第三章:金利の壁
1
永田町の秋は、風よりも先に政治の熱気で色づく。
首相官邸から目と鼻の先にある財務省の五階。省内でも「奥の院」と呼ばれる主計局長室には、重苦しい空気が漂っていた。
「――神島君。君の言いたいことは分かるがね」
重厚な革張りソファーに腰掛け、冷めた日本茶をすする男――財務省主計局次長兼金融庁担当官の吉永敬一郎は、細いフレームのメガネを指で押し上げながら冷ややかに言った。
「政府の経済対策として、我が省が予算を打ち出し、中小企業や先端IT産業に対して利子補給(金利補助)を行ったり、信用保証枠を拡大して実質無利子・無担保融資――いわゆる政策金融の優遇措置を講じることは制度上何の問題もない。すでに『地方創生支援利子補給金』や公的金融機関を通じた特別低利融資の枠組みは十分に機能している」
吉永はテーブルの上に置かれた分厚い予算要求資料をトントンと叩いた。
「だがな、君たち東京中央銀行が持ち込んできた『SpaceNode』のデジタルREITおよびデポジット・トークンに対する『政策金融による特別金利補給と、日銀の政策金利への連動・反映の要請』……これは全く次元の違う話だ。日銀の政策金利そのものに政府の意向を直接反映させろなど、金融法制の根本を揺るがす暴論だよ」
吉永の前に座っていたのは、東京中央銀行デジタル推進部次長の神島拓哉と、新人バンカーの一ノ瀬あかりだった。
第二章で描かれた、ライバル行・日東新星銀行による詐欺的MBS発行とSpaceNode乗っ取り劇から二週間。神島たちは、信託保全とデポジット・トークンを用いた「健全なデジタルREIT・MBSスキーム」を構築し、見事に破綻の連鎖を喰い止めた。
しかし、次なる巨大な壁が神島たちの前に立ちはだかっていた。
「吉永次長、誤解なさらないでください」
神島はまっすぐに吉永を見据えた。
「我々は日本銀行に対して『政策金利を下げろ』と命令してほしいとお願いしているのではありません。現在、海外の中央銀行が相次いでデジタル通貨(CBDC)やトークン化預金の金利連動スキームを構築する中、日本国内におけるデジタル資産エコシステムを急成長させるためには、政府の財政政策と日銀の金融政策がシームレスに連動する『新たな利子補給・金利連動フレームワーク』が必要不可欠だと申し上げているのです」
「同じことだ!」
吉永は声を荒らげた。
「日本銀行法第三条を見てみろ。日銀の独立性は厳格に保たれている。政策金利の決定を含む金融政策の運用は、日本銀行政策委員会という独立した機関の専権事項だ。政府――財務省や内閣府の代表が政策決定会合に出席して意見を述べたり、議決の延期を請求することは(日銀法第十九条)できても、最終的な議決権はないし、命令する法的権限も一切ない!」
吉永はあかりが提示していたスライドを指で弾いた。
【政府の経済対策(財政政策)と日銀の政策金利(金融政策)の制度的区分】
1. 融資金利の保証・利子補給(政府・自治体・財政出動による支援)
├ ① 利子補給(実質無利子化): 国や自治体が利息分を直接補填(地方創生利子補給金等)
├ ② 信用保証制度 : 信用保証協会による代位弁済枠の設定と保証料補助
└ ③ 制度融資・公的金融機関 : 日本政策金融公庫等へ補給金を投入し、特別低利融資を実施
⇒ 【結論】政府・財政の予算措置として「十分に実施可能」
2. 日銀の政策金利への直接反映・関与(金融政策の領域)
├ 日本銀行法第3条(独立性) : 政策金利の決定は日銀の専権事項。政府に命令権限なし
├ 政府出席権(日銀法第19条) : 財務省・内閣府代表の出席・意見表明・延期請求権のみ(議決権なし)
