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1 誓い ①

 アイオールに出会ったのは、俺が二歳になる頃だ。

 今度生まれる王子様か王女様の乳母に、と、お袋が突然抜擢されたのだ。


 ちょうど親父が、幼い息子つまり俺を残して殉職してしまい、親戚もいない辺境の町で茫然としていた頃だったとかいう話だ。

 しっかり者で気丈なお袋だが、かなり大変な状況だったろうなと、俺は今になって思う。

 王宮から直々にきた乳母奉公の話を断る選択肢などそもそもなかったろうが、俺の今後を含め、貧乏武官の寡婦には渡りに船の話だったのは間違えない。


 漠然とした記憶しかないが、俺はある日、住んでいた小さな町の小さな家からいきなり連れ出された。

 訳もわからないまま馬車に乗せられ、王都へ連れて行かれた。そしていつの間にかお袋と一緒に、お生まれになるという王子様か王女様にお仕えすることになっていた。否も応もなかった。


 春だった。

 初めて見た王宮は、どこもかしこも美しく気が遠くなるほど広く、そして花の香りに満ちていた。



 俺たち親子が落ち着いたのは、その一角にある離宮・睡蓮宮と呼ばれている比較的小さな宮殿だった。

 王(当時は王太子)の、外国から来たご側室が(あるじ)で、その方が臨月を迎えていらっしゃった。


「まあ可愛い。元気そうな男の子ね、頼もしいわ」


 白っぽい、寝間着のような簡単な服を着たその方は、安楽椅子にもたれ、大きなおなかを持て余すように身じろぎして息を吐いた後、俺へほほ笑みかけた。

 浅黒い肌に漆黒の髪、濃い菫色の瞳の小柄な女性だった。

 肌も髪も瞳も黒っぽいなんて、あまり見かけない感じの人だなと子供心に思った(ラクレイドに住む者は大抵、白い肌に青や緑あるいは薄茶の瞳、鳶色から淡い金色の間の髪色だから)が、なんとなく可愛らしい人だなとも思った記憶がある。

 大人の女の人だけど、自分たち子供に近しいような気がしたのだ。


 その方は俺を手招きし、小卓の菓子皿にあった丸い揚げ菓子をご自身の手で取って俺にくれた。


「髪も瞳も鳶色で、おかあさまによく似た坊やね。お名前は?」


「マーノ……」


 手の中のお菓子と交互に、やや上目遣いで彼女を見上げながらもごもごとそう答えると、マイノールでしょ、と、そばにいた母が鋭いささやき声でたしなめた。

 俺はあわてて


「マ、マイノール、タイスン、ですっ」


 と、馬鹿みたいな大声で答えた。彼女は楽しそうに声を上げて笑い、


「そう、マイノールくんなのね。お利口ね。元気でお利口なマイノールくんに、お願いがあるんだけどいいかしら?」


 と、真面目な目になって言った。


「なあに?」


 無造作にそう問うと、母がはらはらしたように俺を見た。

 何かまずいことをしたらしいが、何がまずかったのかがよくわからず、俺は戸惑った。


「もうすぐ赤ちゃんが生まれるのよ。マイノールくんのおかあさまに赤ちゃんのお世話をお願いするんだけど、マイノールくんには是非、赤ちゃんのおにいさまみたいなお友達になってあげて欲しいの」


 おかあさまだのおにいさまだのいう普段聞いたこともないほど丁寧な言葉にちょっとたじろいたが、俺は


「うん、いいよ」


 と、こくんとうなずきながら答えた。彼女は嬉しそうにほほ笑んだ。

 俺はほっとしてちょっと照れくさくなり、ごまかすように手にあるお菓子をかじった。

 びっくりするほど甘くて香りのいい、今まで食べたこともないお菓子だった。



 まもなく赤ちゃんが生まれた。『王子様』らしい。


 母は『王子様』の世話をする為にずっと張り付いていて、滅多に俺たちの住む部屋には戻ってこなくなった。

 俺は当然、『王子様』に母を取られたような不愉快な気分だったが、日が経つにつれてなし崩しにその不愉快はまぎれていった。


 睡蓮宮に勤めている大人たちは優しくて気のいい者が多く、率先して俺の面倒をみてくれたし、仕事の手が空くと遊んだりおやつをくれたりして、寂しがらないようにかまってくれた。


 それに、時々『王子様』を覗きに行って思ったのだが、白い布に埋もれた『王子様』はとにかく小さく頼りなく、猫みたいな声でしょっちゅうめえめえ泣いていたので、そりゃあ世話してやらなきゃどうしようもないよな、とも子供なりに納得した。


