01
輝く銀の髪を邪魔だとばかりに無造作に結んで、真剣な表情の顔には化粧っ気もなく、その手は少々荒れ気味だ。
加えて華奢な身を包む衣装も、女物であるが極めて簡素。
しかし、彼女はそれを気にしたりしない。
彼女が気にするのは……
「ようエリス」
「出ていけ邪魔、仕事しろボケ」
「挨拶しただけだけなのに相変わらず冷たい……っ。可愛くない女は好かれないぞ!」
「別にいい、貴方こそ可愛くない女を構ってないでどっか行ってくれ。本当に邪魔だ」
エリスは男を見もせずひらひらと手を振ってあしらう。それでも彼はいまだ立ち去ろうとしない。
艶を帯びた黒髪に涼しげな蒼い瞳。極めて端正な顔で威風堂々と立っている姿には普通ならば逆らわないだろう。ただし、エリスには効果はない。
軽いため息をついて棚に並んである硝子の小瓶を一つ手に取った。
中身の液体を一滴だけ今まで扱っていた鉢に落とし、匙で混ぜてから新しい小瓶に入れた。
「出来たのか?」
「まだいるのかよ、暇人め」
「………おまえな、その口の悪さ治す気はないのか?」
「あぁ、マトモな相手には普通に会話できる。おい暇人そこどけ」
男を退かせ、小瓶を別の棚に並べた。この棚は他の棚とは違う。
否、正確には棚の中身が、他とは違う。
これはすべて、毒だ。
エリスが自ら作り出した、猛毒。
「………またか」
「あぁまただよ。それがなんだ」
「辞めようとは思わないのか?」
「さぁな。これ解毒剤だし」
心配そうな顔の男にエリスはくつくつと笑った。
毒を作るときには必ず解毒剤も共に作ると決めてある。その毒の効果を一切消す解毒剤だ。
男は怒気をそのままエリスを睨んだ。
「人が心配してやってるんだぞ」
「そうだな、礼を言うのが筋だ。余計な世話だとも言われかねんが」
「……おまえが素直に感謝する心を持つ素直な女じゃないことは充分わかってるよ。暇人は帰る」
彼が背を向けたのと同時にエリスは振り返った。
大きな背中に向けて微苦笑を浮かべ、自分でも驚くほどの柔らかい声をかけた。
「ありがとう、アイン」
その声に、言葉に、アインが振り返る前にエリスはなにもなかったとばかりに作業台に戻った。
♢♢♢
非常に、困った。
ちらりと見えた彼女のあの柔らかい表情が頭から離れない。
アインは口許が緩まないようぐっと唇に力を込めた。
エリスが就いている役職は薬師である。
一般的な風邪薬や少々怪しさ漂う妙薬、秘薬まで彼女はその手で作り出す。
その中でエリスが頻繁に作り出す薬が毒薬だ。
独自に開発した毒薬をエリスは王宮の薬室で管理している。
エリスは王家公認の薬師だ。
「おい」
「ッ!?な、なんだ!」
「?…昼食だ。しょうがないからこれ食べろ」
結局薬室に居座るアインがエリス本人から渡されたのはバスケットとティーセットだった。
バスケットにはバケットのサンドイッチが並んである。ティーポットにも温かい紅茶が淹れられてあった。
エリスは口は悪いがこういった気遣いができるので心根は優しいとアインは理解している。
ありがたくサンドイッチと紅茶を味わいながらアインはエリスが手をつけずにいるのに気づいた。
「エリスは食べないのか?」
「私はいい。さっさと片づけてさっさと帰れ」
「ちゃんと食べろ。おまえただでさえ細いくせに」
バスケットを突き出すと呆れた表情が返ってきた。
エリスはあまり顔を合わせてくれないことがあるので表情の変化を見れるのは貴重だ。
「____サンドイッチと紅茶なにを入れてると思ってる」
「………は?」
「私は貴方に対していい感情を抱いてない。この中からとっておきのもので証拠を残さず殺すことが可能だ」
エリスはそう言ってサンドイッチを一つ取って囓った。
生野菜のシャキッとした音が気持ちいいぐらいはっきりとアインの耳に聞こえた。
