07
「縁談だよ」
にこにこと憎らしいぐらいに笑う父にエリスは眉を顰めた。
縁談。つまり、結婚だ。
「お父様、私は何度も何度もまだ結婚する気はないと言っています。お父様とお母様には申し訳ありませんができればあと一年は……」
「去年も同じことを言っていたね、エリス。だが親としては早く自分の幸せを築いてほしい。それに公爵としては跡取りの婿も欲しいんだよ」
「……、はい」
ツァリアス公爵家は一人娘のエリスしかいない。だから婿養子をとらなくてはならない。
言い聞かせる口調の父にエリスは俯いた。
今のエリスは薬爵という身分と薬師という仕事を良いように使って自分の役目から逃げているだけだ。
公爵家から逃げていた一因でもある。
「ーーー公爵。エリスは今の仕事に誇りを持っている。無理やり結婚させて好きなものを取り上げたらエリスも辛いだろう」
押し黙ったエリスに助け舟を出したのは隣にいるアインだった。
真摯な姿勢で父を説得しようとしてくれる。
「しかし殿下ーー」
「相手には悪いがエリスの意思を尊重してやったらどうだろうか?エリスは国王の命を救う腕を持つ薬師だ。失うのは惜しいと思わないか?」
「……王太子殿下。いいのですよ、これは私の我儘ですから。公爵家の人間として当然の役目です」
一線を引くような口調にエリスは言った。
アインにそこまでしてもらっては公爵家に生まれた責任を投げ打つのと同じことになってしまう。
薬師の仕事は、相手の男性に許しを請えばいいだけだ。
「よくない。エリスは黙っていろ。公爵、相手の男には私の名前を出して断ればいい。容易なことだ」
「だから殿下、」
「エリスは生き生きしてる。ドレスや宝石より、薬を作ってる時の方がエリスは楽しそうだ。公爵はそれを見たことがあるか?」
エリスは内心、驚いていた。
アインにそこまで自分を見られていたなんて、と。
彼とは幼馴染みだ。小さいころから一緒だった。けれどアインは王太子なのだ、公爵令嬢とはいえ安易に近づいてはいけないと成長してからは一線を引いていた。
なのに、アインはこんなにも自分のことを見ていた。
否、見ていてくれた。
(…嬉しい、のか?私……)
あまりにも単純な感情で、認めざるを得なかった。
嬉しいのだ。
どれだけ軽口を言い合っても、エリスを見ていてくれて、嬉しかった。
「エリスはいくつだ?まだ公爵も現役で、婿がいなくてもいいだろう。どうしても跡継ぎがいるなら養子を取るのもいいんじゃないか?」
「殿下、少し私の話を、」
「公爵はエリスを愛してるんだろう。エリスのことを一番に考えてもいいと思う」
「……お父様、お願いします。まだ私、結婚したくないんです」
エリスは椅子から立ち上がり、頭を下げた。
アインにここまでしてもらって、エリスが何もしないなんて小さな子どもと同じだ。
彼に対して、侮辱することになる。
エリスはまだ、あの薬室でアインと、軽口を言い合っていたい。
そう望むのだ。
彼とじゃないと、面白くない。
「お願いします、お父様」
「……顔を上げなさい、エリス」
柔らかい父の声にエリスはゆっくりと頭を上げた。
困って仕方ないとばかりの表情をしている。
「断るのは、別に構わないよ。向こうも了承してくださる。でも覚えておいてほしいのは、おまえが薬爵である前に、公爵令嬢であるということだ。いつかは結婚しなくてはならない」
「はい」
「相手には今から断るけれど、ちゃんと今後のことを考えておいてほしい。お父様もお母様も、エリスより先に死んでしまうだろうから」
「………はい、お父様」
素直に頷いた。わかっている、自分の役目も父と母の願いも。
でも、それでも、まだエリスは独り身でいたい。
父はアインに視線を向けた。
「殿下、これでいいでしょうか?」
「あぁ。……首を突っ込んで、悪かった」
「いいんですよ。殿下」
父は腰を上げ、軽く頭を下げた。
アインは不思議そうな顔をしてる。エリスも、意味がわからず首を傾げた。
「エリスの縁談相手は、殿下だったので」
♢♢♢
公爵の言葉にアインは目を見開いた。公爵は今、なんと言ったか、頭の中で繰り返す。
(エリスの縁談相手が、俺……?)
つまり、事によってはエリスと結婚か、婚約はできていたという。
そういえば公爵は何度もアインを遮ろうとしていた。
あれはこのことを伝えようとしていたのだろうか。
(そういえば今朝、父上と母上が嫌な笑顔浮かべて『今日はいいことがある』とか言ってたけど……!!)
ぐっと奥歯を噛み締めた。両親のにやにやと笑う顔が目に浮かぶ。
公爵も楽しそうに、にこにこと先ほどよりも笑みを深めている。
エリスに片想い中なのは公爵も存じ上げてるようだ。
(見ればバレバレなのはわかるが、からかうか普通……っ!?)
今までエリスの縁談を無理やりにでも押し進めなかったのはアインの想いを知っていたからだろう。
そして今回、エリスに正式に縁談を申し込んだのだろう。国王と王妃が直々に。
公爵家と王族との婚姻は珍しくない。身分差による障害はないだろう。
それがわかっていて公爵も面白半分に縁談を持ち込んだに違いない。
「お父様、冗談はやめてください。私と王太子殿下の縁談など両陛下が許すわけないです。王太子殿下にも失礼です。私の本当の縁談相手は誰です?私からお断りに行きます」
「……鈍いね、エリス」
「?何ですか?」
「いいや、なんでもないよエリス。もう部屋に戻りなさい。お父様は殿下と重要な話があるから」
「?………、失礼します」
エリスは怪訝な顔をしながらも礼儀正しく頭を下げてから客間を出た。
途端、公爵がくすくすと小さな笑声を上げる。さもおかしそうに。
「殿下、とりあえずお疲れ様です。失礼ながら言わせてもらいますが、ひとの話を聞きましょうね」
「………」
「私もエリスがあそこまで鈍いとは…。我が娘ながら驚きですよ。普通、あれだけ殿下が必死になってたら気づきそうですけどねぇ……」
感慨深い……。としみじみしている公爵を睨みながらアインは深々とため息をついた。
今の話をちゃんと聞いていれば今までの苦労が報われていたかもしれなかった。悔しい。そしてなにより、ひとの恋情をからかう両親と公爵にふつふつと怒りを感じた。
「失礼する公爵。ーーーあと、エリスは連れて帰る」
「っ!?ちょ、殿下!今なんと!」
慌てた公爵を置いて足早に客間を出た。室外で待機していた執事にも声をかけ、足を進める。
アインは憤っていた。
ふざけた両親とそれに乗った公爵。そしてーーー。
(なんで気づかないんだよ、エリス!)
手を握りしめ、アインはそう、叫びたくなった。
アインさん、ひとの話を聞こうね?(。-_-。)φ___
本気出したが墓穴を勢いよく掘ってしまうアインです……