04
エリスは掌に収まるほど小さな小瓶をアインに渡した。
アインがわけがわからないとばかりに首を傾げる。
「これは?」
「秘薬だ、大抵の毒の効果を消せる。《ヴィア》というんだ」
「へぇ…、これを、どうしろと?」
「……礼だ。昨日の」
エリスはかすかに唇を緩ませた。
♢♢♢
王妃はエリスがドレスを着る傍ら、メイドが淹れた紅茶を飲んでいた。
『本当はね、わたくしではなくアインが貴女のドレスを選んでいたのよ。あの子がさっき言っていたでしょう?』
『は、はい』
確かにアインは見繕おうと思っていた、と言っていた。
それが、どうかしたのだろうか。
『でも不思議に思わない?何故紳士であるアインがドレスなんて用意出来るのか』
『……そうですね。あ!もしかして女装癖が!』
『もう、違うわよエリス。貴女のために用意していたのじゃないかしら』
『私の、ために……?』
ありえない。いつも口論ばかりの、可愛いげのない素直じゃない女のために、ドレスを用意するなんて。
『えぇ、母親のわたくしが言うのだもの。せっかくだからお礼をしたら?』
♢♢♢
「私が出来るのはこんなものだ。礼にも満たないと思う。だが、いざというときに使ってくれ」
「……充分過ぎる。俺は結局何もしていない」
「私を連れ出さなかったら、王妃陛下に会うこともなかっただろう。素直に受けとれ」
《ヴィア》は流通が稀な貴重な薬だ。
この国にもエリスの手元以外にあるのかわからないほど。
《ヴィア》には効果が様々あるが一番は毒消しだ。
エリスが作る毒と対になる解毒薬の素もこの《ヴィア》に多少、手を加えるだけだ。
「貴方は一応王太子だ。暗殺の可能性だってある。一応、次期国王になるのだから薬の一つや二つ、持っていろ」
「……一応王太子、一応、次期国王…な」
なぜか落胆したように見えたが気のせいだろう。
アインの手に渡した《ヴィア》は昨日、会食から戻った後にほぼ徹夜で丹精込めて作った。
自分でも呆れるくらい一生懸命作った。
それを使ってほしくないが、いざという時に必要になる。
「使ったら教えろ。またやる」
「………本当に、いいのか?」
「あぁ、私特製だから少々苦いかもしれないが『良薬口に苦し』だ。覚悟しろ」
「ははっ、おまえらしいな」
アインが声を上げて笑う。あまりに朗らかで、エリスもふっと微笑んだ。
別にアインのことは嫌いじゃない。
ただ、彼が王太子で次期国王なのだから身分を考えてほしいと思うだけだ。
たとえ幼馴染みでも、お互いに立場がある。
そのために、エリスはアインに口を悪く接するのだ。
「両陛下にも近々何か献上しようと思う。薬はいくらあっても足りないからな」
「……その中に、毒薬はあるのか?」
「貴方は私のすべてを毒に結びつけないと気がすまないのか?両陛下には薬のみだ。御命令があればそれもあるが今はない」
「そう、か。…そうだな」
「あぁ、少しは安心しろ」
ぽんっとアインの肩を叩くと彼は苦笑する。
大人びたものだな、と他人事のように思った。
そのとき、コンコン、と薬室をノックする音が聞こえた。
扉を開くと王宮のメイドとは違った格好の使用人の少女がいた。
「エリスお嬢様!今すぐお屋敷に帰ってきてください!」
「断る。何度言ったらわかるんだ」
「何度でも言いますわ!お願いいたします!」
少女が深く頭を下げる。涙に濡れた声で何度も「お願いいたします」と言うが頷くのは気が進まない。
しかしここで閉めだししても彼女は諦めないだろう。
どうしたものか……と考えているとアインが口を挟んだ。
「誰だ?」
「実家の私のメイドでリルという。週に一度は来る」
「お願いいたします…っ!お、王太子殿下!?」
「あ、気づいた。声で気づくんだな」
「あぁ俺も驚いた。礼したままでもわかるんだな」
変なところに共感しながらエリスは仕方なしにリルを薬室に入れた。
どうにかして今週も彼女を屋敷に送り返さねばならない。
「リル、帰れ」
方法①、命令。
「駄目です!お嬢様も一緒に!」
「断る」
却下。
「リル、金はやる。お父様にはお嬢様がいらっしゃいませんでしたと言え」
方法②、買収。
「旦那様を裏切ることなんてできません……!」
「そうか」
忠誠心が、強すぎた。
却下。
「帰らなければ、リルに毒を盛るぞ…?」
方法③、脅迫。
「旦那様を裏切るなら死んだほうがマシですっ……!」
「………」
旦那様信者だった。
却下。
(リルはお父様のメイドになった方がいいんじゃないか?)
こうきたらもう方法がない。
以前から父を尊敬していたようだがいつの間に信者になっていたのだ。
もしかすると仕える主人がいなくなったせいかもしれない。
「リルといったか」
「はははっはいっ!」
「…エリスを帰らすようおまえに命じたのは公爵か?」
突然のアインの問いにエリスは眉を顰めた。
彼に首を突っ込まれると嫌な予感がする……。
「俺がエリスを連れて行く」
「はぁ!?」
「だから先に屋敷に行って公爵に伝えてくれ」
「ははははっっはいっ!ありがとうございます!」
リルは高速で頭を下げ、薬室を飛び出した。
薬室の外から「なんだ!?」「に、人間かッ!?」と声が聞こえるが今更だ。
それよりも、とエリスはキッとアインを睨めつけた。
「何が『俺がエリスを連れて行く』だ!私は実家に行くつもりはない!」
「おまえいつから公爵家に帰ってない」
「……一ヶ月前」
「馬鹿か。帰ってこいと言われてあたりまえだ、行くぞ」
「断る」
薬室の奥の椅子に憮然と腰を下ろした。
そしてアインに指を差す。
「私はここから動かん。実家にも帰らない!」
「なら無理やり連れてくぞ」
「フン、やれるものならやってみろ」
つんとそっぽを向く。
屋敷に帰るつもりは毛頭ない。
ここから動かなければアインもエリスを連れていけないだろう。
「なら遠慮なく」
「はっ?きゃ!?」
悲鳴を上げると同時にアインがエリスを抱き上げた。
膝裏と背に感じる逞しい腕にかぁっと顔に熱が集まる。
アインはなんでもなさげにすたすたと歩き出した。
「ちょっ、どこに行くつもりだ!」
「公爵家に決まってる。無理やり連れて行くって言っただろ?」
にやりと笑う端正な顔が憎らしい。
抱き抱えられていてはなにもできず、エリスは真っ赤になりながらじっとアインの腕の中にいた。
今日で夏休みも終わり…というわけで更新が遅くなります。
申し訳ありませんm(_ _)m