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3 厳冬の客人⑦

 我に返ったのは自室だった。

 自室の、自分の寝台の上にいたのだ。

 見覚えのあり過ぎる天井をぼんやり見る。

 なんだかひどく苦しい夢を見ていたような気がした。


「気分はどうですか、マーノ」


 声をかけられ、俺は首を巡らせる。

 身体にびりっと嫌な感じの痛みが走り、俺は思わず顔をしかめた。


 アーナン先生だった。

 枕元の椅子に座り、俺を静かに見下ろしている。

 何故ここにアーナン先生がいるのだろう、まだ夢を見ているのかとぼんやり思った。


「私が誰だかわかりますか?」


 ヘンなことを訊くなあとぼんやり思いながらうなずき、


「アーナン先生、今日は『マーノ』なんですか?」


 と、若干かすれた声で俺は間の抜けたことを問うた。

 アーナン先生は苦笑するように、一瞬、顔をゆがめた。


「身体を傷めて治療中のあなたは、わたくしにとって護衛官殿というよりも古くからの患者の一人ですからねえ。身体を壊すのもかまわずに剣の鍛錬をする癖は、小さかったやんちゃなマーノの頃からですけど、今でも変わらずそうなのでしょうか?熱心なのは大変結構ですけど、身体を傷めた上に前後不覚に陥るまでの鍛錬はお止め下さいね」



 今朝方のことを思い出す。


 サルーンへ突っかかるように絡んでいって、散々剣で打ち据えられた揚げ句、散々投げ飛ばされた。

 己れのやけくそ的な行動には苦い後悔と恥ずかしさしかない。

 サルーンにとんでもない迷惑をかけてしまった。


 そういえばあの後、板に乗せられて身体を運ばれたような気がする。

 少し焦ったようなサルーンの声も、聞いたような覚えがなくもない。

 運ばれた先での騒然とした雰囲気や、医師たちの声や湿布の強い臭いなどを、途切れ途切れに覚えているような気もする。


 覚えているといえば覚えているが、夢の記憶のように頼りない。

 アーナン先生は静かに言葉を続けた。


「あちこちの筋肉や関節が炎症を起こしていますし、広範囲に打撲があります。頭は打たなかったようですが、少し吐き気もあるようでしたね。何より深刻なのは、ご本人の自覚以上に疲労が蓄積されていて、限界を大幅に越えていたことでしょう。睡眠不足の状態で広範囲の怪我をしたとはいえ、昏迷に近いくらい意識が朦朧とするのは異常ですからね」


 俺は思わず苦く笑う。


「体力があるのだけが俺の取り柄だったんですけどね、いよいよその取り柄もなくなりました」


 俺の(ややいやらしい)自虐的な気分は察しているだろうが、アーナン先生は冷静に言う。


「いくら若くて体力のあるあなたでも、無尽蔵にある訳ではないですよ。人間なのですから当然、疲れもすれば病みもします。過信は禁物ですよ」


「ええ……はい」


 当然すぎて一言もない。


「あなたは向こう五日間、お務めを休んで安静にして下さい。睡蓮宮の庭程度の散歩なら出歩いてもかまいませんが、基本は寝台に横になって安静に過ごして下さいね」


 とんでもない言葉にぎょっとする。


「ちょ……ま、待って下さい!たかが打ち身や筋肉の炎症ごときで務めを休んだり出来ませんよ。それに、五日も寝台でごろごろしていたら身体がなまりきってしまいます。もう少しして落ち着いたら、すぐ務めに復帰……」


 彼女は厳かに、小卓に置かれていた紙を取り上げた。


「わたくしの指示には今後、必ず従っていただきます。これはあなたの主でいらっしゃるアイオール・デュ・ラクレイノ殿下からの命令書です。ご確認下さいな」


 俺はまじまじと見る。



 『命令書』

 護衛官マイノール・タイスンへ命じる。

 体力の回復と負傷の完治を最優先の任務と心得え、

 今後しばらくアーナン医師の指示を厳守すべし。

      アイオール・デュ・ラクレイノ



(あんの、ガキ!)


 思わず歯噛みした。


 命令書、と書かれた真白な紙には、ご丁寧にも紋章印、真珠貝の意匠も麗しいアイオール・デュ・ラクレイノの紋章印が捺されている。

 略式ではあるが、公文書に準じる体裁で書かれている。


(何やってんだ、あの馬鹿。昨夜熱出して発作起こしてたくせに、公文書もどきなんか書いて遊んでんじゃねえよ!)


「了解していただけましたか?」


 静かに念押しするアーナン先生へ、俺は不承不承諾う。


「了解しました。御心のままに、と、殿下へお伝え下さい」


 皮肉のひとつくらい言わせてもらっても罰は当たるまい。くそっ。



 薬湯を持ってきます、と言ってアーナン先生は部屋から出て行かれた。

 俺はぼんやりと、明かり取りから斜めに差し込む陽の光へ目を当てた。


(……あ?え?)


