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3 厳冬の客人⑨

 明け方に一度目を覚ましたが、ぐずぐずしているうちに二度寝してしまい、朝食と薬湯を持ってアーナン先生がいらっしゃるまで、またぐっすり眠ってしまっていた。


「体調はどうですか、マーノ」


 半身を起こしてみると、明らかに昨日より動きが軽い。


「ずいぶん楽です」


 俺の答えに、アーナン先生がほっとしたように笑う。


「厨の方で、消化が良さそうでマーノが好きなものを、と工夫してくれましたよ。昨日よりは食べやすいんじゃないでしょうか」


 差し出されたのは裏ごししたかぼちゃで作ったスープ、皮ごとふかしたじゃがいもにバターと塩を添えたものだった。

 おお、と小さく声を上げた。確かにどちらも俺は好きだ。


 いくら怪我人で病人とはいえ、わざわざ俺の為に朝から手のかかるかぼちゃの裏ごしをしてスープを作ってくれたようだ。

 こういう家庭的な配慮や優しさは、いかにも睡蓮宮らしい。

 いただきます、と、俺は思わず皿に向かって頭を深く下げた。


 スプーンを取り上げ、ひとさじ口に入れた途端うなってしまった。

 う、旨い!


「旨いですねえ」


 感に堪えたように言う俺が可笑しかったのか、アーナン先生は声を立てて笑った。


「食べるものが美味しくなってきたのは良いことですねえ。もしかすると、単に麦粥に辟易していたからかもしれませんけど」


 俺は曖昧に笑ってごまかし、じゃかいもに手を伸ばす。

 ほんのりとあたたかみの残る芋を手で割り、バターと塩を付けてかぶりつく。

 旨い。

 バターの油っけ、塩の中のほのかな甘みが沁みるように旨い。

 皿に盛られたじゃがいもふたつとスープを、瞬くうちに平らげる。


 白湯を飲んで息をついた。

 久し振りに食事らしい食事をした気分だった。


 次にいつも通り薬湯に口をつけたが、吐き出しそうになった。今までほとんど気にならなかった薬湯の味にある癖が、妙にきつく感じられたのだ。


「飲みにくそうですね」


 そう言うアーナン先生へ、俺は苦笑い含みに問う。


「薬湯の配合、変えていませんよね?」


「変えていませんよ。おそらくもう必要でなくなってきたのでしょう」


 あまり飲みにくいようなら飲まなくてもいいと言われたので、ありがたくそうさせてもらう。



 今朝もお袋とアーナン先生とで身体をふいてもらい、湿布を貼り替えてもらった。

 炎症が治まってきているのか、微熱っぽい感じも薄らいできた。


「明日辺りから湯殿で入浴しても良いでしょう。急性期の炎症が治まった後はお風呂で温めた方が治りが早いですからね」


 毎日入る方がいいですから、湯殿の方へそう伝えておきましょうと簡単に言われ、俺は驚く。


 王都、特に宮殿は、神山からの雪解け水や湧き水が豊富なので水に不自由しない。

 山側では温泉も少し出る。

 お陰で、宮殿勤めの者は下働きでも夏場は一日おき、冬場でも三日に一度は、湯殿で順番に湯を浴びるのが昔からの習慣になっている。

 物心ついた頃から俺は、そうやって暮らしてきた。


 頻繁の入浴は宮仕えの特権のひとつに数えられるが、『冬場に毎日』など貴人並みの贅沢ではないか。

 おそるおそる、俺ごときがそんな贅沢、良いのでしょうかと言ったが、主の為にどうせ毎日沸かすのだから気にするなと、あらかじめアイオールから先回りして言われているのだそうだ。


「殿下は医学の知識も多少お持ちのようですね」


 アーナン先生の言葉に、俺は苦笑いをする。


「何にでも首を突っ込む質なんですよ、あの王子様は」



 アーナン先生たちが立ち去った後、俺は、寝台に横たわったまま明かり取りから差し込む光をぼんやりと眺めていた。


 昨夜見た夢をふと思い出す。

 夢のすべてをしっかり覚えている訳ではないが、懐かしいような切ないような、不思議な夢だった。


 俺は残念ながら、父親のことをほとんど覚えていない。

 見上げるほどの大男で、筋張った太い腕をしていたような記憶はあるが、小さい子供なら大抵、大人の男をそう感じるだろうからあてにならない。


 お袋の話では、俺は、顔はどちらかと言うとお袋似だが、身体つきや体格はぎょっとするほど父親に似ている、らしい。

 となると、見上げるほどではないものの、がっしりとしたいい体格をしていたのだろう。

 いかにも武人らしい、太い骨にみっちりと筋肉が巻き付いたような身体をしていたのだろう。


 ろくに記憶すらない父親の血が、俺の中にちゃんとあるのがひどく不思議な気がした。


(なあ、父さん。あんたがもし護衛官で……今の俺のような状況だったら。あんたならどうした?俺は、どうするのがいいと思う?)