└ 政策協調(共同声明/アコード): 対話を通じた「間接的な目標共有・協調」にとどまる
⇒ 【結論】政府から日銀へ直接の「命令・反映」は制度上不可能
「ご覧の通りだ」吉永は吐き捨てるように言った。
「政府ができるのは、あくまで国や自治体の予算を使った『利子補給』や『保証料補助』といった財政出動(補正予算)による金利負担の補填までだ。それを超えて、デポジット・トークンに付与する基準金利を日銀の政策金利と直結させ、政策的にコントロールしようなど、日銀の独立性に対する不当な政治介入と取られかねん!」
2
「主計局の言う通りですな、神島君」
吉永の隣で、優雅にパイプの煙をくゆらせていた老人が口を開いた。
金融庁長官の補佐官を務める影の権力者、佐伯だった。
「君たちがSpaceNodeでやろうとしている『デジタルREIT』や『デジタルMBS』の小口化発行自体は、信託銀行の保全が効いている限り、金融商品取引法上のセキュリティ・トークン(ST)として認めよう。……だがね、そこに政府の税金を使って利子補給を行い、実質無利子や超低利で投資家や事業者に資金を回すとなると話は別だ」
佐伯は冷ややかな目で神島を見た。
「すでに地方銀行や第二地銀の融資残高は全国で二百兆円を超えている。さらにメガバンクを含めた全国銀行の総融資額は六百三十兆円から六百五十兆円という途方もない規模に達しているんだ。この巨大な民間融資市場が存在する中で、なぜ一部の『デジタル空間の不動産(SpaceNode)』だけに、政府が特別な利子補給の枠組みを与えなければならない? 他の伝統的な実体産業の中小企業から『不公平だ』と突き上げられたら、どう説明するつもりだ?」
神島は一歩前に出た。
「不公平ではありません。これは単なる一部業界への優遇策ではなく、『日本の六百五十兆円の融資資産を、新時代へ軟着陸させるための架け橋』だからです」
神島はあかりに合図を送った。あかりは緊張した面持ちで、タブレットから財務省と金融庁の端末へ新しいデータを転送した。
「佐伯補佐官、吉永次長。現在、全国銀行の総融資額・約六百五十兆円のうち、半数を占める都市銀行の融資先は、グローバル企業や大規模な設備投資です。そして残る二百兆円超を担う地方銀行・第二地銀の融資先は、地域の中小企業や不動産融資が中心です。しかし、少子高齢化と過疎化により、現実世界の商業不動産や担保価値は縮小の一途をたどっています」
神島は声に力を込めた。
「もし、既存の融資先である中小企業や商業施設が、SpaceNodeのようなデジタル空間へ進出し、そこで『デジタル店舗』や『新たな顧客層』を開拓しようとした時、従来の融資制度では担保価値を評価できません。だからこそ、政府が『地方創生支援利子補給金』の拡大解釈や『信用保証制度』のデジタル版を適用し、事業者がSpaceNodeに進出する際のデポジット・トークン融資に対して、初期の利子補給を行うべきなのです!」
「……利子補給を行うことで、事業者の金利負担を限りなくゼロに近づけ、デジタル空間での事業化を後押しする、と?」
吉永が眉をひそめた。
「そうです。政府が予算(財政出動)を用いて『利子補給』や『保証料補助』を行えば、日銀の政策金利に触れることなく、実質的な超低金利環境をデジタル空間上に創出できます。そして、そこから生まれる確実なテナント賃料キャッシュフローを信託口座に集約し、デジタルREITとして小口化する。そうすれば、地域の地方銀行(地銀)も、リスクを抑えたまま、自地域の事業者の『デジタル空間進出』へ利子補給付きで融資できるようになるのです!」
神島は二人を交互に見つめた。
「これは、地方銀行の二百兆円に及ぶ融資ポートフォリオを救う施策でもあるのです!」
