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イマジナリーキューブ

作者: 藤原 祐一

 滅多に車の通らない車道の、信号機の色が変わるのを今僕は待っている。

「ありり?」

 唐突に話しかけられた。見たところ同年代くらい。女の子だった。

「渡らないの?」

 その子が対岸を指さした。当然、信号機は赤のまま。

「赤信号だよ。――ていうか、誰?」

 僕がそう言うとおかしそうに笑われた。

「車通ってないし、ここの信号なかなか変わらないじゃん。――私は最近越してきたの」

「へぇ」

 車が通らないからと言って、信号が変わらないからと言って、渡って良い道理ではない。

「ほーら、渡ろうよ」

「今のは否定の相槌だ」

 笑ってみたり拗ねてみたりした彼女だったが、しまいには諦めたらしく動きを止めて落ち着いた。

「はぁ。なんでそんな律儀なのよ。意味ないじゃない」

「いーや、ルールだからだ」

「誰にも迷惑かけてないよ? むしろ車も通ってないのにこんなところで突っ立ってる方が気味が悪い」

「あのな、ルールはルールなんだ。一人一人が守らないとダメだろう」

 そうこう言っている間に信号が変わり、僕はようやく渡り始める。そして間もなくたどり着く駅ではちょうど電車が滑り込んでくるはずだ。僕は満足げに振り向いた。

「ほれ、ルールを守ってかつ不都合なく渡れた、……?」

 いつの間にかせっかちな女の子はいなくなっていた。


 次の日。毎日と同じく信号機の前に僕は立ち尽くしていた。

「おはよー!」

 横から昨日の女子がやってきた。今日も絡まれるのかと身構えてしまう。

「なんだ、僕は青になるまで待つぞ」

「おーかたいかたい。なになに、道路のゴミとか目につくと拾っちゃいますみたいなタイプ?」

「……近くにゴミ箱があれば」

「……まぁ、私も拾うかもね。近くにゴミ箱があれば」

 徐々に声のトーンが下がっていく。

「って、そんな話がしたいんじゃなーい!」

 じゃーん、と懐から取り出されたのは1枚のコイン。銀色の表面はぴかぴかと輝いていた。

「なにこれ?」

「コインだよコイン。これで信号が変わるまで遊びましょ」

 女の子が親指でコインを弾いた。くるくると残像を残しながらコインは宙を飛び、そして手の甲へ落ちる。それをすかさずもう片手でフタをした。

「さぁ、表裏どっち!?」

「ほう」

 コイントスの表裏を当てられる確率はちょうど半分、50%だ。素直に表と言ってもいいし、気分で裏と言ってみてもいいかもしれない。

「悩んでる? いいよー、悩む時間は楽しいもんね」

「いや別に、少し考え事をしてただけ」

「“決断を下さないことも一つの決断だ。”……私の好きな本の中での一節よ」

「ふーん……?」

 そんなやり取りをしている内に信号が変わった。

「あ、青だ!」

「おい、どうするんだよ、コイン!」

「またねー!」

 両手はコインを抑えたそのままに、横断歩道を走って渡っていってしまう。

 やれやれと目を離し、そして再びその姿を見つけようとしたときには彼女はいなくなっていた。


 また次の日。

「お待たせ」

 信号待ちの間に再び僕らは出会った。

「あぁ」

「元気ないなぁ。……あ、昨日のネタばらしが知りたいんでしょ?」

「そりゃ、気になりはするさ」

 結局、コイントスの結果どころか、僕は表裏すら告げていない。

「これは何と言いますか、難しい話でしてぇ」

「難しい?」

「そもそも表とは何なのか、という話になるんですよ、先生」

「よしてくれ、朝っぱらから哲学じみた問答はしたくない」

 僕は顔の前で手をぱたぱたと振った。

「哲学じゃないですよぉ。そもそも、コインのどちらが表かって決めたって話でー」

「あ」

 確かに決めていない。これでは僕が表裏を言い、彼女がコインの様子を見てから表裏を僕に言ってしまえばいいわけで、もしまかり通るなら絶対に僕の勝ちはない。

