの問いに、アイオールはあえぎつつ答える。


「アイ…オール……デュ、ラクレ、イノ……」


「お前の父の名は?」


「ス…スタニエール……デュ・ラク…ラクレ、イノ」


「私の名前は?」


「ライオナール・デュ・ラク・ラクレイノ」


 混乱が徐々に収まってきている。

 ライオナールは顔を上げ、瞬きすら忘れて硬直しているセイイールへ目をやる。

 アイオールの胸ぐらから手を放し、彼は、セイイールの胸ぐらをつかんでアイオールの前まで引きずってゆく。


「じゃあこいつの名前は何だ?」


 アイオールは茫然としつつも答える。


「セイイール…デュ・ラク・ラクレイノ」



 ライオナールはセイイールの胸ぐらから手を放し、壁にもたれるようにしてへたり込んでいるアイオールのそばへ寄り、膝を折る。


「そうだ、我らはラクレイアーンより人間を治めよと命じられた誇り高いラクレイド王の一族、デュ・ラクレイノだ。名に『正統なる(ラク)』が付こうが付くまいが、大した違いなどない!お前の母君がレーンの神官だろうとデュクラの姫だろうと、お前は変わらずデュ・ラクレイノだ。もっと言うなら、厨に詰めている下働きの少女だろうと下町の花売り娘だろうと、神山ラクレイに住む鹿や熊が母であったとしても、お前はデュ・ラクレイノだ!」


 獣まで例に出すすさまじい無茶苦茶さだったが、ライオナールは非常に真面目で、かつその言葉には奇妙な説得力があった。



 アイオールの目の焦点が不意に合った。

 今まではただただ、吠えるように叫ぶライオナールに圧倒されていただけだったが、彼が誰だかはっきりわかったらしい。

 兄の目をきちんと見、アイオールはつぶやく。


「ライオナール、兄上?」


「そうだ、私はライオナールだ!」


 一瞬下を向いて目を泳がせ、もう一度アイオールは兄の目を見る。


「私は……アイオール」


「そうだ、お前はアイオールだ!」


 叫ぶと同時にライオナールは、アイオールを抱きしめて男泣きにおいおいと泣き出した。

 茫然と二人を見ていたセイイールは、泣き笑いのような表情になった。

 そして、抱き合って泣いている兄と弟の肩を両腕を広げて包み、彼自身も涙ぐんだ。



 どこか放心したような様子で二人の王子は帰って行った。

 追って沙汰はあるだろうが出来る限り悪いようにはしない、アイオールをよろしく頼むと二人は言った。

 睡蓮宮に安堵が広がり、少し落ち着いてきた。


 アイオールは疲れてしまったのか、ライオナール殿下に抱きかかえられた状態でいつの間にか眠っていた。

 頬は涙で汚れていたが、不思議と安らいだ寝顔だった。


 寝台に移され、こんこんと眠るアイオールをぼんやりと見つめながら、俺は、言い様のない寂しさと虚しさを持て余していた。

 俺は……乳母である母よりアイオールのそばに長くいて、誰よりもアイオールに近しい人間だと思っていた。

 身分は違うが、本当の兄君たちより俺の方がアイオールの兄なのだとも。


 だが、護衛官としてアイオールを守れなかったのみならず、俺は、兄としても役に立たなかった。

 俺が何度呼びかけても正気に戻らなかったアイオールを、ライオナール殿下は瞬くうちに呼び戻した。

 かなり荒っぽくて危ないやり方だったが、お陰でアイオールは正気に返った。その結果がすべてだ。


 これが……血を分けた兄弟の絆、なのだろうか?

 それとも、デュ・ラクレイノであるという誇りなのだろうか?

 血を分けた兄弟でもなければデュ・ラクレイノでもない、俺には一生わからない不思議なのかもしれない……。


 そんなことを鬱々と思っていた時、突然高い声で鳥が鳴いた。

 明かり取りの為に開けている窓を、俺は思わず見上げた。

 斜めから差す午後の光の中に、だが鳥影は見えなかった。



 その宵。

 ほとんど供も連れずに突然、王が睡蓮宮へいらっしゃった。宮に緊張が漲る。


「アイオールに会いたい」


 素っ気ないほど簡単に王はおっしゃった。

 出迎えたロンさんは口を引き結び、御心のままにと諾った。俺も後に付き従う。


 その頃、アイオールは寝台にうつ伏せになった状態でうつらうつらしていた。

 少し前に一度起きて、湯冷ましとスープの上澄みを摂った。

 今度は戻すこともなかったし、短い単語だけだったがちゃんと問いかけに答えるようにもなったので、特にサーティン先生は目に見えてほっとしていた。


 枕元に従者たちとは違う気配を感じたのか、アイオールはぼんやりと目を開けた。

 深く垂れた天蓋を透かし見るようにして枕元の人物を確認していたが、それが意外な人物であるのに気付き、目を見張る。


「……父上?」


 アイオールの少しかすれた声を聞いた途端、王は顔をゆがめた。


「すまない」


 王はポツリとそうつぶやいた。

 消え入りそうな声での謝罪の言葉。

 驚き、アイオールは身じろぎした。


「すまないアイオール、私の不徳だ。宮殿、それも己れが住んでいる離宮の敷地内で王子がこのような目に合わされるなど、前代未聞である以上に決してあってはならないことだ。そのあってはならないことが起きたのだ、王である私の不徳以外、何だと言う?許してくれとは言わない、まずは謝らせてくれ。不甲斐ない父ですまない、アイオール。お前の……母に合わせる顔がない」


