14
目が覚めたのは思いの外居心地のいい寝台の上だった。
見回せば女性的な装飾の天蓋に隙間からは落ち着いた白色の壁。
女性の寝室のようだ。
だが頭の中はいまだ大混乱に陥っている。
(……記憶がない)
アインと庭園で別れてからの記憶がまったくないのだ。
ふつりと途切れた記憶を辿るより先に起き上がれないことに気づいた。
両手が縛られているのだ。
腹筋を使ってどうにか起き上がり、エリスはため息をついた。
公爵令嬢のエリスは万が一のことが起きた時のために父の公爵から色々なことを教わっていた。
よって、誘拐されたと思われる時のためにも話をしていた。
(とりあえず冷静でいること。あと逆らわないこと)
生き残るためにこれは守らなければならない。
「そうはならないように気をつけるけれどね」と父はそういつもの甘い声で言い、優しく微笑んでいた。
「お目覚めですか?薬爵様」
天蓋が開かれ、柔らかい声と共に若い男が現れた。
緩やかに波打つ金髪に同じ金の瞳の優しげな顔立ちの美青年だ。
「貴方は、誰……?」
「申し遅れました、私はキース・ボルグ。今回は乱暴を働き、申し訳ありません、薬爵様」
キース・ボルグ。
確か彼は、若いながら侯爵としてボルグ家を率いていた。
古くから続く名門ボルグ家の現当主は穏やかな良き侯爵と有名だ。
その彼が、何故エリスをこうして捕らえているのだろう。
「どうして、私はここに?ここはどこでしょう?」
「ここは私の領地、私の屋敷です。私の手の者が貴女を運びました。……どこか、痛むところはありませんか?」
「…手首ですね。縄が食い込んで痛いです。解いて頂けませんか?」
「すみません、できません」
「____貴方の、目的は何?」
エリスは声音を変えて、訊ねた。
気丈に、侮られないように、凛と。
冷酷にも、感じられるように。
「数多の薬?それとも毒?……公爵家への身代金?」
「残念ながらどれも不正解です」
キースは愉しげに金の瞳を細めた。
どこか遊んでいるようなキースに、エリスは苛立つ。
目的は公爵令嬢としてのエリスでもなく、薬爵としてのエリスでもない。
ならば、どうして彼はエリスを誘拐したのだろう。
エリスの考えが読めたかのようにキースは穏やかな声で囁いた。
「私は、貴女が欲しい。エリス嬢」
「…………、は?」
キースはエリスの銀糸の髪を一房手に取り、そこに柔らかく口づけた。
♢♢♢
「まだ手がかりはないのかッ!」
「殿下、落ち着いて下さい。座って。セレッソ伯爵には尋問を続けていますから」
「…くそっ」
ロナウドに宥められ、アインは荒々しく執務室の椅子に腰掛けた。
アインが庭園を離れた五分の間に、エリスは姿を消した。
手がかりは、ない。
争った形跡はなく、エリスが落としたと思われる蒼のイヤリングが片方だけ、庭園から発見された。
エリスが消えて丸一日が経っている。
事態は深刻になりつつあるが、アインと共に場を離れたセレッソ伯は知らぬ存ぜぬを繰り返すばかりでまったく進展がない。
(エリス……、頼む。無事でいてくれ)
執務も手につかないが、アインができるのはこれだけだ。
上衣からエリスが落としたイヤリングを取り出す。
ラピスラズリと呼ばれる宝石は、アインの瞳と同じ、深い蒼の色合いをしていた。
装飾品を好まないエリスが身につけるのだから、気に入っているのだろう。
焦燥が占めるアインの執務室の扉がその時、静かに開いた。
「お困りのようで、王太子殿下」
「……おまえ、は」
♢♢♢
「私……、ということはわかってますが、どの私ですか?」
「………、エリス嬢。本気で言ってます?」
キースが苦笑を交えて訊ねた。
質問に質問で返され、しかもふざけていると思われたと誤解したエリスは少々ムッとする。
「あたりまえです。ふざけているように見えます?」
「いえ……、いや、すみません。私が悪い…のかな?」
キースは手に取ったままのエリスの髪にもう一度唇を落とし、上目遣いにエリスを見た。
金の瞳には、熱が灯っている。
とろけるような優しさがありながら、触れたら火傷しそうなくらいの激しさも合わせてある。
どこかで見たことがある熱だった。
「私が欲しいのは、ただ貴女という存在。薬爵という身分も公爵令嬢という立場も、その身に隠れている膨大な知識も、必要ない。ただの人間としての貴女が欲しいのです」
「……何故?そんなものになんの価値があります?意味も必要性もない」
「執着ですよ、貴女に対する。……私のものにしたい、それが理由ですよ」
髪に触れていた手が頬に移る。
優しく撫でられ、エリスは感じたことをそのまま口にした。
「貴方が私を愛している、ということですか?」
「……直接的ですね、エリス嬢。_____えぇ、貴女を愛しています。この目で見たときから」
好意を寄せられたのは、二度目だ。
でも一度目とはまったく違う。最初のとき___アインのとき___はなんて答えればいいかわからなくなって、もやもやした。
でも今は、まったくなびかない。
答えなんて、決まっている。
「私は貴方を愛していません」
「………」
「私を手に入れたいなら、まっとうに挑んでください。侯爵の立場なら可能でしょう」
「………ふ、あははっ」
真面目に返したが、キースは声を上げて笑い出した。
気味が悪いと思った。
狂ったように、笑う彼の、見開かれた金の瞳が。
「そんなことができるとお思いで?王太子が睨みをきかせているのに貴女に手を出せるとっ⁉︎夜会で遠巻きに見ていた貴女は月の女神のように輝いていた。その手を取りたいと願った瞬間に、あの男はいとも簡単に手を取って‼︎」
狂っている。
または、愛に飢えているのか。
彼は、どこを見ているのだろう。
そんなキースに、エリスの頭の中で何かがプツンと、切れた。
「…月の女神……ねぇ」
エリスは艶やかな笑みを浮かべる。
トーンの低い、けれど威圧的ではないが、どこか強い声が無意識に出る。
「……エリス、嬢……?」
キースがエリスの突然の変化に困惑する。
それに構わず、エリスは寝台の上で剥き出しの白い脚を組み、キースに向かって片足を突き出して。
そして嗤った。
「私を月の女神などと言うのなら、女神の足を舐めなさい」
じょ、女王様ぁーーっ‼︎