 逆光の中に立つ男へ心の中で呼びかけてみるが、答えは当然ない。

 


 今日はちょいちょい見舞客が来た。

 まずは午後になる手前辺りに、部屋着にガウンをはおったアイオールが来た。


「どうだ?ちょっとは顔色が良くなってきたみたいだな」


 そろっと、探るような目で俺を見て言う。気を遣っている感じなのが申し訳ない。

 俺は笑みを作る。


「ああ。お陰でずいぶんいい。すっかり心配や迷惑をかけて申し訳なかった。そっちは床上げしたみたいだな」


 床上げというほど大層なものではないが、ずっと寝ているのも飽きてきたしな、と、やや投げやりな感じでアイオールは言った。


「他人の心配はいいから、お前は自分の養生をしろ」


「ああ、ありがとう。すまない。だけど本当にずいぶんいいんだ、身体の痛みも和らいできたし」


 俺が言うと、アイオールの頬がかすかにゆるんだ。


「……そうか」


 一瞬何か考えるようにアイオールはうつむいたが、顔を上げ、また来るよ、と言って笑んだ。



 昼過ぎに突然トルーノが訪ねて来て、かなり驚いた。


「お、おいおい。お前、務めは?」


 思わず半身を起こす。急に動いたせいで背中と腰に一瞬、痛みが走った。


「心配するな。殿下からちゃんとお許しをもらっている」


 楽にしろ、とトルーノは言うと、断りもしないで俺の部屋の椅子に座る。

 セイイール殿下のお供という形で今日、トルーノはこちらへ来たという。


「トルーノに、ぜひマーノを見舞ってやってほしいと伝えてくれ、今朝方アイオール殿下から春宮へ、そんな手紙が来てね。護衛官同士でなければ話せない悩みなんかもあるかもしれないからって。それを読んだセイイールさまが、なら午後から睡蓮宮へ遊びに行くことにするから、お前は私の供をしろ、そうおっしゃったんだ。……我々はいい主を持ったよな」


 言いながらトルーノは、小さな包みを俺に渡した。


「見舞いだ。最近城下町で評判になっている、ちょっといいキャラメルだよ」


「キャラメル?」


 思わず聞き返すと、トルーノは意外そうに首をかしげた。


「なんだ、嫌いだったのか?」


 嫌いではないが、いい歳をした男がキャラメルをもらっても、別に大喜びしないだろうが、普通は。

 どうも……こいつはどこかしら、ズレている。

 基本有能なヤツなのだが、なんとなくとぼけたところが昔からある。

 まあ、その優雅な見た目によらずとぼけたところも込みで、こいつは春宮の侍女や女官たちにもてているようだが。

 キャラメルの話も彼女たちから仕入れたのだろう。


「だけどお前、花なんかもらったって嬉しくないだろう?俺だって野郎に花なんか贈りたくないしな。内臓が良くないらしいから酒はご法度だし、菓子ならまあ良かろうかと思ってキャラメルにしたんだ。キャラメルなんか子供の菓子と馬鹿にするかもしれないけどな、栄養価も高いんだぞ。遠征部隊の非常食に使われることもあって……」


「ああいや。ちょっとびっくりしただけで、別に嫌とかそういういうことじゃないんだ。ありがとう、いただくよ」


 包みをむき、上品ないい香りがするキャラメルを口に入れる。


 キャラメルを口にするなど一体何年ぶりだろう、十年ぶりくらいか?

 子供の頃に食べたものより甘さを抑えてあり、いい感じのほろ苦さもある。

 評判になるだけあって、大人が食べても十分旨いキャラメルだ。


「俺にも一個くれ」


 俺が旨そうにもぐもぐやってるのを見て自分も食べたくなったのか、言葉と同時にトルーノの手が伸びてきた。

 あっと思った時にはすでにひとつ、ヤツは口の中へキャラメルを放り込んでいた。


「あ、こらお前。見舞いの品じゃなかったのかよ」


「一個くらいいいだろうが、ケチ」


 子供(ガキ)の頃のような馬鹿馬鹿しい言い合いをする。

 とりとめのない話をその後しばらく続けたが、ふとトルーノは真顔になった。


「今回のことだけど。お前、一体どうしたんだ?」


 俺は詰まる。


「アイオール殿下からお聞きした限りでは、一昨日の早朝、サルーン護衛官と剣の鍛錬をしていて身体を傷め、怪我のせいか過労のせいか、しばらく意識を失ったらしいな。アーナン先生の診立てでは、疲れがたまって内臓まで弱っているそうじゃないか」