 よちよち歩くようになると『王子様』ことアイオールは、睡蓮宮にいる唯一の子供である俺と遊びたがるようになった。


 アイオールは小さい頃、はっきり言ってちょっとトロかった。

 芋の煮えたもご存じないとでも言うのか、おっとり(ぼんやり?)した、いかにも深窓育ちの王子様……という感じだった。


 王宮の中央から遠い離宮で、母君をはじめやや浮世離れたくらいのんびりとした気のいい大人たちに囲まれて育ったせいか、悪意というものを知らないし底抜けに人がよかった。

 人がいいというのはまあその、ナントカと紙一重とも言えるだろう。


 マーノマーノとちょこちょこ俺の後ろを付いてくるヤツが、弟のように可愛かったのは事実だが、反面鬱陶しくもあった。

 時々俺は、それとなくアイオールを無視してひとりで勝手に遊んだりもした。

 大人たちに咎められない程度を計算した、巧妙で狡猾な無視だ。

 しかしアイオールはめげなかった。

 めげなかったというよりあんまりわかっていなかったのだろうが、無視されても満面の笑みを向けて俺を追ってくる。


 片田舎の町で両親とのんびり暮らしてきたのに、急に王宮へ連れてこられて王子の乳母の息子として暮らすのは、子供なりに戸惑いや寂しさ、その他諸々の鬱屈があったのだ。

 自覚らしい自覚はなかったが、時にもやもやが胸にわだかまり、アイオールに当たりたくなったのだから、つまりはそういうことなのだろう。

 しかし、そんな俺でも脱力するくらいの満面の笑みでアイオールは寄ってきた。

 意地を張って無視しているのが馬鹿らしくなってくるような笑みだ。結果、いつの間にか俺たちはまた一緒に遊び始める。

 そんな毎日だった。



 しかし、そういうお気楽で牧歌的な日々は意外と短かった。

 ヤツの母君であるレーンの方(レーンという南方の海洋国から来られたのでそう呼ばれていた)が、まだお若いのに急にお亡くなりになってしまわれたからだ。


 アイオール七歳、俺が九歳の冬だった。

 ラクレイドで冬、ちょいちょい大流行する質の悪い風邪『雪花熱』を引き込み、あっけないくらいすぐにお亡くなりになってしまわれた。


 俺は茫然とした。

 俺の知る限り、確かにレーンの方は身体が丈夫ではなかったが、それでも三日ほど前までは普通に暮らしていらっしゃったのだ。

 まだ若い、それもちょっと前まで元気にしていた人が突然死んでいなくなる、という事態が、俺にはなかなか受け入れられなかった。


 しかし当然、アイオールはもっと受け入れられなかっただろう。

 睡蓮宮中が涙にくれ、アイオールの父君であるスタニエール陛下も声を殺して泣いていらっしゃったが、ヤツはぼうっとしていた。

 何が起こったのかきちんと理解していない顔だった。


 殿下もおかあさまにお別れを、と、大人たちに促されたが、アイオールは床に根が生えたみたいに立ち尽くし、ぼうっとしていた。

 見かねた俺が手を引き、レーンの方の枕元近くまでヤツを連れて行ってやったが、やはりぼうっとしたままだった。


「なにか……言えよ」


 小声でそう促したが、ヤツはそれからも長く黙っていた。もう部屋へ連れて帰ろうかと思った時、小さい声でポツリと


「おかあさま……起きて」


 と、言った。



 以来、アイオールの心に深い影が生まれた。

 基本は確かに『芋の煮えたもご存じない』雰囲気の、おっとりとした深窓の王子様だったが、今までただほやっとしていただけの表情に、陰りのようなものが見えるようになった。


 この国の貴人は大抵、五、六歳になるといろいろ勉強を始める。

 アイオールも五歳から少しづつ勉強を始めていた。

 真面目で素直な性格だから、課題もそれなりにきちんとこなしているようだったが、まあそれ以上ではない雰囲気だった。

 元々好きだった歌や竪琴の練習は楽しそうだが、それ以外は渋々という感じだった。

 子供なんだからそれで普通だろう、むしろ、よくやっているよなと俺は思っていた。


 母君を亡くして以来、アイオールは何故かすごく真面目に勉強をし始めた。

 勉強だけでなく、あまり得意でない剣の鍛錬も真剣に取り組み始めたので、俺は驚いた。


「いつ死ぬかわからないから、悔いのないように生きたいんだ」


 少し目を伏せ、静かにそう言うアイオールの言葉には重みがあった。

 十歳にもならない子供の言葉とも思えなかったが、アイオールなりの実感がこもっているのがよくわかった。

 わかったが……、俺は訳もなく背筋がぞっとした。


 上手く言えないが、今のアイオールはなんとなくあやうい、そんな気がしてならなかった。

 こいつの心には影がたわめられている。爆発すると恐ろしいことになる影だ。

 そこはわかるが、俺にはアイオールの心の影をどうにも出来ないということも同時にわかった。

 俺に出来るのはただ、そばで見守ることだけだ。



 影の爆発で今のところ一番大きいのは、アイオールが十四歳になってしばらく経った晩春の、ある日の午後の出来事だろう。


 ラクレイドには昔から、王子や王女を十歳前後から三、四年、同じ年頃の貴族の子弟と三日に一度ほどの割合で半日、一緒に学ばせだり鍛錬させたりする制度がある。

 『学友』と呼ばれている制度で、王と貴族の子供、すなわち将来国を支える者同士が早くから気心が知れて仲良くなれるようにという目的の制度だ。実際、『学友』出身の宰相や将軍も昔から少なくない。

