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3 厳冬の客人⑤

 午後。

 春宮からセイイールが遊びに来た。


 睡蓮宮の冬の午後、一番居心地いいのはテラスだ。

 王子たちはテラスへお茶や軽食を運ばせ、竪琴を奏でたり昔からある古い歌を歌ったりして遊んだ。



 俺とトルーノは護衛の為、テラスの出入口付近に片膝を立てた状態で座っている。


「アイオール殿下、ずいぶん良くなられたな」


 俺の隣でトルーノが静かな声で言う。

 俺以外には聞き取れない程度の声で、顔は正面にいる主の方を向いている。


「昨日もセイイールさまをからかったりしていらっしゃったし。言い合いのようになりかけていたけど、春宮に帰られてからセイイールさまは、ずいぶん安心していらっしゃったんだよ。喧嘩できるくらい回復してくれて嬉しい、俺にそうおっしゃったんだ」


 トルーノはセイイール殿下と一緒に、一番ひどい状態のアイオールを見ている。


「……そうだな」


 他に言い様もない、俺は取りあえず同意する。

 必ずしも良くなっていないとは言えないし。


 トルーノは軽く眉を寄せ、何か言おうとしたが結局黙った。

 足を組み替え、不意にぼそりと


「顔色が良くないな」


 と言った。

 意外に思って俺はトルーノの方を見た。


「そうか?少なくとも今日、顔色は悪くないと思うけどな」


 馬鹿、とトルーノは正面を向いたままつぶやく。


「殿下の話じゃない。お前だ」


 もっと意外に思い、俺は軽く目を見張る。トルーノは息をついた。


「昨日も思わなくなかったんだがな。お前、ちょっと疲れてるんじゃないか?なんだか痩せた気もするし」


 俺は苦笑いをする。


「そんなことあるか。それに、痩せたというより締まったんだよ、これでも真面目に鍛錬を続けてるからな」


 それならいいんだがな、と奥歯に物がはさまったような感じでつぶやくと、トルーノは初めて俺の方をちゃんと見た。


「無理はするなよ。まあ……お前の性格上、難しいだろうが。だけどお前がつぶれたら困るのはアイオール殿下だ、忘れるな。お互い時間は取りにくいが、相談くらいなら俺でも乗れるからな」


 妙に深刻なトルーノに戸惑いながらも俺は、気遣いに礼を言い、やや強引に話を変えた。


「それより、セイイール殿下は春から出仕だろう?まずは慣習(ならい)通り王の近習からだろうけど、内相から宰相になられるのは半分決まっているようなものだろうな。あの方なら切れ者の宰相として、父君や兄君の優秀な片腕になられるだろうな」


