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3 厳冬の客人⑭

 翌早朝。

 思い付き、身支度を整えて部屋を出る。

 睡蓮宮の裏庭あたりでも、少し歩いてみようかと思う。



 昨日夕食を持ってきたおふくろへ、アイオールが眠りながら泣いているのはここ最近眠ると母君の夢を見るからだと本人から聞いた、要するに感傷にひたっているだけだそうだから、心配するほどでもないと言っておいた。


「母君さまの夢?」


 首をひねって怪訝そうに問い返すおふくろへ、


「ああ。多分、あいつもあいつなりに色々と考えるんだろうよ。例の事件で一回死にかけたし、ついでにこの前、俺も死にかけたからな」


 と、素っ気ない調子で答えた。


 おふくろはぎょっとし、慌てたように夕食の盆を指して、冷めないうちに食べてしまいなさいと話を変えた。

 こんな形でごまかすのはちょっと気がひけたが、この件についてあまりこの人には話したくない。

 くわしく話すとどうしても、微妙な部分が出てくるから。



 裏庭へ向かう。やや風はあるが晴れている。

 北東にそびえる神山は今日も美しい。


 アーナン先生に教わった深呼吸をしてみる。

 心なしか、空気にまじる新芽のにおいが濃くなったような気がする。


(自分が、思っているだけ……)


 深呼吸をしながら、昨日の夕方から何度も心で繰り返した言葉をなぞる。


 昨日の夜。

 おふくろが帰った後、寝台に横たわった俺の頭にアーナン先生の言葉がぐるぐる回った。


(自分が、思っているだけ……)


 思っているだけ。思っているだけ。


 反発がわく。

 お前の思い過ごしだと言われている気がして腹が立つ。


 思い過ごしであるものか、俺は本当に最低な護衛官だ!


 最低だ最低だと胸でつぶやき続けているのにはっとし、情けなくなって落ち込む。

 己れを最低と一生懸命己れへ言い聞かせてどうする、この底抜けの大馬鹿者めが。


 最低ならさっさと辞めろ、という声もどこからか聞こえてくる。

 もっともだと思う反面、心の何処かがうろたえる。

 護衛官を辞めるのはいいが、正直な話、辞めた後の人生を上手く思い描けない。


 酒場や娼館で見かける、あるいは旅の商人の荷を守っている、腕っぷしは強そうだが柄のよろしくない用心棒の姿や、辺境の警備隊に雇われる傭兵の姿がまず浮かぶ。

 なんだかんだ言っても、俺が人より強みになるのは剣しかない。

 宮廷仕込みの剣が、市井の荒くれや実践一本でたたき上げた者たちの間で通用するのかは心許ない。

 だがこれでも一応は護衛官、試合用のお綺麗な剣だけを仕込まれた訳でもないから、やってやれなくもなかろう。

 さすがにその程度の務めは出来る筈、食うに困ることはおそらくあるまい。


 いっそまったく違う仕事、たとえばクルサテの親せきを頼ってあの辺りで盛んな牛飼いの手伝いをするとか、いっそ港町フィスタまで流れて行って荷受けの人足になるとか、そういう道もあろう。


 牛を追って広い草原を行く自分、同僚と野卑な冗談を言いながら船から荷を下ろす自分なんかを思い浮かべ、俺は笑む。


 『睡蓮宮のマーノ』とは全く違う自分。


 無心に身体を動かして日々の糧を得る、ややこしい規律や面倒な礼儀作法とは無縁であろう世界の自分。


 ……悪くない。

 嵐に屋根を吹き飛ばされたものの、思いがけないくらい澄み切った青い空がそこに広がっていたような解放感。

 笑みを深くする。

 案外そういう道の方が俺には向いているかもしれない。


 職人や商人にだって、本気で骨惜しみせずに頑張れば多分、ぎりぎり間に合う年齢だろう。


 そうだ。

 『護衛官でなくてはならない』ことはない。

 それこそ俺がそう思い込んでいただけだ。


 明日にでもアイオールへ、誓いをまっとう出来ないと詫びて暇をもらおう。

 そして……そして……。


 妄想に似たあれこれを思い浮かべているうちに、いつの間にか俺はぐっすりと眠り込んでいた。


 吸う。吐く。吸う。吐く。


 身体の中から澄んでゆく心地。

 昨夜寝台の中で思い浮かべたあれこれも、夢の残影のようにぼやけて息と一緒に吐き出されるのだろうか。

 あの時の不思議な高揚感はすでにない。


(思っている、だけ……)