3
「……ふん」
佐伯補佐官はパイプの煙を吐き出し、天井を仰いだ。
「論理のすり替えだな、神島君。君が言っているのは、結局のところ『政府の財布(予算)を使って、東京中央銀行とSpaceNodeのビジネスリスクを薄めろ』と言っているのに過ぎん」
「そんなことは――!」あかりが思わず声を上げかけたが、神島が手で制した。
「いいかね」吉永次長が冷たく言い放った。
「来年度の補正予算および当初予算の編成はすでに佳境だ。実体もない『仮想空間の土地』に対する利子補給枠の創設など、財務省主計局として口が裂けても認められない。日銀法第3条の壁もある。金融政策(政策金利)と財政政策(利子補給)の境界線を曖昧にするような提案は、即刻持ち帰ってもらおう」
「吉永次長……!」
「終わりだ。金融庁も財務省も、この件に関する特別措置は一切認めない。既存の銀行法の範囲内で、自分たちのリスクで勝手にやりたまえ」
吉永は資料をバサリと閉じた。
官邸と省庁の分厚い壁。
制度上「可能なこと(財政出動による利子補給・保証補助)」と「不可能なこと(日銀の政策金利への直接命令)」の境目を盾に取り、財務官僚たちはリスクから完全に身を引こうとしていた。
財務省を出た神島とあかりを待っていたのは、冷たい秋の雨だった。
「神島さん……ダメでしたね」
あかりが傘を広げながら、肩を落とした。
「政府の予算を使った『利子補給』なら、法律上も制度上も完全に実行可能なのに……『前例がない』『日銀の独立性を損なう恐れがある』と言って、鼻から取り合ってくれませんでした」
「いや、彼らの言っていることも一理ある」
神島は雨で煙る霞が関の官庁街を見上げた。
「政府が予算を投じる以上、そこには国民の税金が使われる。単に『新しいから』という理由でSpaceNodeだけに利子補給を与えるわけにはいかない。……だが、彼らが気づいていない、あるいは見ないふりをしている『巨大なリスク』が、すでに水面下で動き出している」
「巨大なリスク……?」あかりが首をかしげた。
「ああ」神島は目を細めた。
「財務省と金融庁が『前例がない』と足踏みしている間に……あの男が、別の『禁の手』を使って動き出しているはずだ」
4
同じ頃。東京・大手町の高級ホテルの一室。
第二章で神島たちに追い詰められ、日東新星銀行での立場を失ったはずの男――神崎哲也が、ソファーでグラスを傾けていた。
その神崎の前に座っていたのは、意外な人物だった。
東京中央銀行のデジタル戦略特命部長であり、神島の上司でもある黒木和彦だった。
「……神崎君。日東新星を追われた君が、私に何の用だ?」
黒木は不快そうにワイングラスを回した。
「フフフ……黒木部長、そんなに警戒しないでくださいよ」
神崎は不敵な笑みを浮かべた。
「あなたが神島次長の進める『デポジット・トークン』や『完全信託スキーム』に、内心では反吐が出るほど嫌気がさしていることは知っています。あんな手間暇ばかりかかって利益率の低い、堅物な信託保全スキームなど、メガバンクの収益の柱になり得ない」
「だからと言って、君のような不当なMBSを発行して投資家にリスクを擦り付けるような真似に加担する気はない」黒木は吐き捨てた。
「不当? 違いますよ、黒木部長」
神崎は身を乗り出した。
「あれは準備運動に過ぎません。……私は今、海外の巨大ヘッジファンドと、ある政治家――与党の金融族議員である権藤代議士と組んで、まったく新しい『金利スキーム』を仕掛けているんです」
黒木の眉が動いた。「権藤……だと?」
「ええ。権藤代議士を通じて、政府の経済対策の中に『デジタル産業特区における利子補給・信用保証の特別枠(五千億円)』を強引に割り込ませる手はずが整いました。政府の予算を投入し、事業者が支払う金利を実質ゼロにする利子補給制度です」
