09
更新遅れてスミマセン……m(_ _)m
アインが持つ宮は『蒼の宮』と呼ばれている。これはアインの持つ王子色からつけられた名だ。
王太子の宮であるため警備は厳重である。
……はずなのだが。
「王太子殿下にご面会したいのですが……」
「はいどうぞ!いつでも殿下にお会いください!!」
「……はぁ…」
蒼の宮の女官にアインへの面会を求めるとこんな風に返ってきた。
エリスは訝るが、嬉しげな女官たちに背を押され、蒼の宮へと足を踏み入れた。
♢♢♢
「殿下、今日も行かないんですか?」
「……あぁ」
「もう一週間ですよ?」
「……わかってる」
アインは側近のロナウドに低い声を返した。
公爵家を訪れて一週間が経っている。別に怒っているわけではなく、エリスと会うのが恥ずかしいだけだ。
結局、エリスは王宮に着くまで起きることはなかった。
アインが肩を揺らし、耳許で声をかけ、頬を軽くつねっても起きなかった。
仕方なくそのまま薬室の仮眠用の寝台へ運んだが、ショックは大きい。
「恋しいとか思わないんですか?」
「……思ってる。エリス欠乏症だ」
「……。だったら早く薬爵殿に薬を処方してもらってきてください。陰険なのが感染ります」
「陰険…っておまえなぁ……」
主であるはずのアインに向かって陰険とは。しかもそれが感染ると言われると傷つく。
書類の片付けた机に身体を預け、アインはため息を吐き出した。
これは賭けだ。
一週間以内にエリスが会いに来なかったらこの想いを伝えようと。
鈍すぎるエリスに意識させよう、という賭けだ。
「俺だって、本当はエリスと会いたい……」
「あ…殿下、」
「一週間、七日だ。168時間にもなる。その時間だけ、俺はここで執務を前倒しにやってるんだぞ」
「殿下、後ろ、後ろ」
「なんのためにこんな時間を」
「天罰覿面!アイン、覚悟しろッ!」
「なっ、エリスっ⁉︎」
アインの背後には、怒りの形相で拳を振り上げるエリスがいた。
♢♢♢
冷たい床に正座した男の前に、仁王立ちした少女がいる光景はいささかシュールだ。
そして、男の顔を見た彼の側近が肩を震わせているというのも傍から見ればおかしい。
「執務がこんなもの、だと⁉︎ 仮にも王太子のクセに何を馬鹿なことを言っている‼︎」
「ハイ」
「国王陛下、宰相様、我がお父様までもがこの国のために御尽力されているのに王太子である貴方がそんなのでは情けない‼︎ 二十一にもなって、恥を知れ‼︎」
「ハイ、スミマセン」
エリスの気迫に押されたアインが小さく詫びた。
憤ったエリスは怖い。銀髪を振り乱し、アメジストのような瞳を吊り上げ、咆哮するように声を上げる。
王太子であるアインにこんな態度がとれる人間は少ない。
(でも……エリスが会いに来た)
アインは内心、狂喜していた。
賭けは果たせなかったがアインに会いたいと思ってくれた、と解釈してもいいだろうか。
「くく、…エリス、そろそろお説教はそこまでにしましょうよ」
「ロナウド。こいつには王太子としての自覚が足りないんだ。その原因は、貴方にもありそうだがな」
「怖い怖い。でもエリス、バスケットの中身がどうなってもいいんですか?」
「バスケット?そんなもの―――あぁあっ!バスケット!」
エリスは放り出していたバスケットをロナウドから奪い、中を確認して安堵の息をついた。
どうやら中身は無事らしい。
「…コホン。これはお土産ですわ。どうぞ」
「あ、あぁ。ありがとう」
エリスは口調を改め、バスケットをアインに手渡した。
唐突なエリスの変化にアインは首を傾げる。
「どうした?」
「王太子殿下に対し、無礼を致しました。申し訳ありません」
「は?エリス、熱でもあるのか?」
エリスがアインに詫びるのなんて、天変地異の前触れかもしれない。
失礼な物言い---思考もだが---にエリスの柳眉が寄る。
「……ここは蒼の宮。普段のように行動できませんわ。誰の目があるかもわかりませんし。ねぇ、ロナウド様?」
「別に大丈夫ですよ?エリス。蒼の宮とはいえここは重要書類があるので信用のない者は近づけませんから」
「そうか。なら続けてもいいだろう。ロナウドは土産食べてろ、チェリータルトだ」
「お、いいですね。じゃあ私は頂きましょうか……」
「待てロナウド!俺を見捨てる気か!?」
正座したままアインは叫んだ。エリスが会いに来てくれたのは嬉しいが叱られて終わるのは断固拒否だ。
エリスの説教は脱線して脱線して、結局最初の原因がわからなくなり、誰かに止められるまで続く。
せっかく一週間ぶりなのだ。穏やかに会話したい。
「…ふぅ。……エリス、落ち着いてください。いくら人が少ないとはいえ、まったくないわけじゃないんですよ。そんな姿を見られて、恥をかくのは誰だと?」