 俺は苦笑いをする。


「よく知ってるな。どうやらアイオール殿下様、一から十までお前にしゃべったらしいな」


「まぜかえすな」


 やや苛立たしそうにトルーノは言った。


「マーノ。お前をそこまで追い込んだのは何だ?……例の、落馬事件に関することか?」


 こいつはいつもど真ん中な、そのものずばりの答えにくい質問をしやがる。俺は一瞬、唇をかんだ。


「そう……とも言えるし、でも少し違うような気もする」


 ため息をつき、考えながら言葉を続ける。


「まず俺は……例の事件で主を守れなかった」


 それは、と言いかけたがトルーノは口をつぐみ、目で続きを促す。


「守れなかったのは不可抗力だったと言い訳出来なくもない。でもそれはあの当時、俺が全力をかけて護衛の仕事をまっとうしていたとすればだ。正直、そこまでしていたと言い切る自信がない。手を抜いていたつもりはないけど、日々の仕事を流すような感じでやり過ごしていたんだ……今思えばそうだった」


 ふふ、と乾いた笑いが出てきた。諦め笑いとでもいうやつだろう。


「俺は、自分が銀の襟章に相応しくないと知っている。知っているけどあえて務めを続けている部分がある。務め続けるのが贖罪のような気もしているし。だが、自覚はしてなかったけど多分、それが悩みの大本なのだろうなと思う。相応しくもないのに護衛官などという大事な務めを続けている……もっと相応しい人がいくらでもいるだろうにと、心の隅でいつも思っている。どうやらそいつが、自覚以上にきつかったみたいだな」


 最後の言葉にはため息がまじってしまった。


 トルーノはきつく眉を寄せ、口を真一文字に引き結んでいた。


「マーノ」


 トルーノは絞り出すように声を出す。怒りを押し殺しているようでもある。


「訊くが、じゃあ銀の襟章に相応しい者って、一体どんな人間なんだ?」


「そりゃあ、サルーン護衛官のような方だろうな」


 俺は即答した。

 剣の技術はもちろん、彼は護衛の為の気配り目配りも完璧だ。

 人格も素晴らしい。


 が、何よりすごいのは、そんな鉄壁の護衛をしながらも、守っている相手にまったく圧迫感を与えないところ、だろう。

 仮に俺が彼と同程度の気配りをしながら護衛をしていたら、おそらくすさまじくピリピリしているに違いない。


 護衛中の彼は本当に目立たない。

 まるで主の周りにある空気、あるいは主の後ろに伸びる影、だ。


 そこにいるだけで主に安心を与える必要不可欠な存在でありながら、己れ自身は空気のような影のような雰囲気。

 これこそが真の護衛官のたたずまいなのだと、彼と一緒に務めるようになって俺は痛感した。

 しかしそんな護衛、逆立ちしたって俺には出来そうもない。


 トルーノはやや皮肉めいた笑みを片頬に浮かべる。


「それじゃあ、俺も銀の襟章を陛下へお返ししなくてはなるまいな」


 え、と声を上げる俺へ、トルーノはたたみかける。


「サルーン護衛官のようでなければ護衛官を務めてはならないのなら、今の宮廷で護衛官を務められるのは、彼しかいないのに等しいぞ。あの方は護衛官の中の護衛官、皆の目標・皆の憧れだ。目標や憧れは、自分がその境地に遠いから目標であり、憧れなんじゃないのか?」


「それは……そうだが」


 トルーノの言うことはわかるが、何かが納得出来なかった。

 目を伏せる俺へ、トルーノは真顔で言葉を続ける。


「マイノール・タイスン。お前は約半年にわたる試験期間を務め、複数の現役護衛官から適性があると判断された。俺もその判断をした試験官のひとりだ。今、お前が自分をどう考えていようとも、俺の判断はまったく揺らがない。お前は護衛官として恥ずかしくない力量の持ち主、つまりこの務めに必要な技術と知識、人格の持ち主だ」


 恥ずかしくなるほど真っ直ぐ俺を見て、トルーノは言い切る。


「サルーン護衛官とお前を比べるなら、優秀なのは当然サルーン護衛官だろう。お前だけでなく俺も、他に試験官を務めた者だって皆、彼から見れば劣っているだろうさ。だけど護衛官としての適性が、そのうちの誰にもないとまでは言えないんじゃないか?」


 そこでトルーノは思わずのように目を伏せ、黙った。

 熱く語り過ぎ、さすがにちょっと照れくさくなったのだろう、苦笑いめいた感じに頬をゆがめた。

 しかし、ややあってトルーノは目許をゆるめ、穏やかな口調でこう言った。


「少なくとも俺は、お前は銀の襟章に相応しいと思うぞ。自信を持っていいし、持つべきだと思う。まあ……とにかく今は。ゆっくり休んで、しっかり身体を治せよ」


 トルーノの気遣いに、俺は、ぎこちないだろうが顔を上げて笑ってみせ、ありがとうと答えた。



 トルーノが帰った後、俺はぐったりと枕に頭を預け、斜めに差し込む陽をぼんやり眺めた。


 何だかひどく疲れた。

 ヤツの気遣い、励ましは嬉しかった。

 お前は銀の襟章に相応しいと本気で言ってくれているのもわかるし、救われた部分もなくはない。

 だけど何故かその言葉は、俺の心の中へ素直に入ってこなかった。


(ごめんトルーノ。ごめん、すまない……)


 気付くと俺は、心の中でしきりにトルーノへ謝っていた。

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