『哀しい鯉』
朽果てた日本家屋の庭の池で、錦鯉が口から氣泡を出した。もう一か月、餌を貰っていない。縁側の隙間から伸びた草で、野良猫が戯れていた。何時かの雨風に乗った砂が、硝子戸を汚している。破れていない障子の先、擦れた畳の上に、眠っているのか、死んでいるのか知らないが、老人の男が白い顔をして横になっていた。部屋は整えられていたが、円卓の上に黴の生えた半額の総菜が置いてある。仏壇には先立った妻の遺骨が、納骨されないままにあった。
この家に、招かれざる者が侵入したのは昼間であった。侵入者は人の氣配が全くしない家に、入った筈である。畳に横たわる老人を見た時には、刃物を手に持っていたが、その必要も無いとすぐに理解した。侵入者は金目の物を探しながら、いっその事、通報してしまおうかと思ったが、得策では無いと、すぐにこの考えを除外した。事を済ませた侵入者は、せめてもの、と思い、玄関扉を開け放ったままに去った。
それから一か月。玄関扉は開け放たれたまま、誰の出入りも無かった。鳩や鴉でさえ、来なかった。やはり、畳の上の老人は、死んでいたのだ。
暫くして通報したのは、何時かの侵入者であった。後に氣になって来てみたら、まだ玄関扉が開いたまま、家には老人の亡骸、この人生の結末が、他人事とは思えなかったのだろう。あの日、侵入者は何も盗らずにこの家を出た。罪悪感からなのか、金目の物が無かったのか、それは当の本人にしかわからない。




