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3 厳冬の客人④

 翌朝。

 俺はいつも通り夜明け前に起き出し、日課の鍛錬の為に身支度をして裏庭へ出た。


 稽古着に長靴(ちょうか)、冷えるのでその下は厚い下着と厚い靴下だ。

 練習用のなまくら剣を手に背を伸ばして立つ。

 冷たく冴え切った冬の早朝だ、空気は突き刺すようだが俺は決して嫌いじゃない。


 剣をそばの木に立てかけ、何度か深呼吸する。

 まずは身体を動かして固まった筋をほぐす。

 心臓に遠い手首や足首からゆっくり回す。

 次に肘や膝、腰や股関節肩関節などを曲げ伸ばししたり回したりする。

 最後にゆっくり首も回す。

 いい按配に身体がほぐれたのを見計らい、剣を取る。

 なまくらだが、いつも佩いている剣とほぼ同じ形と重さに作られたものだ。


 型どおりに素振りを始める。

 しばらく続けていると、頭で考えるより前に自然と身体が動くような状態になってくる。


 足の下で地べたにはりついたタンポポの葉が千切れる。

 可哀相な気もするが、タンポポの生えている場所はどうしようもなくカチカチに凍っていることが少ないので、どうしてもそちらで足を踏ん張る感じになる。

 完全に凍りついた裸の大地はすさまじく硬く、おまけにすべりやすい。間違って転んだりすると大怪我をしかねないのだ。


(鍛錬の時はそれでいいとして。この状態で刺客に襲われた時のこと、考えた方がよさそうだな)


 頭の片隅で思うともなく思う。

 地面が凍ってすべるので十分な護衛が出来ませんでした、ではお話にならない。

 靴底にすべり止めを付けるとか、何か対策を考えた方が……。


 がちり。


 鈍い金属音に我に返る。

 俺の身体は考えるより早く、気配を察して動いていた。


「お見事ですね、タイスン殿」


 やはり練習用の剣を構えて立っていたのはサルーン。

 護衛官のお仕着せのひとつである紺の冬用外套をきちんと着こんでいる。

 いつもながら、早朝から隙のない服装だ。



 名目上俺の部下ということになっているサルーンは、老齢ながら衰え知らずの護衛官で、『シラノールの匕首』というふたつ名持ちの凄腕だ。

 俺の部下などというねじれた立場なのは王の意向で、事実上俺の上司であり、教官だ。


 最初はそのことが居心地悪くて仕方なかったが(いや今でもそうだが)、割り切った。

 サルーンが凄腕護衛官であり、同時に優れた教官なのは周知の事実だ。

 なら、この機会に彼から吸収出来ることは貪欲に吸収してやろうと俺は思い直した。

 特に何も言わないが、サルーン自身もそのつもりのようだ。

 その証拠に時々彼は、俺の日課である早朝の鍛錬を覗きに来る。


 そして、こうして不意に攻撃を仕掛けてくる。

 二回に一回は今みたいに打ち返せるが、逆に言うなら二回に一回はあっさりやられているという訳だ。


「いい感じに身体がほぐれてきているご様子。久し振りにお手合わせを願えませんか?」


 目許に柔らかい皺を寄せ、サルーンは言う。

 顔ににじんだ汗を袖でぬぐい、ひとつ息をついて俺は答える。


「はい。よろしくお願い致します」



 剣を持って向かい合う。

 サルーンは不思議な剣の使い手だ。

 こうして向かい合っていても、何と言うか……彼から殺気とでもいうものがまったく感じられない。

 俺が下手くそだから彼は本気を出さないのだ、という部分ももちろんあるだろうが、それにしてものんびりしている。

 隙だらけですらあるように見える。


 隙なんかないと気付くのは一瞬後だ。

 一見隙だらけの脱力に近いたたずまいは、相手のあらゆる動きを想定した結果であり、同時に油断を誘う彼の作戦だ。

 だから俺はいつも彼のたたずまいに隙らしい隙を見つけられず、恐ろしくてなかなか打ちかかれない。


 不意にサルーンが動く。

 軽やかで素早い動き。何とか俺は合わせる。


 剣を交えているうちに、サルーンの動きは徐々に基本の型から外れてゆく。

 突然何度も突きを繰り出してきたり、思わぬ流れで横なぎに切りかかってきたり。

 その度に俺はややうろたえながら返す。

 必然的に攻撃より防御中心になり、どうしても反応が遅れる。(たい)が崩れ始める。


 最終的に強く剣をはじかれ、取り落としそうになったところを打たれる。思わず膝を突く。汗が噴き出していた。


「前々から思っておりましたが」


 サルーンは言う。さほど息も乱していない。


「タイスン殿は基本がきっちりと入っている、どちらかと言えば能動的な剣ですね」


 『能動的な剣』は攻撃重視、『受動的な剣』は防御重視を意味する。

 昔から俺は、教官たちからも同輩たちからも能動的な剣と言われてきた。

 自分の性分として、攻撃は最大の防御、相手に対峙した瞬間に圧倒して勝負を決めたいと思う傾向がある。


「その特徴、持ち味が悪い訳ではありませんが、我々の務めは護衛です。刺客は必ずしも型通りに攻撃してきませんし、相手の不意を突いた攻撃を受けて防御一辺倒にならざるを得ない場合もあります。今のタイスン殿の弱みは、あらゆる事態に対応する柔軟性……と言いましょうか、そういう部分でしょうね。自分の良さを生かしつつ、相手の動きに柔軟に対処出来る訓練をされるといいのではないかと思いますよ」


