16
一瞬、時間を要した。
そして一瞬後、エリスは目の前にあったアインの頬を思いっきり、ひっぱたいた。
「っ!?」
唐突のことにアインの身体が傾ぐがすぐに持ち直し、ひっぱたかれた頬に手を当てながらキッとエリスを睨む。
「誤解だ!確かにキスだったが、理由があるっ!」
「だったら誤魔化さずにはっきり言え。今度は拳が飛ぶぞ」
ゆっくりと起き上がり、右手に拳を作る。
明らかに下心があったとは決めつけないが、了承をとらずに唇を奪われたのだから妥当だろう。
「まて!待ってくれ!……話すから」
♢♢♢
エリスが意識を失った後のことだ。
アメジストのような瞳は瞼に閉ざされ、開かれない。
いくらアインが大声で言っても、エリスは身じろぎもしなかった。
「エリスっ!エリス!!」
「アインハルト、落ち着け。叫んでもエリス嬢は助からないぞ」
冷静な旧友の言葉とは相反してアインの感情は逆上する。
どれだけアインが彼女を想っていたかも知らないくせに、と鋭い目でユリウスを睨んだ。
「殿下方、喧嘩は後からにして、今はお嬢様のために動いてください」
いつの間にかキースを捕らえていたユリウスのメイド____アルは身嗜みを乱すわけでもなく意識を失くしたキースを床に転がせ、冷徹に見下ろす。
何故ユリウスのメイドがそこまで万能なのか謎だったが話は後だ。
「どうやらこの方はお嬢様に毒を含ませたようです」
「なんの毒だ!」
「言っても貴方に対処できるのですか?毒の名を言ったって、貴方には何もわからないでしょう。今必要なのは解毒薬です」
辛辣なアルの言葉が胸を刺す。
一国の王族に向かってここまで毒を吐くことができる女性はエリスの他には初めてだ。
「私とユリウス殿下で屋敷を捜しますのでアインハルト殿下はお嬢様を……」
「待て、解毒薬なら」
懐から硝子の小瓶を取り出す。
いつの日か、エリスから礼にと貰った秘薬だ。
大抵の毒に効くと言っていた秘薬なら、今のエリスに役立つだろう。
小瓶を開け、エリスの頤を上げさせる。
「ん……ん、っ」
《ヴィア》を飲ませようとするが苦味が強いのか、拒否するように顔を背けてしまう。
確か渡された時に言っていた。
『良薬口に苦し』と。
意識があればエリスは自分が作った薬だ、ためらわず飲んだだろう。
けれど今の状態では難しい。
「……どうすれば…」
「なにやっているのです!解毒薬があるなら早く!」
「拒否する相手にどうしろって言うんだ!!」
「無理やりにでも飲ませればいいでしょう!?命に関わるんですから多少の強引は許されます!あぁもう、退いて!!」
「ちょ、待て!!」
アルはアインから小瓶を奪って口に入れようとする。
が、口に含む直前にユリウスがアルから小瓶を取り上げた。
「殿下っ!!」
「落ち着け。…おまえがそんなことをしなくても適任者がいる。あとは任せて俺たちは屋敷を調べよう______いいな?アインハルト」
「……!あぁ」
ユリウスの言葉にしっかりと頷く。ユリウスは不服そうなアルの手を引いて部屋を出ようとする。
アルはアインを見下ろし、ぞんざいに吐き捨てた。
「手遅れなんか許さない。誇りある女性を死なせたら、隣国王太子でも許しはしない。です」
「……、承知した」
背筋に薄ら寒いものが走ったが気にしないフリをして小瓶の縁に唇をつける。
ぐっと煽ったのち_______冷たい唇に自分の唇を重ね、薬爵の薬を流し込んだ。
♢♢♢
「……ひとつ言うなら、貴方は本当に馬鹿だな」
王太子が一介の使用人に叱られてどうする。と、エリスはため息をついた。
アルは度胸がある。そして思いやりも持っている。
自分を気にせず他人のために動くことのできる者は老若男女、身分関係なく少ない。
「それに関してはもうやめてくれ。俺だって猛省してる。それより、身体は大丈夫か?」
「うん、寝すぎてだるいくらいだ。_____ねえアイン」
エリスはいつもより柔らかく彼を呼びかける。
いつも訪れていたその端正な顔にはかすかに疲れが滲んでいた。
それに気づいたから、エリスはただ短く、告げた。
「……好きだよ」
頬を染め、想いを告げる姿は、本当に女神のようだった。