「……、わかった」
「殿下も座って」
「…………。ハイ」
ロナウドの言葉にエリスとアインは素直におとなしく席に着いた。
少ししてエリスが用意したチェリータルトとロナウドが用意した紅茶が目の前に置かれる。
チェリータルトは生地は黄金色でチェリーの紅い艶を引き立てていた。
「どうぞ、殿下。エリス特製ですよ」
「ロナウド、いらんことを言わなくていい」
「えぇー。別にいらないことじゃありませんよ、王太子に毒味なしで食べさせるモノなんですから」
「……フン」
さすがのエリスもロナウドの正論には勝てないのか鼻を鳴らして視線を逸らした。
どうやら、『エリス特製』は間違っていないようだ。
それならばと、躊躇いなくタルトにフォークを差し入れた。
「んんー。エリス、うまくなりまひたね。おいひいれすよ」
「わかったから、ちゃんと食べてから喋れよ、ロナウド」
呆れながらエリスもタルトを頬張り、緩く唇を綻ばせた。
その様子を見ながらアインもタルトを口に運んだ。
(…美味い)
アインとロナウドにも食べやすいように甘さはほんのりと控えめだが、素材のチェリーの味を引き立たせている。さっくりとしながら、中はしっとりとした舌触りでいくらでも口に運べそうだ。
料理人にも負けない腕だ。
「99点だな」
ぽつりと、呟いた。
美味い。確かに味は最高だが、アインには99点だ。
「……見損なった」
エリスの声とともに頬に衝撃が走った。
パチンッ、と乾いた音が、他人事のようにアインの耳に流れ込む。頬を打たれたと、遠くで理解した。
「エリス、貴女は何を」
「黙ってろ、ロナウド。……いや、いい。私が帰ればいいか」
エリスは自己完結したように言い、バスケットに残りのチェリータルトを入れた。
アインは衝撃でただエリスを見つめることしかできなかった。
見損なった、エリスはそう言った。何がいけなかったのか。
「……そういえばロナウド。三日前、お父様から縁談が来た」
「?…それが、何か?」
「相手は貴方だと」
「⁉︎」
(エリスの次の縁談相手が、ロナウド⁉︎)
ツァリアス公爵はまだエリスに結婚させるつもりはないと思っていたのに。
それに加えて今度は真剣にエリスに縁談話を伝えるということは、公爵は本気かもしれない。
「ロナウドのお父様---宰相様は貴方がいつまでも恋人も作らず、仕事に惚けていることに憂いていた。私もお父様に諭されていい加減なことをしていると気づいたから、誰でも構わないと返事をしようと思う」
「……あの狸親父が…!---エリス。政略結婚なんてザラにありますけど、普通の貴族令嬢なら当然ですけど、貴女は普通の貴族令嬢じゃないんです!今すぐ私から断りに行きますから、貴女はここで殿下と待っていてください!」
「いいや、私は、」
「私が行きますから、おとなしく、おとなしく、ここで、殿下と、殿下と待っていなさい!」
「わ、わかった」
二回言った。「おとなしく」と「殿下と」を二回言った。どこまで重要だとアインは少々呆れた。
ロナウドは光の速さで執務室を出て行き、必然的にエリスとアインは二人きりになる。
「……エリス」
「何か?」
「わ、悪かった」
「何が悪いかわかっていられるようには思えませんが」
「う…」
他人行儀になった言葉遣いがエリスが憤っていることを表している。
本気で、怒ってる。アインに対して、絶対。
何が悪いか、と聞かれれば理由が多すぎてわからない。
それでも、アインが唯一できることは……。
「……理由がわからなくても、俺がおまえを不愉快にさせたのは事実だ。だから、誠心誠意謝罪する」
「………」
「エリス、すまなかった」
アインは頭を下げて、詫びた。
アインができるのは謝罪のみ。ならばそれを行うしかない。
自分ができることをやる。誤れば、謝罪し、相手に誠意を尽くして許しを乞うのが、礼儀だ。
「……99点って言われて、悲しかったの」
「…うん」
「一生懸命、丹精込めて作ったのに、アインがお世辞でも100点って言ってくれなくて、悔しかったの」
「うん。ごめんな、エリス」
俯いて、幼い頃と同じ口調で呟くエリスにアインも合わせる。
「エリス…好きだ」
流れるように口から出た。
エリスが顔を上げる。うっすらと涙の溜まった紫の瞳が大きく見開かれていた。
(……お、れは……何を…!?)
アインは自らの口を手で覆った。
まだ言わないつもりだった。伝える勇気に拒絶された時の心構え、それが、足りなかったから。
でも、あっさりと、零れ出た。
「あ、アイン、何を、」
あからさまに動揺しているエリスに逆にアインの頭が冷えてくる。
「……すまない」
何度目かもわからぬ謝罪の言葉を口にして、アインはエリスを置いて執務室を出た。