 俺は息を調え、立ち上がる。


「はい。ご指導ありがとうございます」


 頭を下げる俺に、サルーンは一瞬苦笑いめいた笑みを頬にただよわせ、ふと思いついたのか、こんなことを言った。


「一度、剣だけでなく簡単な武術を習ってみられるのはいかがでしょうか。心得があって損はしませんよ、剣を用いなくともある程度の護衛を務められますし。私も嗜む程度の心得はあります。初歩の手ほどきなら出来なくありませんので、タイスン殿さえお嫌でないのなら暖かくなってからでも始めてみられませんか?」


 面白そうな提案だ。俺は笑み、サルーンを真っ直ぐ見つめて返事をした。


「はい。よろしくお願いいたします」



 自室へ帰り、務めに向けてお仕着せに着替える。

 汗にぬれた下着類は洗濯にまわすことにした。


 朝めしをもらいに食堂へ向かおうとした時、廊下で立ち話をしているアーナン先生とサーティン先生の姿がちらっと見えた。

 アーナン先生は後姿だけだったのでよくわからなかったが、サーティン先生の顔が深刻そうに曇っているのは認められた。


(サーティン先生も、そりゃ悩むよな……)


 思わず小さなため息をつきながら俺は思う。

 サーティン先生も色々と頑張っているが、アイオールの状態はすっきりしない。治療は行き詰っている。


(サーティン先生の腕が悪いとか、そういうことじゃねえよな)


 俺は思う。

 所詮素人の感想だが、治療云々というよりあいつ自身の生命力みたいな部分が立ち上がってこないことには何をしても無駄、そんな気がしなくもない。

 では、じゃあどうやったらその『生命力』とやらが立ち上がってくるのだと聞かれても、俺には答えられない。

 俺に出来るのは、アイオール自身の生命力を信じ、己れの力で立ち上がってくるのを待つだけだ。


(……くそっ)


 あの事件の卑劣さを改めて憎む。

 あの事件に関わった連中はすでに、相当以上の報いを受けただろう。

 どうやら、俺ですら一抹の同情を禁じ得ないほどの痛烈な報いを受けたと言えそうだ。

 

 が、だからと言ってやったことが許されるものではない。


 あの連中は、何の罪もないひとりの少年、それも現王が大切に思っている王子を完膚なきまでに精神的に殺したのだ。

 連中としては殺すつもりではなく、ちょっときつめにいたぶるだけのつもりだったかもしれないが、結果的にアイオールはあいつらに心を殺されてしまった。

 なんとか立ち直ろうともがきつつも未だに立ち直れず、ヤツは苦しみ続けている。


(くそっ)


 どす黒い怒りが胸にあふれる。

 その怒りを抑え込む様に俺は、きつく奥歯を嚙みしめた。抑え込まれた怒りはさながらとぐろを巻く蛇のように、胸の真ん中にわだかまる。


(いい加減にしてくれ!)


 思わず心で叫び、俺ははっとする。

 ひどくいけないことを思ったような気がして、意味もなく小走りになって食堂へ向かった。



 食堂から直接主の居間へ行く。

 アイオールはすでに朝食を終え、竪琴を手に真面目な顔で音合わせをしていた。


「おはようマーノ」


 俺と目が合うとアイオールは笑って挨拶をした。


「今日の午後もセイイール兄さまが遊びに来るって連絡がさっき来てね。久しぶりに竪琴と歌でも楽しもうって。そう言えばもうずいぶん竪琴に触っていなかったから、ちょっと指を慣らしておこうかなって。ちゃんと指が動かなかったら、楽しむどころじゃなくなるからね」


 はあ、と軽く息をつく。

 一見ほやんとしているが、こいつは結構な負けず嫌いなのだ。


「しっかし。あんたら兄弟は本当に昔から、将棋と音楽が好きだよなぁ」


 アイオールが十歳になるかならないかの頃だ。

 何がきっかけだったのかは忘れたが、この二人はその頃、顔を合わすと竪琴をかき鳴らしていた。


 音楽は王族の嗜みだ。

 そこそこ以上、聴き手が安心して聴ける程度には楽器の演奏が出来るように子供の頃からきっちり教わる。

 宴で玄人はだしの演奏や歌のひとつも披露できなくては間が持たないし、王族として格好もつかないのだろう。


 しかしそういう『必要に駆られて仕方なく』以上に、元々二人は熱心だった。

 要するに竪琴が好きだったのだろう。

 俺としては内心、楽士や吟遊詩人の弟子でもあるまいし、王子様が二人してそんな一生懸命に楽器をやってどうするんだと思っていたが。


 やがて二人は既存の曲では飽き足らず、自分たちで作曲まで始める始末だった。

 まあその、そちらの心得がない俺が言うのもなんだが、出来た曲そのものは素人くさいというか既存の曲の寄せ集めっぽい感じのものだったが、まだ子供の王子様方が作ったにしては出来も良く、趣味としても高尚だったのではないかと思う。

 しかし、さすがに二年ほどするとロリンロリンやっているのに飽きてきたらしく、二人の興味はだんだん竪琴から将棋へと移っていった。


 アイオールが十三になった頃にはすっかり二人の興味は将棋に移り、おかげで側でひかえている俺は退屈でたまらなくなった。

 紅白の将棋盤をはさんでああでもないこうでもないと熱心に言い合っている二人を横目に、俺は所在なくあくびを噛み殺すのが昨今の状況だった。

 あきれたような感心したような俺の感慨を聞き、アイオールは声を立てて笑ったが、ふっと真面目な顔になった。


「確かに好きだね。竪琴にしても将棋にしても、それに集中していると余計なことを考えないしね」


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