2話 怪盗が盗んだ物
所々に灯りが点される城内、その中を二つの白い影が通り過ぎる。
怪盗フェンリル、神出鬼没の大怪盗だ。その隣を走るのは氷魔精霊フェンリル、通称はエリルだ。
一人と一匹が向かう先はユナリア公国第一王女アニア・ネールス・ユナリアの部屋だ。
彼は怪盗、今のところは見つかりもしていない。
一方。ユナリア公国第一王女アニア・ネールス・ユナリアの部屋では……
「むぐっ!」
そこに居たのは王女、だけでは無かった。
数人の暗殺者がその場には居り、一人が王女を取り押さえ、今まさにその命が奪われようとしていた。
「琥珀の花」とも言われる貴賓に溢れるアニア・ネールス・ユナリア第一王女が殺されようとしていた。
彼女は何とか抵抗しようとするが、華奢な体でこの人数相手に勝てるはずも無い。
乱れる長く艶やかな金の髪、透き通るように美しい青い瞳は涙を浮かべていた。
暗殺者は短剣を振り上げた。
(だめっ……!)
彼女が一筋の涙を流した瞬間、部屋のドアがバッといきなり開き、吹雪のように冷たい風が通り過ぎ、ベランダへ逃げていった。
だが、ドアはすぐにバタリと閉まり、人影も無かった。
王女と暗殺者達は一瞬びくりとしたが、何も変わることは無かった。
王女は一瞬でも希望を持った自分が恥ずかしく思えた。
暗殺者達は背筋が冷たくなったが、それは一瞬のことだった。
暗殺者が再度短剣を振り上げ、振り下ろそうとした瞬間……
「今宵俺が奪うのは暗殺者の命だ」
ベランダの方から一本のナイフが投げられ、短剣を振り上げた腕に刺さり、暗殺者はとっさのことに身構えた。
月明かりに照らされ、その素顔が映った。
銀の姿をした貴公子、そう例えればいいのだろう、気品位に溢れた姿は見る物を魅了する物だった。
「何者ダ」
暗殺者の問いに怪盗は苦笑した。
「皮肉だね、名を名乗ることも出来ない暗殺者に名を聞かれるとは……一度は耳にしたことぐらいあるだろ?怪盗フェンリルって」
靡く銀の髪、清んだエメラルドの瞳、帯剣するのは繊細な装飾が施された一本のレイピア、側に居るのは紅い瞳で暗殺者を威嚇する銀狼の精霊。
そう名乗った彼には迷いの一つも無かった。だが、暗殺者達は一瞬よろめいた。
「隙を見せれば命取りだ」
吹き抜ける吹雪、次の瞬間、一人の暗殺者が凍った。
一瞬のことだった。今起きたことは夢か何かだと思うのだろう、だが、現実だった。
肺まで凍る凍える風、氷魔の風だった。
「さて、その命、奪わせて貰う」
怪盗はレイピアを抜き、駆けだした。
暗殺者達もそれに対抗して剣を抜いたが、一手遅かった。
駆ける銀狼、突き出されるレイピア、暗殺者達を襲い、決着までにはそう時間は掛からなかった。
銀狼は氷魔の風で凍らせ、怪盗はレイピアで暗殺者の心臓を貫き、敵の命を奪った。
怪盗はレイピアを鞘に納めると王女に駆け寄り、手を差し伸べた。
「お怪我は?」
優しい声だった。
さっきまでは氷のように冷たい声だったのに今度はそれが嘘のように暖かな声を彼女に浴びせた。
王女は拍子抜けし、唖然とした。
「何処か痛むところでも?」
再度声を掛けられ、彼女は我に返った。
頭を横に振ったが、一度彼女の思考は停止した。
よく考えてにれば彼は怪盗、物を盗みに来たのでは無いとしても侵入者である。
彼女の顔色はどんどんと青くなってゆき、大声を上げようとした瞬間、口を彼に押さえられた。
「むぐっ!?」
「大声を上げないでくれ、せっかく助けてあげたのに恩を仇で返すつもりか?」
ジト目で言う彼であったが、声は暖かな物であった。
「どうせもうすぐ外が騒がしくなるからその時にでも俺は逃げさせて貰う」
彼はゆっくりと手を退け、立ち上がった。
「あの、彼方は?」
「俺は怪盗フェンリル、こいつは相棒のエリル」
「そうでは無く、お名前はなんと言うのですか?」
「答えられませんよ、怪盗の素顔を見ることが出来ただけでも幸運に思ってくれるのなら幸いだ」
彼が取り出したのは銀の仮面、彼はその仮面を付けるとまた吹雪くのような強い風が吹き抜けた。
王女は余りの風に目を瞑った。そして目を開ける頃には彼の姿も銀狼の姿も無かった。
そしてヒラヒラと一枚のカードが降ってきた。
そのカードには銀狼の絵が描かれており、裏には「今度はしっかりと盗みに来る」と書かれていた。
彼女はそれを見てクスクスと笑った。
「もう盗んじゃってますよ」
夜空に銀色の風が吹く抜けた。