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生涯を誓って貴方を  作者: 春夜


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第四話 氷菓子

夜明け前。

朔夜は静かに布団から身を起こした。

まだ陽も昇りきらぬ薄暗い部屋の中、衣擦れの音だけが小さく響く。慣れた手つきで紺色の袴へと着替え、鏡の前に立った。

寝癖一つ残さぬよう髪を整える。

どこから見ても違和感のない御影朔夜を作り上げる。

(今日、あの女は現れる)

昨日の約束。

陽菜惠は昼間に顔を出すと約束した。

それが実現すれば情報が手に入る。

行動範囲。

生活習慣。

屋敷の構造。

そして殺害方法。

選択肢を増やすことができる。

朔夜は部屋を出た。

冷えた廊下を歩きながら、その視線は屋敷の奥へ向けられていた。

陽菜惠の部屋。

あの女が使っているはずの場所。

この屋敷は静かだ。

あまりにも静かすぎる。

普通なら聞こえるはずの音が何一つ聞こえない。

布団を畳む音。

障子を開ける音。

身支度を整える音。

そこに人が住んでいるなら必ず生まれる生活音。

だが何もない。

(三日間見てきたが……)

一つの可能性が浮かぶ。

(あの女は、この屋敷に住んでいない)

夜になると現れる。

昼間には消える。

生活の痕跡もない。

そう考えると辻褄が合う。

だとすれば居場所を突き止めなければならない。

監視できる位置に置く必要がある。

襖を開けて中を調べることも考えた。

しかし、あの部屋へ近づくだけで松下が現れる。

まるで見張っているかのように。

朔夜は方向を変えた。

向かう先は台所だった。

すると案の定、そこにも松下がいた。

「婿様、おはようございます」

「おはようございます」

穏やかな笑みを浮かべる。

「本日はお早い起床で」

「陽菜惠さんに氷菓子を作りたいので、材料の確認に来ました」

そう答えると松下は僅かに目を細めた。

「材料は当主様のご命令で揃えております」

言葉は丁寧。

だが目が語っていた。

――用が済んだなら帰れ。

そう言いたげだった。

だが朔夜は引かない。

あの女に近づく機会が少ない以上、周囲から崩していく必要がある。

そのためには松下の敵意を少しでも減らさなければならない。

お前の目の前にいる男は"当主を慕っている"そう思わせる。

それだけでいい。

「ありがとうございます。せっかくですので練習も兼ねて作ろうかと」

「そうですか」

「陽菜惠さんには出来の良い物を召し上がっていただきたいので」

少し照れたように笑う。

松下は数秒沈黙した。

やがて小さく息を吐く。

「朝食の支度をしております。隅でしたらご自由に」

「ありがとうございます」

許可を得る。

その後、松下が材料を持ってきた。

卵。

牛乳。

砂糖。

氷。

塩。

どれも品質の良いものだった。

朔夜は砂糖を少量指先につけ、舐める。

(毒はない)

当然と言えば当然だ。

松下は陽菜惠を危険に晒すような真似はしない。

だが確認は必要だった。

俺を排除するために毒で嵌める可能性もある。

卵黄と砂糖を混ぜ、牛乳を加える。

冷やすための氷を砕く。

大きな氷塊が割れる音が台所に響いた。

(氷か)

氷は高価な品だ。

誰もが簡単に手にできるものではない。

夏場に氷を使える家は限られている。

この屋敷の財力。

あるいは氷商との繋がり。

そうした情報も頭の片隅で整理し、作業を続ける。

氷と塩を入れた桶へ器を沈める。

ゆっくりと混ぜる。

冷やす。

さらに混ぜる。

その工程を繰り返すうちに液体だったものが徐々に固まり始めた。

(これで十分だろう)

完成した氷菓子を器へ移す。

「松下さんもよろしければ後で召し上がってください」

「ありがとうございます」

朝食の支度をしながら松下は答えた。

朔夜はそのまま朝食を取る。

そして耳を澄ませた。

壁一枚隔てた向こう。

皿の音。

椅子を引く音。

小さく氷菓子を食べる音。

聞こえる。

松下が食べた。

吐き出した音は聞こえない。

問題ないと判断したのだろう。

ならば陽菜惠も口にする。

朝食後。

朔夜自身も氷菓子を食べる。

口の中に広がる甘味。

(甘すぎる)

なぜ好まれるのか理解できない。

だが、あの女は喜ぶだろう。

それだけの価値はあった。


___


昼。

約束の時間。

「これが朔夜の氷菓子ですね!」

陽菜惠は楽しそうに声を上げた。

「ぜひ召し上がってください」

「はい!」

迷いなく口へ運ぶ。

離れた場所では松下が見守っていた。

『少しは危機感を持ちなされ』

呆れた声が聞こえる。

確かにそうだ。

この女はあまりにも無防備だった。

松下が毒見したから。

それだけで安心しているのだろうか。

(それにしても)

朔夜は思う。

(この女、気配がない)

昼前。

氷菓子を作っていた時だった。

「それが昨日おっしゃっていた氷菓子ですか?」

声がした。

真後ろ。

振り返れば陽菜惠が立っていた。

全く気づかなかった。

御影家の影の中でも朔夜は特に気配に敏感だった。

それなのに。

何も感じなかった。

(思考も気配も感じない)

それは異常だった。

普通の人間なら心の声がある。

気配もある。

だがこの女には何もない。

そこにいるのに感じない。

矛盾そのものだった。

「口溶けが良くて、とても美味しいです」

「それは良かったです」

陽菜惠は今日も紫色の着物を着ていた。

華美ではない。

質素な着物。

だがよく見ると毎日同じ物だった。

(毎日同じ着物ではないか)

着替えないのか。

服に興味がないのか。

そんなことを考えていると。

「そんなに見られますと照れますね」

(は?)

一瞬呆れた声を出すところだった。

この女は照れているようには見えない。

平然とした笑顔だった。

「申し訳ありません。綺麗な着物だと思いまして」

表情を整え、こちらも笑顔で返す。

「この紫の着物は気に入っているんです」

(そうだろうな)

気に入ってもないのに毎日着ているのなら、経済的余裕がないとも捉えることができる。

「陽菜惠さんなら桃色や紺色もお似合いだと思います」

「そうですか?」

「ええ」

「朔夜は褒め上手ですね」

簡単に信じる。

本当に単純なのか。

それとも演技なのか。

判別できない。

「朔夜は紺色がお似合いですね」

そう返された。

朔夜は内心だけで苦笑する。

派手な色は目立つ。

目立つことは死に繋がる。

だから選ばない。

ただそれだけだった。

だが今は好都合だ。

服装に興味を示している。

会話が続く。

物理的に距離が縮まる。

この様子なら次の段階へ進める。

「陽菜惠さん」

「はい?」

「今度、二人で出掛けませんか」

陽菜惠の目が少しだけ開かれる。

そして。

「いいですね!」

迷いなく頷いた。

朔夜も微笑む。

(次は屋敷の外だ)

食べ物で興味を引ける。

なら次は行動。

あの女が求める存在を演じる。

近くにいて当然と思わせる。

必要な存在になる。

人の心は興味から始まる。

興味が信頼になる。

信頼が依存になる。

そして。

その先に死がある。

朔夜は穏やかな笑みを浮かべながら、静かに次の手を考えていた。

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