 この……光の角度。少なくとも朝ではない、のでは?


 気付き、慌てて首を巡らせて枕元の時計を確認しようとし、ビリッと何処だかが痛んでうめく。

 それでも首を伸ばしてなんとか時計を確認した。


(はあ?)


 時計が狂っていないのなら、すでに午後を大幅に回っている。

 季節が季節だ、もう夕方近いと言えなくもない。


(お、おいおい……倒れたのは早朝だったぞ。丸半日以上、伸びてたって訳か?)


 なるほど。

 アーナン先生が向こう五日務めを休めとか言い出すはずだ。

 特に持病もない若い男が、打ち身と炎症程度の怪我で半日もひっくり返ってまともに目を覚まさないとなると、そりゃあ医者でなくとも大袈裟に考えるだろう。


(案外アイオールも、真面目にあの命令書を書いたのかもしれないな)


 少なくとも、正午を回っても俺の意識があやふやな状態だと聞かされ、本気で心配したのかもしれない。

 俺の性格上、意識がはっきりしたらすぐにも務めに戻ると言い出しかねないのを見越し、大仰な『命令書』で動きを封じた……と。


「……はあ」


 ため息が出る。

 まったく何をやってるんだ、俺は。

 一体どれだけの人間に迷惑と心配をかけたのだろう、穴でもあったら入りたいとはこのことだ。


 昨日トルーノにも言われたくらいだ、俺は確かにここ最近、いろんな意味で疲れがたまっていたのかもしれない。

 が、今回こうなった一番の原因は、昨夜ろくに寝ていないという悪い状態で、やけくそになってサルーンへ突っかかっていったせいだ。

 策も何もなくぶつかって、彼が俺の敵う相手ではないことなどわかっている。

 わかっているのに突っかかっていって、結果滅茶苦茶にやられた。

 もしかすると俺は、やられたくて向かっていったのかもしれない。正気の沙汰とも思えないではないか。


「はああ……」


 もう一度ため息をついた時、薬湯を持ってアーナン先生が戻ってこられた。

 身を起こそうとした途端、悲鳴を上げるようにあちこちが痛んだ。歯を食いしばるような感じでなんとか半身を起こす。汗が噴き出した。


 大息をつき、差し出された薬湯を受け取る。

 少し癖はあるが、ほんのりと甘みのある薬湯で飲み易かった。

 喉から胃にかけて、じんわりとあたたかくなるのが心地いい。


「食事が出来そうなら厨へ頼んで、早めに夕食を用意してもらいますよ。どうですか?」


 少し考える。


「いえ……あまり食べたい気はないですね。夕食は普通の時間で十分です」


 アーナン先生はかすかに眉を寄せたが、わかりましたと言って静かに部屋から出て行かれた。


 入れ違いのようにお袋が来た。仕事を抜けてきたのだろう。

 なんだかやつれたような、ひどく疲れた顔をしている。

 心なしか背が少し縮んだような気もする。


「具合はどう、マーノ」


 気の置ける感じでそっと問う母に、さすがに申し訳なさが募る。

 アイオールのことで色々気苦労も絶えないだろうに、息子の俺まで倒れたのだ。

 それも倒れる必然もないのに倒れたのだ、親不孝な話ではないか。

 俺はあえてのんびりとした笑顔を作る。


「うん、まあ、だるいのはだるいけどさ、大したことないよ。要するに俺が馬鹿やって、あちこち打ち身を作ったってだけの話だからさ。アーナン先生の対応が神経質なだけだから、あんまり心配しないでくれよ」


「でも……」


 何か言いかけ、お袋は黙る。俺が昼過ぎまで伸びていたのを気にしているのだろう。


「まあ確かに、ちょーっと疲れがたまっていたのかもしれねえな、考えてみれば務めを始めてから休みらしい休み、もらってなかったし。実は向こう五日間、安静にしてろってアーナン先生に指示されてね。ある意味、いい機会かもしれねえな。アイオール殿下様には、アーナン先生の指示に絶対服従するよう命じられちまったしよ。そうだ、アイオールの具合は?熱は下がった?」