 語尾が揺らぐ。

 涙こそなかったが、王は泣いていた。

 何度か息をつき、王は言葉を続ける。


「もちろん犯人を追う。必ず捕まえて罪に相応しい処分を下す。決して許しはしない、これはお前個人の問題以上の問題だ。王家への陰湿な不敬の表明、それがどれほどの罪なのかを、腹の底から犯人に理解してもらおう。……生まれてきたことを後悔するがいい」


 王の最後のつぶやきには、不気味な狂気のにおいがした。



 その後、我々は王から短く叱責された。

 静かな声での淡々とした叱責の言葉は、怒鳴り散らされるのとは別種の恐ろしさだ。

 聞いているうち、何だか俺は胃がシクシク痛くなってきた。


「今回のことはお前たちだけの責任ではない。一番は、只今のラクレイドの宮廷にはびこる緩みそのものが招いたことだ。宮殿の警備を含め、色々と見直す時期がきているのだろう。今後私も心する。が、今回のことは、お前たちもそれぞれそれなりに責任を取ってもらう。水際で暴漢の跳梁跋扈を止められなかったのは事実だし、色々な慮りからだということは理解しているが、報告が遅れたのも事実だからな」


「陛下、恐れながら申し上げます」


 青ざめたロンさんが口を開く。


「この度のこと、そしてその後の対応のまずさ、すべては私の責任、私が無能だったからであります。宮の者たちをうまく統率・管理出来なかった私の責任であります。どのようなお沙汰でも私は慎んでお受け致します。ですがなにとぞ、宮の者たちには寛大なご処置をお願い致します」


 ふっ、と、王は鼻息だけで笑う。

 冷たく光るはしばみ色の瞳にぞっと背が冷えた。


 俺はふと、クレイールに対峙していたアイオールを思い出した。

 さすが親子、怒り方がそっくりだな、と、馬鹿みたいに暢気なことを心の隅で思った。


「己れの首を差し出す故、部下たちの責任は不問にしろということか?そうはいかないな。第一、ユリアール・デュ・ロクサーノ侍従長。お前が死んだところで事はまったく解決しない。むしろ死なれでもしたらかえって迷惑だ、故に自死も認めぬ。お前は生きて、あれこれの目途がつくまで責任を持って働いてもらう。もっとも、近いうちに引退は考えた方がいいかもしれないがな。これまでよく務めてくれた、王都のはずれに小さな荘園がある、アイオールが落ち着き次第そこでのんびり余生を送っておくれ」


 承りました、御心のままに、と、ロンさんは深く頭を下げた。



 その後、叱責とは別に宮の従者たちは全員、当時のことを詳しく訊かれた。

 しかし何か特別変わったことがあったとは言えなかった。

 いつもと同じように一日が流れていたのだ、夕刻までは。


 強いて言えば俺が講習で睡蓮宮を離れていたこと、汚物の汲み出しと便槽の掃除をする人足が来る日だったことがあげられた。

 しかし人足は常に来る者たちだったし、作業時間にも態度にも不審な点はなかったと下働きの者たちは証言した。


 目隠しをされていたことから考えて、アイオール自身でさえ犯人を見ていない可能性が高い。


 王は黙ってそれらの話を聞いていた。そして、そばに控えているあまり見かけたことのない護衛官の一人に、何かをそっと耳打ちした。



 王がお帰りにになられた頃には夜も更けていた。

 俺たちは言葉も少なく、厨の者が手早く用意してくれた軽食をもそもそかじった。

 湯がいた腸詰めやあぶった薄切りの燻製肉、酢漬けの野菜を添えたパンなんかだ。


 食事の後、俺はアイオールの様子を見に行く。

 相変わらず寝台にうつ伏せになり、うつらうつらしているようだ。


「誰?」


 気配を感じたのか、アイオールはうっすらと目を開け、俺を認めてかすかに笑みを作る。

 人間らしい当たり前の反応をするアイオールに、俺は不覚にも目頭が熱くなった。

 慌てて何度も瞬きをして、不穏な湿り気をまぶたから散らす。


「マーノ……まだ起きていたのかい?よくわからないけど、もう遅いのだろう?」


「そうでもねえよ。体調はどうだ?」


 自分でもぎこちないのを承知で笑ってみせる。うん…まあまあ、と、アイオールは曖昧に答える。


「あ……すまない。いい訳ねえよな、ごめん」


 いや、とアイオールは苦笑いする。


「確かにあちこち痛いしだるいし、なんだか暑いような寒いような変な感じだし、ちょっと頭もふらつくけど……」


「滅茶苦茶悪いじゃねえか。もういいよ、しゃべるな。寝ろ」


 俺が言うと、アイオールは小さく首を振る。


「それでも前より気分は悪くないんだよ。スープの塩気やすりおろした林檎のさっぱりした甘味が美味しかった。……生きてるんだね、私は」


 俺は言葉を失くした。

 生きてるんだね。

 そんな言葉が出てくるということは、死んだとしか思えなかった、ということだ。

 アイオールはやや恥ずかしそうに眉を寄せる。


「ねえマーノ。悪いけど夜が明けるまで、声が届くところにいてくれないか?護衛官の制服を着ている必要はない、乳兄弟のマーノとして近くにいてほしいんだよ。疲れているのに迷惑かけるけど……」


「わかった。じゃあ寝る用意をしてこっちへ来る。長椅子を借りるぞ」


 わざと軽くそう言い、俺はきびすを返す。追いやった筈の湿り気が再び、俺の目をかすませた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ライオナールやりますね。 王家の誇りってのはすごいものです。 [一言] 犯人はただの変態なのか、それとも大きな何かが始まる序章なのか! 楽しみに読みたいと思います!
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