所詮そんなものだなんて
―――私はあの人が好き。
そう思い始めたのは、SNS上で頻繁に会話を交わすようになってからだ。始めはただ、会話もした事の無いあこがれの人。私達の始めの言葉は陳腐な挨拶。
でも共通の趣味や思考に気付いて、だんだん会話する回数が増えてきた。だから私は、彼なのか彼女なのかもわからないその人に惹かれていった。お互い、あなたが好きと言いあうような仲にまでなった。その人と話せている時間は、私にとって幸福の一時だった。幸せ、そう感じていた。
お互い好き合っていると確信していた。―――私は。
元々、私が依存しやすい人間だったこともあると思う。私はその人と話せない時間が苦痛で仕方なかった。ただ苦しかった。その人は私じゃない他の誰かといつも話していた。私と話していないのに、他の人と。私の知らない人と話していることがわかってしまった。
私に湧きあがってきた感情はきっと嫉妬だ。
どうして私以外の人と、そう思った。私の事を好きって言ったじゃない。それなのになんで他の人にも同じ事を言ってるの。おかしい。おかしい、そんなの。私だけじゃないの? なんで? 好きなんて、一人の人間に対して言う言葉でしょう?
―――なんで。なんでなんでなんでなんで、どうして私じゃないの。なんでその人なの。なんで。
やがてSNSでの発言が消極的なものになっていく。それに気付いたその人は私を気遣って声をかけてくれる。その時だけは、彼か彼女かわからないその人は私を見ている。私に意識を向けている。かつて感じた幸福感とは違うけれど、孤独のどす黒い穴が少しだけ埋まった気がした。たった一言でも、私にとっては命の水になった。
暫く経って、疑惑は確信に変わる。
彼か彼女かわからないあの人は、私なんてどうでもいいのだと。
そう思ったのは単純に、SNS上でのあの人の会話を見てしまったからだ。相手へのリプライにスキンシップの表現や、好きだのなんだのという愛の言葉。私にいつか言ってくれた言葉を、その人は平然と他の人にも言っていた。
―――ああ、やっぱり私なんてどうでもいいんだ。
端末を握っていた手が震えていた。
床に端末が落ちる。ゴトリと少し重い音がした。
暗い部屋のなかにあった唯一の光は―――消えた。
×××
―――僕は端末を使って色んな人と会話をするのが好きだった。SNS上で繋がって仲良くなったいくらかの人達と話すのが凄く楽しかった。それだけの理由で、僕はSNSをやめることなく延々と誰かと会話を交わしていた。
―――つまりはSNS中毒者である。
僕は誰かと繋がっている証がほしかったのかもしれない。SNS上で繋がったところで空虚な関係だなんてわかりきっていたけれど、僕はそれでも誰かと関わっていたかった。そんなくだらない理由で僕は今日もSNSを利用する。
相手に好き、そういう言葉を返すこともあった。お互い冗談で言っているのだとわかりきっていたから、僕は○○さんのそういうところ好きだよ、とか、そう言うことは少なくなかった。
始まりは挨拶からだった。こんにちは、どうかよろしくお願いします―――そんなよく見る陳腐な言葉。その人のプロフィールを見てみると、僕と共通した趣味がある事がわかった。試しに話題を振ってみた。始めはぎこちない返事ばかりが返ってきたけれど、やがて相手も慣れてきたのか、顔文字や記号を使うようになった。
その人と会話をするのは、楽しかった。けど正直疲れることだった。
僕が話題を変えない限り延々と話を繰り返し、
人を疑うような言葉ばかりを連発し、
―――僕はついにその人に疲れてしまった。
悪気がないとは思った。話相手が少なくて構ってもらいたいんだろうなあくらいには思っていた。けれど僕は、その人にばかり構っていると疲れるんだ。他の人と話していた方が楽しいし、僕にはその人しかいないわけじゃない。楽しい相手と話したいと思うのは自然なことだろう?
やがて、その人は自虐的な呟きを始めた。世に言う鬱ツイートというもの。僕は一応心配して、その人に大丈夫か、と言ったテンプレ的な返しをした。大丈夫、そう返ってきて僕はそこで会話をやめる。
大丈夫といってるというのにまたその人は同じような発言を繰り返す。僕はもう気にしない事にした。視界にいれないようにミュートに設定した。疲れるんだよ、疲れるんだ。
そして僕は、今日も誰かと楽しく会話にいそしむんだ。
きっとこういう人たちっていくらかいるんだろうなあと思ったのが始まりですが、SNS上にこんな人達がいっぱいいたりするわけではないのでご安心を。前者の方はあまりいません。恐らくですが。