 トルーノの顔が得意そうにややゆるむ。

 乳兄弟の主というのは、誰にとっても半分身内のような感覚があるものだ。

 褒められると、なんだか弟が褒められたようなくすぐったい気分になる。


「アイオール殿下も来年の春には成人なさるな。殿下の場合は外相、あるいはレーンと誼の深い海軍を束ねる将軍に……」


 思わず吹き出した俺へ、トルーノは怪訝そうに美しい眉を寄せた。


「え?何か変なこと言ったか?」


「いや、別に変じゃないけど。王子だしその辺が順当だろう気はする。でも、ウチのほやんとしたお子様っぽい殿下様が、外相だの将軍だの冗談にしか思えなくてな……」


「こら、いくらなんでもそれは失礼だろう。アイオール殿下は優秀なお方だ、お前はいつも近くにいるからその辺りのことがわかりにくいんだよ」


 優秀は優秀だろうが、まんべんなく何でも出来るというのは要するに器用貧乏ということだ。

 アイオールは正直、兄君方のような突出したものを感じさせない王子だ。

 まあ、兄君方の補佐をするのにこれほどいい人材もいなかろうが。



 ふといい声が響いてきた。

 声に惹かれるように俺たちは耳を傾ける。

 漠然と、どちらかがひとりで歌っているのだろうと思っていたが、掛け合いで歌っていたのに気付き、驚く。

 兄弟は声が似るものだろうが、この二人は特に似ている。

 見た目は似ている訳でもないのに不思議だ。


「しかし吟遊詩人の作る歌というのは、どうしてああつまらないのかな?」


 ひとしきり歌や演奏を楽しみ、お茶を飲んで休憩していた時だ。

 何がきっかけだったのかセイイールは、ぼやくようにそんなことを言い出した。


「特に歴代王の『称える歌』は筋金入りのつまらなさだよ。あんなのでいいのなら自分で作った方がましじゃないかという気にすらなるね」


 『称える歌』は貴人、特に王族の誰彼がいかに素晴らしいかを国中に宣伝する為に作られる歌だ。

 古くからその為に、宮殿には選りすぐりの吟遊詩人が集められ、侍ってきた。

 宮廷吟遊詩人になれるということは、宮廷楽士と同じく一流の芸人として認められた証であり、ラクレイドの芸人の誉とされる。


 しかし、彼等はそもそも流れ者。

 退屈な日常のくびきに囚われたくないからこそ芸を磨き、流れ歩いて日々を過ごしてきた者たちだ。

 優れた芸人ほどお追従の歌だけを大人しく作ってなどいない。

 『称える歌』と同じ節で『陰歌』と呼ばれる、有り体に言って貴人の悪口を歌にしたものも同時にこっそり作られるのが一種のお約束だ。


 代々の王は、しかし半ば以上それを承知で彼等を飼っている。

 称える歌だけでは嘘くさくて国中に広まらない、が、陰歌と一緒に歌われれば結果的に称える歌も広まりやすい……かららしい。

 アイオールは兄君の言葉に苦笑いする。


「つまらないくらい無難でなければ、彼等の首が飛ぶじゃないですか」


 いくらその才を認められ、貴人の側近くに侍ることを許されているとはいえ、何をしても許される訳ではない。

 王の、あるいは貴人の誰彼の機嫌ひとつで命を失くす、彼等はそんな儚い身の上だ。

 セイイールは癇性な感じに顔をしかめた。


「無難ならまだしも、単なるお追従の羅列なのが気持ち悪いんだよ。彼等には彼等の事情があるのは私にだってわかるさ、でも、だったらせめて陰歌くらいはもっと風刺の効いたのを作ればいいのにって思うんだよね。陰歌は称える歌と違って作者不詳が建前なんだからさ」


「いえ建前はそうですが。誰が作ったか大体はわかるでしょう?追及は野暮ということになっていますけど、毒が強すぎて怒りを買えば何かと厄介ですし」


 いつにないセイイールのしつこさを怪訝そうにしながら、なだめるようにアイオールは言葉を続ける。


「どうしたんですか兄上。ずいぶん厳しいですね。『セイイール殿下を称える歌』がそんなに悪い歌だと私は思わないですけどね。『かの方は神のごとし』と歌われる父上の歌は、さすがに気持ち悪いくらいのお追従だと思いますけど」


 側室腹で第三王子のアイオールは、そもそも『称える歌』も『陰歌』も無縁な気楽な身の上だ。

 セイイールは顔をしかめたまま言う。


「まあ、父上よりはましだと思わなくもないけどね。そういえばお前のは、『かの方はさざ波のごとし』だったな」


 え?とアイオールは頓狂な声を出す。


「私の歌もあるのですか?」


「なんだ知らないのか?」


 意外そうに言った後、セイイールは人の悪い顔でにやりと笑った。竪琴を手に立ち上がると、右手を胸に当ててうやうやしく礼をした。芸を披露する前の吟遊詩人の礼だ。


「では……睡蓮宮の主・高潔なるアイオール・デュ・ラクレイノ殿下へ捧げます。『アイオール殿下を称える歌』」


 口上を述べ、ロオンと竪琴をつまびくと、セイイールは豊かな声で歌い始めた。


「……かの方はさざ波のごとし。

寄せては返す久遠の響き。

岸を洗い巌を磨く、清らかなる波のごとし。

かの方はさざ波のごとし。

ラクレイアーンに愛されし

海の女神のいとし子なり。

きらめく瞳は菫色、清澄の暁の空の色。

ああ、高潔なるアイオール・デュ・ラクレイノ殿下……」


 ひと通り聞き終わると、アイオールは顔をしかめた。


「なるほど」


 ため息をつく。


「確かにつまらないですね。いかにも適当な、王子なんだから称える歌のひとつくらい作っておくかとでもいう雰囲気の、まったく内容がない歌ですねえ。もしかして褒め殺しなのでしょうか?」