 笑いをまじえて出来るだけ軽くしゃべるが、お袋の表情はあまりゆるまない。


「アイオールさまのお熱は下がられましたよ、お食事も少し召し上がられたし。もうあまり心配しなくても大丈夫だと思うわ」


「そうか、そりゃ良かった」


 お袋は再び何か言いかけ、やはり黙る。笑みを作り、言った。


「無理をしないでね。お前は子供の頃から、体力任せに無茶ばっかりするから……」


 俺は笑う。笑うと若干背中に響いたが、もちろんそんなそぶりは見せないよう努める。


「無理なんかしねえよ、って言うか、したくても出来ないよ。五日間寝てろって命令されちまったんだからさ」


 お袋はようやく、少しだけ愁眉を開いた。


 仕事に戻るときびすを返すお袋の背中へ、俺は思わず声をかけた。


「かあさん」


 物問いたげに振り向いた母へ、俺はやや目を伏せた。


「あ……その。心配かけて、ごめん」


 母の目が軽く潤んだ。


「まったくだよ、この馬鹿息子」



 お袋が部屋を出てしばらく、俺は呆けたように天井を見上げていた。

 今になって自覚したが、身体中がぼうっと熱い。あちこち炎症を起こしているせいで微熱があるのだろう。

 目を閉じると、吸い込まれるように眠くなった。


(本当に……疲れているんだな)


 そんなことをぼんやり思いながら、俺はまたうつらうつらと眠り始めた。



 翌朝。

 いつも通り明け方に目が覚めた。習慣というのはすごいものだ。


 ゆっくりと身を起こし、痛むあちこちの御機嫌を伺いながら寝台から出る。

 枕元に用意してくれている洗面器へ水差しの水をそそぎ、手ぬぐいを浸して絞る。

 顔や首筋をそれでぬぐい、手持ちの部屋着の中からまともなものを選んで着替える。


 普段何気なくやっている日常の動作ひとつひとつが、思わぬ箇所に思わぬほど負担をかけているのを改めて知り、驚く。

 ひとつ大きな動作をする度に関節や筋がミシミシ言うような感じで、異常に時間がかかってしまった。

 額に浮いた汗をてのひらで軽くぬぐって大息をつく。着替えだけで半日分くらい仕事をしたような気分だ。


 自室を出てサルーンの部屋へ向かう。

 扉の前で息を調えた後、合図する。


「どうぞ」


 穏やかな声が答えた。俺はもう一度息をつき、扉を開けた。


 サルーンはすでにきちんとお仕着せに着替え、椅子に座って何か書類を見ていた。

 いつも通り隙がない。

 一瞬、こちらもお仕着せで来るべきだったかと思ったが、休めと厳命されている身でもある、お仕着せを着ていいかは微妙だ。


 俺はまず、扉を入ったところで深く一礼した。

 ゆっくり頭を上げてサルーンの目を見て言う。


「おはようございます、サルーン護衛官。早朝から失礼いたします。お許しいただけるかどうかはわかりませんが、昨日のことを詫びに参りました。多大なご迷惑をおかけしてしまいました、申し訳ございません。己れの愚かしさを恥じ入るばかりです。本当に申し訳ございませんでした」


 そしてもう一度、きっちり頭を下げた。



 サルーンは静かに立ち上がると、頭を上げて下さい、と静かな声で言った。

 俺はおそるおそる頭を上げた。

 サルーンは例の、目許に優しくしわを寄せる人懐っこい笑みを浮かべていた。


「まずはお座りになって下さい」


 さっきまでサルーンが座っていた椅子が勧められる。当然遠慮したがもう一度強く勧められ、それではと座らせてもらった。

 正直ほっとした。きちんと立っているのは結構辛かったので。


「背中と腰がずいぶん辛そうですね。かなり痛むでしょう、タイスン殿」

 寝台の縁に座りながらサルーンは言う。

 あっさり看破され、俺は絶句する。これでも出来得る限りきちんと姿勢を保っていたつもりだが、サルーンにはすべてお見通しだったようだ。


「いや、出来るだけタイスン殿の身体に負担がかからないように気を遣いたかったのですが、何度かつい、本気で投げ飛ばしてしまいましてね。タイスン殿が昨日、意識をなくしたり軽くえずいたりしていたので、ひょっとして頭か脊椎でも傷めたのではとひやりとしましたよ。手加減が出来なくなるなんて、私も老いましたねえ」


 俺はあわててかぶりを振る。


「いえ、悪いのはあくまで私です、サルーン殿。昨日、どういう訳かひたすら暴れたい気分になり、それがどうしても抑えられなくなったのです。しかし感情のままに行動するなど、護衛官にあるまじきことでした。今後はこのような馬鹿なことなど決してしません。ご迷惑をかけて本当に申し訳ございませんでした」


 サルーンは軽い声を立てて笑った。


「十分反省もしていらっしゃるようですし、昨日の件はもうお気になさらずに。確かに護衛官が感情のままに行動して、結果身体を傷めるのは褒められたことではありませんが、人間なのですからそんな日もありますよ。ましてタイスン殿はまだお若い、そんな日がまったくない方が不自然で不健康だと言えましょう」


 サルーンはふと、痛ましそうな目をして俺を見た。


「今はとにかくお疲れを癒し、お身体の回復に努めて下さい」


 俺はもう一度、深く頭を下げた。

 サルーンのいたわりの言葉に、鼻の奥がつんと痛んだ。

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