「なに……? 財務省の吉永はそんなものを認めるはずがない」
「吉永など、政治の圧力一発で黙らせますよ」神崎はニヤリと笑った。
「そして、ここからが本番です。政府の補正予算から出される利子補給金(五千億円)を裏付けにして、海外ファンドが金融庁の規制が届かないオフショア(租税回避地)で『高利回りデジタル・レンディング・プール』を創出する。表面上は『政府公認の利子補給付き・実質無利子融資』に見せかけながら、裏ではスマートコントラクトを使って、日銀の政策金利を遥かに上回る『年利八パーセント』の利回りを投資家に約束する違法な金利調整スキームです!」
「正気か!?」黒木が立ち上がった。
「それは政府の利子補給制度(税金)を悪用して、私腹を肥やす実質的なポンジ・スキーム(マルチ商法)ではないか! 万が一破綻したら、政府の政策金融の信用どころか、日本の金融システム全体が崩壊するぞ!」
「破綻などしませんよ。破綻する前に、ファンドも私も売り抜けて逃げますから」
神崎は冷酷な目で黒木を見上げた。
「黒木部長。あなたに協力してほしいのはひとつだけだ。東京中央銀行の顧客データベースから、全国の地方銀行や優良中小企業のリストをこのスキームに流し込んでほしい。見返りとして、あなたにはオフショアファンドの株式と、数十億円の幹部報酬を用意します」
黒木の手が、微かに震えた。
「断れば……あなたが過去に暗黙で認めていた、勘定系システムの不透明な迂回融資の証拠を、金融庁と検察にぶちまけます。……どうしますか、黒木部長?」
黒木は言葉を失い、静まり返った部屋に、雨音だけが虚しく響いていた。
5
翌日。東京中央銀行・本店のデジタル推進部。
「神島さん! 大変です!」
あかりが青ざめた顔で神島のデスクへ駆け寄ってきた。タブレットの画面には、与党の金融政策調査会が取りまとめた「緊急経済対策骨子案」のリーク記事が表示されていた。
『政府、デジタル経済圏向けに五千億円の「特別利子補給枠」を創設へ――特定プラットフォームへの無利子融資を解禁』
「な……なんだこれは!?」
神島は立ち上がった。
「昨日、財務省の吉永次長は『前例がない』『特定事業者への利子補給など認められない』と一蹴したはずだ! なぜ一晩でこんな骨子案が出てくる!?」
「裏で政治家が動いたんです……!」
あかりの声が震えていた。
「与党の権藤代議士です。権藤代議士の強い意向で、政府の補正予算の中に『デジタル産業育成のための特別利子補給金』が強引にねじ込まれました。そして……その利子補給の対象となるプラットフォームの指定金融機関として、日東新星銀行の関連ファンドと……我が行の『デジタル戦略特命部』の名前が挙がっています!」
「なに……? 特命部……黒木部長のところか!?」
神島の脳裏に、不吉な予感が走った。
神島はすぐさま特命部長室へと向かった。ドアを叩くのももどかしく扉を開けると、そこには書類をシュレッダーにかけようとしていた黒木の姿があった。
「黒木部長!」
神島は部屋に踏み込んだ。
「ニュースを見ました! 政府の五千億円の利子補給枠……あれに特命部が関与しているというのは本当ですか!? 昨日の今日で、こんな話が進むはずがない! 裏で誰と繋がっているんですか!?」
黒木はシュレッダーの手を止め、ゆっくりと神島を振り返った。
その顔は凄惨なほどにやつれ、目は落ち窪んでいた。
「……神島か」