「表と言っても裏と言っても負け。であればどちらとも宣言せずに時間切れによる引き分けが最善手だった」

「偶然だな。でもそこまでムキになって考えても、仕方ないだろ」

「厳密には――」

 女の子が少し大きめの声を出した。

「表裏をしっかりと決めなければならない。表裏の模様によって出やすい面はできない?そもそも一回勝負?」

「そこまでしてするものでもないだろ、コイントスは」

「ルールを完璧に決めるとなると、こうなるってこと」

 すっと、彼女の手が横に伸びた。その先を見ると信号が青になっていた。

「おっと、今日も時間切れか」

 視線を前に戻すと今日もいなくなっていた。


 さらに次の日。

「結局コイントスで何が言いたかったんだ」

 現れた女の子に早速訊ねてみた。

「んー」

 指を唇に当てて考える仕草を少しした後、

「ゲームとして見れば表か裏の二択だけど、実際はそうじゃないよねって」

「……そういう話だったか?」

「ここにサイコロがありまーす」

 差し出された手のひらの上に白い六面体が一つあった。サイコロと呼ばれたそれだが、気になることがあった。

「なぁ、これ」

「そう、まだ目が描かれていないの」

 ただの白い表面。手のひらの上でころころと転がされ、六面全てが無地だとわかる。

「ちょっとしゃがんで」

 僕らは地面にしゃがみこんだ。黒い地面が近くなる。

 女の子がサイコロを地面に落とし、転がったサイコロは間もなくある面を上にして止まった。当然、何も描かれていない。

「なに?」

「これから」

 女の子の手にはいつの間にかマジックペンが握られていた。

「描くのよ」

 ちょん、とペン先が触れた。中心よりややずれたところに一点が描き込まれ、“1”の目になる。

「はい、“1”が出た」

「これ、イカサマだろ」

「素敵なことだと思わない?」

「どこが」

「好きな目を出せるのよ」

「言いたいことはわかるけど、極端だ」

「まぁまぁ」

 半ば強引に手の中に六面体を押し込まれ、同時に彼女の姿は消えた。信号は青になっている。


 結局のところ、コイントスで彼女はコイントスで何を伝えたかったのだろうか。僕は六面体を転がしながら考えてみた。

 コイントスの究極的なルールは「お互いに納得のいく勝ち負けを手早くランダムに決めること」だろう。付随するルールはそれを補佐するものに過ぎない。

 それに対し、コインの模様如何だとかを細かく決めて、終いには時間切れで引き分けだなんて本末転倒だ。それは厳しいだけの悪いルールだ。

 僕はそこまで考えてはっとした。何を言われたのかが分かったのだ。


 また次の日。

「よう」

 僕は女の子に六面体を差し出した。

「返してくれるの? って何やってんのこれ!」

 昨日の内に六つの面に目を1から6まで描いておいたのだった。

「意味ないじゃん。どういうこと?」

「これが僕の考えた答えだ。ルールはルール。ズルはいけない」

 僕の真面目くさった言葉を聞き、女の子はきょとんとし、そして数瞬してから、

「あっはっは!」

 大声で笑い始めた。

「な、なんだよ!」

「ちょ、ちょっとありえない誤解! 笑う! お腹痛い!」

「言いたいことがあるならはっきり言ってくれ!」

「あ、言うから、次の赤信号まで待っててくれる?」

「へ?」

 信号が青になっていた。女の子の姿が消える。渡らずに僕はその場で待つ。

 周りに他に人も車もいないのだが、もしいたら何とも間抜けに映ったことだろう。信号はすぐに赤に戻った。

 と、女の子の姿がまた現れた。

「どうなってるんだ?」

「私、赤信号の精」

 彼女は自分を指して言った。

「あ?」

「コイントス、ただの遊び」

 いつしかのコインを親指で弾き、手の甲で受け止め、もう片手を被せ、いたずらに笑った。

「さぁ、表裏どっち!?」

 続けて言った。

「暇つぶしに付き合ってくれてありがとう!」


暇つぶしに書きました。

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