 最低の護衛官だと卑下しても、あるいは最高の護衛官だと現実を度外視してうぬぼれても。


 牛飼いにでも荷役にでも、職人にでも商人にでもなれると浮かれたことも。


 現状ではただ、俺が自分でそう思っている、だけ。


 冴えた空気が静かに身の内を満たす。

 俺は神山ラクレイを見上げた。

 神山は変わらず超然とそびえ、雪の峰は朝日に柔らかく照らされてほんのりと染まっていた。



 庭の土を踏みしめてゆっくりと歩き始める。

 シャリシャリ、とかすかな音が靴底でした。

 歩くにつれて身体がゆっくり冷えてゆく。

 地面に淡く落ちている己れの影を見つめ、うつむき加減に俺は歩いた。

 この世にひとりきりのような、頼りない心許なさを持て余す。



 不意に、ちり、とでもいう嫌な感じがした。

 少し先の薮にかすかながら違和感がある。

 姿勢も歩く速度も変えず無意識で腰を探り、帯剣していないのに内心舌打ちする。

 有無を言わせず薮の陰にいる怪しい人物を取り押さえるには、体調を含めこちらの状況が不利すぎる。

 俺は身体の重心を低くして静かに立ち止まり、声をかける。


「そこの薮にいる者。出てこい」


 薮はゆらがない。だが気配は感じる。


(ひとり、だな)


 俺は息を調え、もう一度声をかける。


「出てこい、逃げられないぞ。俺ひとりならまだしも近衛武官の詰所はすぐそばだ、大声を出せば飛んでくる」


(くそ、石ころひとつ落ちてねえ)


 鋭く辺りを見回し、奥歯をかむ。

 庭園に近い側といえ裏庭の手入れにも手を抜かない、睡蓮宮(うち)の庭師の仕事熱心さを初めて恨めしく思った。


 かすかな葉擦れの音と共に立ち上がった人物を見て、俺は拍子抜けした。


「サルーン護衛官……」


 いつも通りにきちんとお仕着せを身につけたサルーンだった。

 目許にしわを寄せ、彼は笑う。

 しかし、さすがにややきまり悪そうではある。


「おはようございます。申し訳ありません、タイスン殿。いや、実は私、起き抜けに警邏がてら宮の敷地をぶらぶら散歩するのが日課なんですが。タイスン殿が考え事をしながら向こうから歩いていらっしゃったので、邪魔しないでおこうと余計な気を遣いまして」


 申し訳ありません、とサルーンは再び詫びる。

 すっかり気が抜けていた俺は、


「ああいえ……そうだったんですか」


 と、馬鹿みたいな返事をした。


「しかしタイスン殿。さすがですね」


 サルーンはふと真顔になる。


「かなり集中して何か考え事をしてらっしゃったのでしょう?よくここに誰かひそんでいると見破りましたね」


 え?と間の抜けた声をあげる俺へ、サルーンは再び目許をゆるめた。


「体調が悪くても悩んでいても、あなたは変わらずアイオール殿下の正護衛官 マイノール・タイスンでいらっしゃいますね」


 失礼を致しました、では、と頭を下げ、サルーンは立ち去った。


(……体調が悪くても、悩んでいても)


 俺は、アイオールの正護衛官、か。


 そう言えば思うより考えるより早く、俺の身体は護衛官の務めを果たすべく動いていた。


「ふふふ」


 打ちひしがれていても腹は減り、悩んでいても務めは果たす。

 さながら春になれば草木が芽吹き、つばめが帰ってくるように。


 俺の身体はまるで野生の獣だ。

 生まれたから生き、身に叩き込まれた役目を本能のように躊躇なく果たし、そして時が来ればおそらく、大人しく死んでゆくのだ。


 ごちゃごちゃと悩んだり迷ったりする、俺の心を置き去りにしたまま。


 顔を上げ、空を見た。

 陽射しがやけに明るく、眩しい。

 神山はさえざえと白い峰を輝かせている。


(……あんたにゃ敵わねえ)