「黒木部長! 答えてください! 政府の経済対策として『利子補給』や『保証料補助』を組み込むこと自体は、制度上正当な財政出動です! しかし、政治家を使って強引に五千億円もの枠を作らせ、それを特定のファンドへ流し込むような真似をすれば、それは政策金融の濫用だ! 誰がこんなスキームを組んだんですか!?」
「……神崎だ」
黒木は絞り出すような声で言った。
「神崎哲也……あいつだ」
「神崎!?」神島は息をのんだ。
「神崎は権藤代議士と組み、政府の利子補給金五千億円を隠れ蓑にして、海外のオフショアファンドで年利八パーセントの違法な金利連動プール(利回り保証)を作ろうとしている。……政府の税金(利子補給)を使って投資家に不当な高利回りを約束し、裏で巨額のキックバックを得る腹だ」
「そんな無茶なスキーム、日銀の政策金利とも乖離しているし、金融庁の規制にも引っかかります! なぜ黒木部長がそんなものに協力しているんですか!?」
「脅されていたんだよ!」
黒木は机を叩いて叫んだ。
「昔の……迂回融資の件でな! 断れば私は破滅だ! 我が行の信用も地に堕ちる!」
黒木は頭を抱えてソファーに崩れ落ちた。
「神島……もう終わりだ。明日、政府の経済対策が閣議決定される。一度閣議決定されれば、五千億円の利子補給枠が発動し、神崎のファンドに資金が流れる。そして数ヶ月後、スキームが破綻した時……東京中央銀行も、日本の政策金融の信用も、すべて終わりだ……!」
6
静寂が部長室を包み込んだ。
政治の圧力、狂った金融スキーム、そして追い詰められた上司。
すべてが破滅に向かって accelerated(加速)していた。
「……終わりじゃありません」
静かな、だが鋼のように強い声が響いた。
黒木が顔を上げた。そこには、怒りでも絶望でもなく、澄み切った瞳で自分を見つめる神島の姿があった。
「黒木部長。あなたはこの銀行の『リスク管理の鬼』だったはずだ。保身のために金融の倫理を捨てるような真似をして、恥ずかしくないのですか!」
「神島……」
「神崎たちが狙っているのは、政府の利子補給制度という『財政政策』の隙間です。彼らは『政府が利子を補填してくれるから安心だ』と錯覚させ、日銀の政策金利を無視した違法な高金利で投資家を釣ろうとしている。なら、叩き潰す方法はひとつしかない」
神島は胸ポケットからペンを取り出し、ホワイトボードに二つの輪を描いた。
「政府ができるのは『財政出動による利子補給と保証』まで。日銀の専権事項である『政策金利の決定』には手を出せない。……この法律上の厳格な境界線を、今こそ利用するのです」
「利用する……?」
「ええ。閣議決定が行われる明日の朝までに、我々が本物の『正当な利子補給型デポジット・トークン・スキーム』を提示し、神崎の違法ファンドを法的に『排除』します」
神島は黒木に向かって手を伸ばした。
「黒木部長。あなたの持っている特命部の権限と、過去の融資データ、そしてリスク管理のノウハウをすべて私に預けてください。神崎の脅迫など、私が跳ね返してみせます。我々東京中央銀行のバンカーの手で……巨悪を裁きましょう!」
黒木は震える手でメガネを外し、目元をぬぐった。
かつて若い頃、志高く誇りを持って銀行の門をくぐった日の記憶が、黒木の胸に蘇っていた。
「……神島。私は……どうすればいい?」
「今すぐ、日本銀行の金融市場局長と、財務省の吉永次長に連絡を取ってください」
神島は不敵に微笑んだ。
「明日の朝八時――閣議決定の直前に、財務省・金融庁・日本銀行、そして我々メガバンクが集う、緊急の『政策金融・金利調整協議会』を開催します!」
7
翌朝、午前七時三十分。
千代田区霞が関・財務省の特別会議室。
まだ薄暗い室内に、異例の顔ぶれが集まっていた。