 やっと私の言いたいことが納得できたかとでも言いたげに、セイイールはにやりと会心の笑みを浮かべた。



 セイイールが辞した辺りまでは、アイオールも元気だった。

 が、夕餉の前に入浴をという段階で微熱があることがわかり、急遽入浴は取りやめになった。

 夕食も軽いものへと変えられた。


「疲れたのかな?」


 お袋とサーティン先生にやいやい言われながら寝台に突っ込まれ、アイオールは情けなさそうに眉をしかめた。


「別に疲れるようなこと、何もしてないのにね」


 しかしそう言っている顔は赤いし、目にも力がなくなってきてとろんとしている。

 嫌な感じだ。

 この雰囲気、多分これから熱が上がるだろう。

 俺は強いて笑顔を作る。


「久しぶりに気合を入れて、朝から竪琴の練習なんかしたから身体がびっくりしたんじゃねえの?まあ休めよ」


「あんなの、気合を入れた内に入らないんだけどな」


 ぶつぶつ言いながらもアイオールは大きく息をつき、目を閉じた。



 宵になるに従い、アイオールの熱は上がり始めた。

 万一に備え、俺は主の寝室の控えの間で休む準備をする。


 アイオールは高い熱を出すと、例の『落馬事件』がらみの忌まわしい悪夢を見て我を忘れ、暴れて手を付けられない状態になることがある。

 睡蓮宮の従者で『アイオール殿下』を遠慮なく制することが出来る者は限られる。

 厳密に言えばこれは護衛官の仕事ではなかろうが、暴れる主を制して大人しくさせ、身の安全を確保するのだから俺の仕事と言えなくもない。


 早めに夕食を終えて戻ってくると、サーティン先生だけでなく医官のお仕着せを借りたらしいアーナン先生もいらっしゃった。

 俺と目が合うと、アーナン先生は目許だけを軽く緩め、きびきびとした口調で言った。


「後はお任せ下さい、タイスン護衛官。今日はお務めを終えられ、休んで下さいませ。万一の場合はこちらから声をかけさせていただきますが、その時はお力添えを賜りますようお願いします」


 アーナン先生の、思いがけないほど他人行儀で丁寧な対応に俺は一瞬ひるみ、苦笑する。


「やめて下さい先生。昨日のようにマーノと呼んで下さいよ。大体、睡蓮宮で俺をタイスン護衛官と呼ぶのは、大先輩で師匠でもあるサルーン護衛官くらいですし」


「マーノと呼ぶべき時はマーノと呼ばせていただきますよ、タイスン護衛官」


 アーナン先生は冷たいほどきっぱりとそう言った。ただ、この態度を説明した方がいいと感じたのか、少し笑んで言葉を続けた。


「あなたご自身は何も変わらないでしょうし、睡蓮宮でのあなたは皆にとり、やんちゃで可愛いマーノでしょう。それ自体は悪いことではありませんが、護衛官の制服で任務に就いている時のあなたは、公的な身分・公的な存在です。少なくとも睡蓮宮の外の人間はそう解釈します。もちろん頭ではわかっていらっしゃるでしょうが、ご自分が他人からどう見られる存在か、もっと意識なさった方がいいと思いますよ」


「……は、い……」


 やや鼻白みながら俺は答えた。

 アーナン先生から見れば俺はそんな甘ちゃんなのかと改めて思い知り、愕然とした。

 俺の様子に同情したのか、アーナン先生は表情をゆるめる。


「場合によれば時間に関わらずお手を煩わすでしょうから、今のうちに少しでも休んでおいて下さいね」



 俺は頭を下げ、では必要な時は遠慮せず呼んで下さい、と言って控えの間へ下がった。


 控えの間で寝間着に着替え、狭い寝台に横たわる。

 火の気のない控えの間は寒く、寝台の中は冷え冷えとしていた。

 思い付き、足元の小卓に置いたランタンの火を絞りながら、自室から持ち込んだ時計の針を確認する。

 念の為にぜんまいを巻き、枕元に持ってゆく。


 足を縮めて寝床の中があたたかくなるのを待つ。

 こうしていても寝室の気配は伝わってくる。

 アイオールの苦しそうな息遣い。

 先生方の衣擦れの音や、囁くようなやり取りの声。


(やり切れねえな)


 火影が揺らめく暗い天井を見つめ、俺は心でひとりごちる。

 事件以来、こんな夜を何度も繰り返してきた。

 あと何度繰り返すのだろうと思うと、さすがに暗澹たる心地がする。


 唐突にアイオールへの苛立ちが募った。

 いつまで落ち込んでいやがるんだこのお坊ちゃんめ、さっさと立ち直りやがれ!心の中でそう叫んでいて、俺はぎょっとした。


(お……おい。何を八つ当たりしてるんだ?)


 アイオールに立ち直って欲しいのは事実だが『さっさと立ち直りやがれ』って、何だそれは。

 まるでアイオールが悪いみたいじゃないか。


 お前、ちょっと疲れているんじゃないか?トルーノの声と心配そうな目をふと思い出す。


(ああ……確かに。ちょっと、疲れているらしいな)


 己れで己れの心を持て余す。


 閉じた目の裏で、天井でゆらぐ火影の幻がいつまでも消えなかった。

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