表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第3話 死ぬことに比べたら、圧迫面接なんてただの雑談です


 記憶が正しければ、私が受けに来たのは、近所にある運送会社の事務パートの面接だ。


 時給は最低賃金に近い。  電話対応や伝票整理に追われる激務だと噂の職場。


 前の人生での私は、この会社の建物の古さと、面接官の強面こわもてにビビってしまい、しどろもどろになった挙句、不採用になった。


 ……いや、正確には違う。 「こんな汚いところで働けるか」と自分を正当化して、最初から本気で取り組まなかったのだ。


「次の方、佐藤さん。どうぞ」


「はい、失礼いたします」


 名前を呼ばれ、私は扉を開けた。  狭い応接室には、染み付いたタバコの匂い。


 正面に座っているのは、作業着を着た50代くらいの男性。  所長だろうか。眉間に深いしわが刻まれている。


「佐藤恵さんですね。座ってください」


「ありがとうございます」


 椅子に座り、背筋を伸ばす。  所長は私の履歴書に目を落とすと、鼻で笑うような音を立てた。


「専門学校中退……ねえ。その後は半年ほど空白期間があるけど、何してたの?」


 来た。圧迫面接もどきの質問。


 20歳の時の私は、この視線に耐えられずに目が泳ぎ、 「えっと、その、家事手伝いを……」  と蚊の鳴くような声で答えたっけ。


 でも。


(……だから、何?)


 今の私には、この所長の威圧感など、そよ風程度にしか感じられない。


 だって、このおじさんは私を殺したりしない。  電気を止めたり、水を止めたりしない。  ただ、意地悪な質問をしてくるだけだ。


 あの冬の夜の、芯まで凍える底冷えに比べれば。  空腹で苦くて青い胃液を吐いた苦しみに比べれば。


 こんなもの、ただの「会話」だ。


 私は所長の目を真っ直ぐに見つめ返した。


「正直に申し上げます。将来の目標が見つからず、怠惰な生活を送っていました」


「……はあ?」


 予想外にハキハキとした答えが返ってきたからか、所長が顔を上げた。


「ですが、亡き父の分まで女手一つで私を育ててくれた母に、これ以上苦労を掛けたくないんです。自分がどれだけ甘かったか、痛感しました」


「口では何とでも言えるからねぇ。うちは忙しいよ? ドライバーも荒っぽいのが多いし、君みたいなお嬢ちゃんに務まるとは思えないけど」


「務まります」


 私は間髪入れずに即答した。


「どんな雑用でもやります。怒鳴られても辞めません。生活がかかっていますから」


 言葉に熱がこもる。  演技じゃない。これは、崖っぷちを見た私の本心だ。


 ここで働けなきゃ、またあのゴミ屋敷ルートへ逆戻り。それだけは、死んでも嫌だ。


 プライド?  そんなものは、前世でゴミと一緒に捨ててきた。


 私の剣幕に、所長は少しのけぞったように見えた。  そして、じっと私の目の中を覗き込む。


 私は視線を逸らさない。  ここで目を逸らしたら、私の人生が終わる。


 数秒の、重苦しい沈黙。


 やがて、所長の眉間のしわが、ふっと緩んだ。


「……いい目をしてるな」


「え?」


「最近の若いのは、ちょっとつつくとすぐにヘラヘラするか、泣きそうになるんだが……。あんた、何か腹くくってる顔だ」


 所長は履歴書にポンと判子を押した。


「採用だ。明日から来れるか?」


「……! はい、是非よろしくお願いします!」


 私は頭を深く下げた。  心臓が早鐘を打っている。


 受かった。  ニートへの転落ルートを、自分の手で一つ、回避したんだ。


 ◇


 帰り道、夕日が街をオレンジ色に染めていた。  スーパーで特売の豚肉を買い、私は家に帰った。


「ただいまー」


「あ、恵。お帰りなさい」


 リビングに入ると、母さんが心配そうな顔で近寄ってきた。


「どうだった……? やっぱり、厳しかった?」


 母さんの声が震えている。  ああ、そうか。


 母さんはずっと心配していたんだ。  私が社会に馴染めず、このままダメになってしまうんじゃないかって。


 前世の私は、この不安に気づきもしないで、平気で親のスネをかじり続けていた。


 私は買ってきたレジ袋を持ち上げて、ニカっと笑った。


「受かったよ、母さん。明日から仕事だ!」


「え……ほ、本当?」


「本当だよ。所長さんに『いい目をしてる』って褒められちゃった」


 その瞬間、母さんの顔がくしゃっと歪んだ。


「よかったぁ……。本当によかったぁ……」


 母さんはへなへなと椅子に座り込み、手で顔を覆った。  指の隙間から、涙が溢れてくる。


「恵が……恵がやっと、前を向いてくれた……」


 その姿を見て、私も胸が詰まった。  たかがバイトの面接に受かっただけで、こんなに泣いて喜んでくれるなんて。


 私はどれだけ、この人を不安にさせていたんだろう。  私はどれだけ、愛されていたんだろう。


「ごめんね、母さん。心配かけて」


 私は母さんの背中に手を置いた。  温かい。


「今日は生姜焼きにしようよ。私、作るから」


「ううん、お祝いだもの。お母さんが作るわよ」


 母さんは涙を拭い、満面の笑みを浮かべた。


 私は誓った。  この笑顔を、一生守り抜こうと。


 こうして、私の「人生やり直し」の第一歩は、最高の形で幕を開けた。

第3話をお読みいただきありがとうございます。


「どんな雑用でもやる。生活がかかっているから」 40歳の重みがある言葉は、強面の所長の心をも動かしました。


次回、時は流れて5年後。 順調に見えた二度目の人生に、前世最大の悲劇が迫ります。 「母の死」という運命を、恵はどう塗り替えるのか。


第4話「親戚たちが手のひらを返してきましたけど、私の心はもう動きません」


引き続き、よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