財務省主計局次長の吉永、金融庁補佐官の佐伯、日本銀行金融市場局の幹部たち、そして与党の権藤代議士の秘書。さらには、東京中央銀行から副頭取の東条、特命部長の黒木、そして神島拓哉と一ノ瀬あかりが勢揃いしていた。
「一体朝っぱらから何の用だ!」
権藤代議士の秘書が不機嫌そうに書類を叩いた。
「八時半からは閣議決定前の与党総務会があるんだぞ! デジタル利子補給枠五千億円の件なら、すでに与党トップと財務省の間で話はついているはずだ!」
「話はついていません」
神島が静かに立ち上がった。
「吉永次長。並びに日銀の皆様。本日閣議決定されようとしている五千億円の『デジタル利子補給枠』……その真の目的は、神崎哲也および海外ファンドによる、違法な金利サヤ取り(利回り保証スキーム)の資金源にされることです」
「なに……!?」吉永が目を見開いた。
神島はタブレット操作し、黒木が暗黙で収集した神崎のオフショアファンドの内部構造データと、違法なスマートコントラクトのコードを大画面に投影した。
「ご覧ください。神崎らは、政府が出す五千億円の利子補給金(国民の税金)を原資にして、表面上は『実質無利子融資』を装いつつ、裏では日銀の政策金利を大幅に上回る『年利八パーセント』の配当を海外投資家に約束しています。これは日銀法第3条が定める金融政策の専権事項に対する事実上の侵害であり、かつ政府の補正予算制度を悪用した大規模な詐欺行為です!」
「な……なんだと!?」吉永が激怒して秘書を睨みつけた。「権藤代議士! これはどういうことだ! 政府の利子補給制度を、そんな違法ファンドの肥やしにするつもりだったのか!?」
「ち、違う! 我々はそんなことは知らん!」秘書の顔が蒼白になった。
「日銀の皆様にも申し上げます」神島は日銀幹部へ向き直った。
「政策金利の決定権は、言うまでもなく日本銀行の独立した専権事項です。政府が金融政策に直接命じることはできません。しかし、政府が財政政策として『利子補給』や『保証料補助』を行い、企業や事業者の実質的な金利負担を軽減することは、完全に法的に認められた正当な経済対策です」
神島は新しいスキーム図を提示した。
【東京中央銀行が提示する「正統派・デポジット・トークン利子補給モデル」】
[ 政府・自治体(補正予算) ]
│ (正当な利子補給金・保証料補助の投入)
▼
[ 東京中央信託銀行(完全分別信託口座) ]
│ (倒産隔離・権利保全)
▼
[ 東京中央銀行:デポジット・トークン発行 ] ──> (預金保険適用・日銀政策金利に完全準拠)
│
├─① SpaceNode進出中小企業 ──> 利子補給により「実質低利・無利子融資」を実現
└─② 地方銀行連合(200兆円枠) ──> 地銀がリスクゼロでデジタル空間融資へ参画
「我々が提案するのは、この五千億円の利子補給枠を、特定の怪しいファンドではなく、『東京中央信託銀行の厳格な信託口座』と『預金保険が適用されるデポジット・トークン』のインフラへ正当に注入するスキームです!」
神島は熱弁を振るった。
「政府の予算で利子補給を行うことで、SpaceNodeへ進出する全国の中小企業の金利負担を実質ゼロにする。しかし、デポジット・トークン自体の基準金利は、日銀の政策金利に100%完全準拠・完全連動させます! これにより、日銀の独立性を一ミリも侵すことなく、政府の財政出動(利子補給)の果実を、最も安全な形で全国の企業と地方銀行へ届けることができるのです!」
「これなら……」吉永次長の目が輝いた。
「これなら、政府の経済対策(財政出動)としての『利子補給』の正当性を保ちつつ、金融政策(日銀の独立性)との整合性も完璧に保たれる! 違法ファンドに税金を吸い上げられる心配も一切ない!」
「さらに」黒木部長が前に出た。
