11
「レイヴン、窓を開けてくれ」
「すみませんエリス。今はちょっと……」
「はぁ?……あー」
手元を見たまま頼んだエリスはレイヴンの状況を確認し、呆れた。
数刻前、新しい薬の素材となる葉の用意を頼んだのだがその葉は独特のネバネバを出すものだ。
レイヴンの手にはそのネバネバが大量に付着している。
「手袋をしろと言っただろう」
「ゔぅ〜〜」
「いいか?氷で冷やして、固めてから剥がせ。絶対に水やお湯で流そうとするなよ、炎症になるから」
「はぁい……」
レイヴンを薬室から出し、エリスは自分で窓を開けた。
新鮮な空気が薬室に流れ込んできて、エリスは深く息を吸った。
「---エンっ、待て!」
「………」
「無視するな……!」
「誰のせいでこんなことになってるとお思いで?私の時間を返してください」
「わ、悪かった……俺が悪いから待ってくれ」
遠いようで、近くから聞こえた男女の声に、エリスはそちらの方へ視線を向けた。
男女の姿を見て、少し驚いた。
(……見ない顔だな)
驚いたのはそれだけではない。
女の方の容姿をエリスは舐めるように見つめた。
女は大層珍しい、薄桃の髪の持ち主だ。艶やかで、さらさらと流れるように美しい。
男は、落ち着いた鳶色の髪の美丈夫。どうやら、女の気を惹こうと躍起になっているようだ。
「私は立ち止まっている暇はないと思うのですが」
「でも少しは落ち着いた方がいいだろう?おまえ、頭に血がのぼってないか?」
「誰のせいだと!」
最初に戻った二人にエリスはくすくすと笑った。
少し前までのエリスとアインも、あんな風だったのだろうか。
「---すみません!少しお伺いしてもいいでしょうか!」
「っ?…私ですか?」
「はい!ちょっといいですか?」
先ほどの薄桃の髪の女性が、エリスに話しかけた。
まっすぐにエリスを見据える瞳は晴れた空のような薄蒼だった。
「蒼の宮に行きたいのですけど、道がわからなくて……教えて頂けませんか?」
「蒼の宮に……?」
「はい。よろしければ…ですけど」
アインの暮らす蒼の宮へ向かう、ということは王太子への面会か何かだろうか。
よく見れば、彼女の隣に立つ男の身なりは、そこらの貴族令息と遜色ない。
女性は、見慣れない紺色のワンピースのような衣装だ。
(アインの友人……か?)
それならば二人に見覚えがないのも頷ける。
エリスはとりあえず自己完結して、彼女に頷きを返した。
「わかりました。折角ですから、ご案内します」
♢♢♢
薄桃の髪の女性は、アルと名乗った。
彼女は鳶色の髪の彼のメイドだという。
「申し訳ありません。御足労をおかけして」
「大丈夫です。説明するより、連れて行った方が楽なので」
「ほら、貴方も謝ってください」
「………、すまない」
男は不貞腐れたように顔を背けたまま、詫びた。アルがそんな彼にまた小言を繰り返し言う。
慣れたような雰囲気に、これが二人のいつも通りなのだろう、と察した。
「---エリス?」
「あ。……ご機嫌よう、殿下」
道半ばで蒼の宮の主に会い、エリスは上品に頭を下げた。
最近アインからこの態度を『エリス、外面ver.』と名付けられた。
「どうした?……あぁ」
「久しぶりだな、アインハルト」
「……そうだな」
アインはエリスの後ろにいる男の姿に複雑そうな表情になった。
やはり、旧知の仲のようだ。
アルは一歩下がり、壁と同化するように雰囲気を消した。
「蒼の宮に御用があるようです」
「ありがとうエリス。手間をかけたな」
「いいえ、お気遣い感謝致します。---それでは王太子殿下、お客様、アルさん、ご機嫌よう」
エリスが一礼し、場を辞そうと動くと、鳶色の髪の彼がエリスを引き留めた。
「待て」
「…?なんでしょう?」
「……、俺は、ユリウス・ミア・クロムウェル。道案内、感謝する」
「いえ、この程度のこと---え?ユリウス・ミア・クロムウェルって隣国の次期王の名前……?」
「---あぁ。まぁ、よろしく」
背後からくすくすと笑う可憐な声がした。
視線をやると、アルが苦笑を浮かべる。さも、おかしそうに。
「お嬢様、頬が引き攣っておりますよ。折角お綺麗な尊顔をお持ちなのですから、笑ってくださいませ」
そう言って、アルは見本のような美しい微笑を唇に掃いた。
波乱の、始まりだった。




