第二話 月ヶ瀬家
両家の挨拶から三日後。
朔夜は月ヶ瀬家へ向かうこととなった。
御影家が得ている情報は、すべて「影」によるものだった。
月ヶ瀬家――。
その一族は「星詠み」と「伝承」を受け継ぐ家だとされている。
しかし、その実態はほとんど知られていない。
他の家のように、自らの異能を誇示することもなければ、外に教えることもない。
閉ざされた一族。
実際に調査のために送り込まれた影たちも、例外なく返り討ちに遭っていた。
無事に帰還した者は一人としていない。
だからこそ、三日という短い準備期間で送り出されたのだろう。
月ヶ瀬家に準備の猶予を与えぬため。
焦りを生み、その隙を突くため。
御影家の思惑は明白だった。
___
翌朝。
朔夜は御影家の車に乗せられ、月ヶ瀬家へと向かう。
身に纏うのは、当主の息子として相応しい礼服。
派手すぎず、それでいて無礼にもならぬ装い。
だがその衣には、はっきりと御影家の匂いが染みついていた。
どう見ても、この家の人間だった。
(嫌な匂いだ。)
胸の奥に残る感覚を振り払うように、視線を外す。
隣に置かれた鞄の中には、何も入っていない。
武器を持ち込めば疑われる。
ならば現地で調達する方が賢明だ。
車は静かに走り続ける。
やがて街を抜け、林の中へと入っていった。
木々が鬱蒼と生い茂り、人の気配は消えていく。
どれほど進んだのか。
やがてその奥に、一つの屋敷が姿を現した。
城門のような構えを持つ大きな屋敷。
自然の中に紛れるように佇んでいる。
車は門の前で止まり、すぐにその場を離れた。
まるで逃げるように。
門の外には、一人の老人が立っていた。
「ようこそ。いらっしゃいました、御影朔夜様」
穏やかな声。
朔夜は一礼する。
「はじめまして。これからお世話になります」
表情には一切の隙を見せない。
穏やかな笑み。
そこに本心はない。
老人はゆっくりと頭を下げた。
「私は長年この家に仕えております。松下英高と申します」
「何卒よろしくお願いいたします」
「どうぞ、中へ」
門をくぐれば、そこは敵地だ。
逃げ場などない。
朔夜は迷うことなく、一歩を踏み出した。
門の内側に入った瞬間、空気が変わる。
庭には丁寧に手入れされた木々や花々が広がっていた。
整えられた美しさ。
和の屋敷。
静かな空間。
誰でも侵入できそうな造り。
だが、誰一人として成功していない。
それがこの家の異質さを物語っていた。
松下が玄関を開ける。
「当主様は奥にいらっしゃいます」
屋敷の中もまた、完璧に整えられていた。
埃一つ見当たらない。
だが。
(静か過ぎる。)
気配がない。
人がいない。
御影家とは対照的だった。
あちらではどこへ行っても視線があった。
監視されているかのような息苦しさ。
だがここには、それがない。
その代わりにあるのは、得体の知れない静寂。
『このお方がお嬢様の婿か』
不意に声が聞こえた。
松下のものだ。
感情は読めない。
だが歓迎ではないことだけは分かる。
当然だ。
敵とも言える家から、見知らぬ男が来たのだ。
しかもこの髪。
薄い茶色の異質な色。
朔夜は周囲へと意識を巡らせる。
床、壁、天井。
どこから襲われても対応できるように。
『まったく困ったものだ』
再び聞こえた声。
それが誰に向けられたものか、朔夜は理解していた。
「こちらです」
松下が歩みを止める。
奥の間。
襖の向こうに、当主がいる。
逃げた可能性。
替え玉の可能性。
いくつもの仮定が頭を巡る。
「当主様。婿様がおいでなさりました」
静かな声。
「どうぞ」
内側から、透き通るような声が返ってきた。
松下が襖を開く。
そこにいたのは、一人の女性。
紫の着物を纏い、静かに座している。
その姿は、あの日と変わらない。
間違いなく、月ヶ瀬家当主――月ヶ瀬陽菜惠。
朔夜は一歩踏み入れる。
「お久しぶりです。朔夜様」
「あの日以来ですね。この度はよろしくお願いいたします、陽菜惠様」
互いに微笑む。
整えられた笑顔。
陽菜惠は、ふと考えるように目を伏せた。
何かあったのか。
朔夜は一瞬だけ警戒する。
「私たちは婚姻する身ですから………様はやめましょうか」
「はい」
予想外の言葉だった。
漆黒の髪。
切り揃った前髪。
蝶の髪飾り。
整った美しさ。
だがどこか、言いようのない違和感があった。
「朔夜は何がお好きですか」
「本を読むことです」
「そうなのですね。我が家には書庫もございます。どうぞご自由に」
「ありがとうございます」
穏やかな会話。
続く質問。
敵対していたとは思えないほど自然だった。
「嫌いな食べ物は?」
「特にありません」
「そうですか」
そして。
「朔夜は他とは違う髪色ですね」
(やはり来たか。)
「そうですね」
わずかな間。
当然の疑問。
黒が当たり前の時代。
この色は異質だ。
だが。
「遠くの地の小麦の色のようですね」
(は?)
予想外の言葉。
「素敵な色合いです」
理解が追いつかない。
褒めているのか。
それとも遠回しな嘲りか。
「栗にも似ていますね」
「そうですか」
(栗は違うだろう。)
何を考えている。
その時、違和感に気づく。
考えている、はずだ。
だが。
"聞こえない"
本来ならば、今の言葉の裏にある本心が聞こえるはずだった。
だが何もない。
沈黙。
空白。
朔夜はゆっくりと後ろへ意識を向ける。
『お嬢様、少しは落ち着きなされ』
松下の呆れた声が聞こえる。
聞こえることに異常があるわけではない。
だが。
目の前の彼女からは、何も聞こえない。
完全な無音。
「これから楽しみですね」
陽菜惠はそう言って微笑む。
「はい」
朔夜は答える。
だが内心は揺れていた。
なぜだ。
なぜ、何も聞こえない。
これでは読み取れない。
隙が見えない。
攻略できない。
だが。
__明日になれば。
__いずれ分かるはずだ。
この女の本性が。
そう思いながら、朔夜は微笑みを崩さなかった。