「だから____安易に私を信用するな」
サンドイッチを食べ終えたエリスは指先についたパン屑を舌で舐め取り、妖しく目を細めた。
突き放す言い方にこの昼食に何か盛られている可能性を考えず、アインは眉を顰めた。
「アインハルト・クローデル、貴方はこの国の王太子じゃないのか。いくら腐れ縁でもお互いの立場を考えろ。あと、公務をほかるな」
「………父上が有能だから俺の仕事はほとんどない。もう済ませてある」
「それは良かった。陛下がお元気なうちに貴方の性根を叩き直してもらわなくてはな」
「立場もおまえならいいだろ。幼馴染みには今更だ。エリス・ツァリアス薬爵」
「…………」
体感温度が大幅に下がった。
薬爵とはエリスが持つ名誉職だ。
以前国王の暗殺に毒が盛られ、もはや時間の問題…となった時、エリスの秘薬が国王を救い、褒美に公爵令嬢だった彼女自身に爵位が与えられた。
この国では王が爵位に名をつける。
エリスにつけられたのがその『薬爵』だった。
「父上がつけた爵位に不満があるのか?」
「陛下のことは感謝と共に尊敬している、王妃陛下もだ。こんな私のことを気にかけてくださるお優しく慈悲深い方々だ。ただ子育ては少々失敗したと思う」
「悪かったな」
「本当だ、両陛下に跪いて許しを請え」
冗談の雰囲気がないエリスに苦笑した。
仮にもエリスの尊敬する両陛下の宝なのだが、彼女には今更だ。
薬爵に不満はなさそうだが呼ばれるのは好まないようだ。
「ところで、両陛下は貴方がこんなところに来てることを許してるのか?」
「むしろ行けと執務室から追い出された。おまえと会食をしたいから約束してこいだと」
「またあの方々は………」
ガシガシと銀の髪を掻き乱してエリスは舌打ちした。
ざっと作業台の方に目をやり、次にアインに視線をやる。
アインを上から下まで舐めるように見て、エリスの紫の目の色が変わった。決意だ。
「わかった、両陛下に『お望みならばわたくしの時間を忠誠と共にすべて両陛下へと捧げます』と伝えてくれ、一語一句違えずにな。用件がそれだけならもう帰れ。私は貴方みたいな暇人じゃない」
「ハイハイ。 …『お望みならばわたくしの時間をすべて両陛下に跪いて捧げます』か?」
「違う。『お望みならばわたくしの時間を忠誠と共にすべて両陛下へと捧げます』だ。伝言ぐらいちゃんとやれよ王太子殿下」
「わかったわかった。とりあえずいつでもいいんだな。ドレス準備しとけよエリス」
「………わかってる」
アインが言うと途端エリスの表情が渋いものになった。
悩んでいた理由はこれか。
だが元は公爵令嬢のエリスだ。ドレスぐらい大丈夫だろう。
「じゃあなエリス」
「あぁ」
もう来るな、とは言わないエリスにアインは可愛いな、などと思う。
薬室の扉を開いてそうだ、と思い出し、振り返った。
座ってアインを見送っていたエリスの瞳が少し瞠る。
「おまえ、料理の腕上げたな」
「……! き、気づいて!」
「99点だ」
顔を真っ赤にしたエリスに向かってふわりと微笑した。
普段が仏頂面なだけ新鮮だ。と呑気に思っていたらガタンッ!と音を立ててエリスは立ち上がった。
「ちょっ、待て!アイン!!」
「暇人はさっさと帰るー」
「撤回だ!そこに直れ!気づいてたんだな!99点ってなんだ!」
「じゃーなー」
「馬鹿野郎ッ!もう来るなっ!」
キィキィ喚くエリスは拳を繰り出したが余裕で避けて逃げるように薬室を出た。
くつくつと笑みがこぼれる。
幼馴染み殿は照れ屋で困ったものだ。
(明日の昼飯は何かな)
今は昼食だけだが最終的には朝食から夕食まで共にしてみせる。
…… もしかすると本当に昼食には何か盛られていたかもしれない。
(とびっきりの惚れ薬……とかな。いや、それこそ今更だな)