 上手くすれば出世の近道であり、『学友』として出仕するのは貴族の子弟にとって名誉でもある。

 

 しかし、あからさまに言って王太子になる王子の『学友』は出世という利点があろうが、アイオールのような第三王子、それも人質に近い外国人の側室から生まれた王子の学友に、わかりやすい利点はない。


 アイオールは十歳から、一つ上の兄君セイイール殿下の学友たちと一緒に過ごすことになった。

 はっきり言ってアイオール自身が、セイイール殿下の『学友』という位置付けだろう、もちろん誰もあからさまには言わないが。


 アイオールには二人、腹違いの兄君がいる。正妃でいらっしゃるカタリーナ王妃のお子様で、四つ上のライオナール殿下、一つ上のセイイール殿下だ。

 お二人の母君であるカタリーナさまはご聡明な方で、お子様方を上手く導いて下さったのだろう、アイオールと兄君方との関係は良好だ。

 特に年齢の近いセイイール殿下とは小さい頃から仲が良かった。

 セイイール殿下の『学友』で、アイオール自身は何も不足は感じていないようだった。


 しかし、セイイール殿下とアイオールの『学友』で、大いに不満を持っている者もいた。

 王妃のご実家でもあるリュクサレイノ侯爵家の息子で、クレイールという名の少年がそうだった。


 クレイールはリュクサレイノ侯爵の愛人の子で、侯爵本人からは溺愛されているものの、身分の低い愛人の子として一族の数にまともに入れられていない扱いの子だった。

 その生まれ育ちが関係しているのか、クレイールは上昇志向の強い少年で、本当はライオナール殿下の『学友』になりたかったらしい。

 しかし年齢の関係もあって(彼はセイイール殿下と同い年だ)第二・第三王子の『学友』にまわされ、内心憤懣すら抱えているようだった。

 それに、有り体に言ってセイイール殿下とアイオールの学友を仰せつかった少年たちは家柄も身分もぱっとしない者が多く、一応は王の外戚としてときめいているリュクサレイノ家の息子であるクレイールは、そこも気に入らなかったらしい。

 いつも苛立ったような空気を発散させ、彼は出仕していた。


 『学友』たちと過ごすようになり、アイオールの表情に陰りが深くなった。

 アイオールへ向けられる学友たちの視線や空気が、否応なく自分がラクレイドの宮廷では異端であることを思い知らされるからだろう。


 母君から受け継いだ漆黒の髪と濃い菫色の瞳がまず、自分が学友の少年たちとまったく違うという事実を浮き彫りにする。

 母君のような浅黒い肌ではなかったが、抜けるように白い肌の少年たちの中で象牙を思わせるような淡い黄色味を帯びたアイオールの肌は、厳密に見ればやはり異国風だった。

 自分のような特徴を持った貴族階級以上の少年はどうやら一人もいないらしいことを、理屈ではなくアイオールは実感する。


 睡蓮宮で暮らしていただけではほとんど気にならない些細なあれこれが、睡蓮宮の外では驚くほどの意味を持って迫ってくる。

 レーンは長い歴史を誇る由緒ある海洋国だったが、ラクレイドから見れば未開の蛮族の国という印象がある。

 黒い髪も象牙のような肌も、蛮族の証という目でどうしても見られる。

 レーンの方が睡蓮宮に引きこもるように暮らしていらっしゃったのは、身体が丈夫ではなかったというだけではなかったのかもしれないと遅ればせながら俺は思った。


 もちろん、だからといって逃げるようなアイオールではない。

 頭をしゃんと上げ、王子として恥ずかしくないよう堂々と皆に交わった。

 そもそも母君を亡くした七歳の頃から、アイオールは手を抜かずに勉強を続けてきたのだ。

 漠然と通り一遍に学んできただけの同世代の少年たちがかなう訳はなかった。

 ずば抜けて聡明だと誰もが認めているセイイール殿下と、数学から歴史、文学や音楽、果ては最新の博物学の話まで対等に出来るのはアイオールだけだった。


 それがわかると学友の少年たちもさすがに、この『頭の黒い王子』に一目置くようになっていった。……一人を除いて。

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