 そんな言葉を胸でつぶやいていた。

 己れに言ったのか神山に言ったのか、自分でもよくわからなかった。



 朝めしを食った後、部屋で軽く身体を動かす。

 もう十日近く、歩くことすらろくにしていない。

 さすがになまった身体が気になり出した。

 今朝方薮を急襲しなかったのは、帯剣してなかっただけが理由ではない。

 思う通りに手足を操る自信がなかったからでもある。


 護衛官であろうがなかろうが、自分の思う通りに身体がすっと動かないのは嫌だ。気持ちが悪い。

 用心深く、まずは手首や足首を回す。

 嫌な突っ張りや違和感がないのを確かめながら、そろそろと腕や肩を動かし、脚を曲げ伸ばしする。


(うへえ……)


 思っていた以上に体感が違い、うろたえる。

 今までしっかり筋肉のあったところが薄くなり、そこにうっすら脂肪がつき始めている。

 何もしていなければ気付かない程度の差だが、屈伸したり回してみたりするとはっきりわかる。


「まずいなあ」


 ため息が出た。この分ではまともに剣が扱えるかどうか。


「なんだ、元気そうじゃないか。熱を出したとか聞いたから心配したのに」


 ろくに合図もせずそう言いながら、出し抜けに部屋の扉を開けたのはトルーノだ。


「お、おい!お前、務めは?」


 びっくりして問うと、トルーノは可笑しそうに口許をゆがめた。


「まったく、おんなじことしか言わない男だなお前は。今日は休みをいただいてるんだ。町へ出る予定だから、欲しいものでもあったら買って来てやるぞ」


 言いながらヤツは、やはり断りもせずに椅子に座りこむ。

 俺は半ば仕方なく運動をやめ、寝台の縁に座った。


 俺は改めて、トルーノの美しく整った顔をしげしげと見た。

 俺から見れば容姿能力ともに恵まれたこのとぼけた男も、時には悩んだりするのだろうか?


 そりゃあ……するか。

 少なくとも子供の頃はこいつ、いつもおどおどと自信なさげで、どちらかと言えば暗いガキだったし。


「なんだ?ヒトの顔をじろじろ見て」


 怪訝そうなトルーノへ、俺は思い切って訊く。


「なあ……お前。護衛官を辞めたいって思った事、ないか?」


 ぎょっと目を見張って本気でたじろぐヤツを見て、なんとなく溜飲が下がる。


「朝からまた、重たい話題だな」


 ため息まじりにあきれ半分の口調で言うと、トルーノは真顔になる。

「そりゃ、あるよ」


「だけど辞めなかった。何故だ?」


 不躾な問いだとは思ったが、俺は真面目に知りたかった。

 トルーノにもそれが伝わったのだろう、ごく真面目に答えてくれた。


「結局のところ、俺はセイイールさまの護衛官以外、やりたい事が他にないからさ」


 胸の芯を射抜かれた。

 なんと真っ直ぐで、ある意味我が儘な理由だ。


 言葉を失くしている俺へ、トルーノはさすがに面映ゆそうに目をそらしてちょっと考えた後、続ける。


「まあ、俺も人間だしセイイールさまも人間だからな。正直、上手くいく時ばっかりじゃないけど。でも結局、このちょっと気難しいところのある方を、そばで支えていたい、それ以外にやりたいことは俺にはない、って気付くんだよ」


 しばらく絶句した後、俺は無理矢理笑みを作り、茶化した。


「……愛の告白かよ」


 トルーノはからりと笑う。


「忠誠の誓いなんて、愛の告白みたいなモンさ」



 思わず大笑いした。

 笑いながら、そうかもしれない、と妙に納得してもいた。

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