「我が東京中央銀行のリスク管理部が、このデポジット・トークン利子補給スキームの全取引をリアルタイムでモニタリングします。不正な金利サヤ取りや不透明な資金移動は、スマートコントラクト上で一秒で検知し、口座を凍結します!」
黒木が神島の隣に並び、力強く言い放った。
日銀の幹部も深く頷いた。
「素晴らしい。日銀法第3条の独立性を尊重しつつ、財政政策との見事な『政策協調』のモデルケースだ。日銀としても、この正当なデポジット・トークン・モデルを全面的に支持します」
「決まりだな」
副頭取の東条が重々しく立ち上がった。
「吉永次長。今すぐ与党と調整し、五千億円の利子補給枠の指定インフラを、我が東京中央銀行グループの『信託保全型デポジット・トークン』に差し替えて閣議決定に臨んでいただきたい!」
「承知しました!」吉永が力強く返事をした。
権藤代議士の秘書は、崩れ落ちるように部屋を走り去っていった。
8
午前八時三十分。
首相官邸で閣議決定が行われ、ニュースが全国へ駆け巡った。
『政府、デジタル経済対策として五千億円の特別利子補給枠を閣議決定――東京中央銀行のデポジット・トークンと信託保全スキームを採用』
同時刻、港区の高級ホテル潜伏していた神崎哲也のもとに、東京地検特捜部と金融庁の査察が入った。
不当な利回り保証による出資法違反および詐欺未遂の容疑だった。パイプ椅子に座らされ、手錠をかけられる神崎の顔には、もはやかつての傲慢な笑みは微塵もなかった。
午後五時。
夕日に染まる丸の内の東京中央銀行本店。
特命部長室で、黒木は一人、静かに荷物を整理していた。
「黒木部長」
神島が入ってきた。
「神島か……」黒木は寂しげに微笑んだ。「辞表は先ほど、東条副頭取に提出してきたよ。過去の件も含め、私は相応の責任を取らねばならん」
「部長……」
「いいんだ」黒木は神島の肩をポンと叩いた。
「最後に……誇りあるバンカーとして仕事ができた。君のおかげだ、神島。吉永次長や日銀を動かし、日銀の独立性を守りながら、正当な『利子補給型デポジット・トークン』の道を開いた。君は本物の金融男だよ」
「黒木部長の協力がなければ、あの一夜での逆転は不可能でした。感謝しています」
神島は深く頭を下げた。
黒木はカバンを持ち、誰もいない廊下へと歩み去っていった。その背中は、どこかすがすがしかった。
屋上庭園。
冷たい秋風が吹き抜ける中、神島とあかり、そしてSpaceNodeの西条の三人が並んで立っていた。
「神島さん、すごいです……!」あかりが感極まった声で言った。
「全国の地方銀行から、政府の利子補給付きデポジット・トークンを使って、自地域の企業をSpaceNodeへ出店させたいという問い合わせが殺到しています! 貸出金残高六百五十兆円のうち、地銀の持つ二百兆円の資金が、一気にデジタル空間へ流れ始めました!」
「ああ」西条も目を輝かせた。「これでSpaceNodeは、単なるメタバースじゃない。日本経済の新しい『成長エンジン』になったんだ!」
「まだまだここからだ」
神島は、遠く沈みゆく夕日に照らされた東京の街を見つめた。
「金利の壁、政治の圧力、法律の限界……金融の現場には、常に困難が立ちはだかる。だが、正当な法理と、人間の『信用』を信じる限り、道は必ず開ける」
神島はネクタイを締め直した。
「さあ、行こう。新しいデジタル経済圏の未来を、俺たちの手で創るんだ!」
伝統的な「融資と預金」の信用、政府の「利子補給」、そして「日銀の金融政策」が、最先端の「デポジット・トークン」の上で見事に調和した瞬間だった。
巨額の資金が駆け巡るデジタル空間の地平へ向かって、バンカーたちの飽くなき挑戦は続いていく――。




