第1話 詰んだ人生と、幻の塩むすび
初めまして、本作を手に取っていただきありがとうございます。
人生のどん底で、自分の過ちに気づいても、もう遅い――。 そんな絶望の果てに、もし一度だけ「やり直し」が許されたなら。
40歳で全てを失い、孤独死したはずの主人公が、二十歳の朝に戻るところから物語は始まります。 派手な異世界魔法もスキルもありませんが、一人の女性が「今日こそは母のために生きる」と決意する、泥臭くも温かい再起の物語です。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
私の名前は佐藤恵。40歳。
母の幸子と二人暮らしの独身だ。
世間で言うところの『子供部屋おばさん』。
20歳で専門学校を中退し、それ以来、この薄暗い自室が私の世界のすべて。
引き籠り歴20年のベテランだ。
昼過ぎ。
カーテンの隙間から漏れる容赦ない日光に顔を顰めながら、私は布団から這い出した。
リビングに行くと、案の定、母の姿はない。
パートに出ているのだろう。
テーブルの上には、乾燥して少し硬くなったラップ済みの食事が並んでいる。
その横に置かれた、いつものメモ。
『恵、これからは少しは将来のことを考えてください。お母さんもいつまでも元気じゃありません。今日こそは、ハローワークへ……』
「……うるさいなあ、もう」
私はそのメモをくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に投げ捨てた。
その時、ちょうど玄関のドアが開く音がした。
母が忘れ物でもしたのか、戻ってきたのだ。
「恵、起きたの? あのね、今日の夕飯なんだけど――」
「うるさいって言ってるでしょ! しつこいんだよ」
私は遮るように怒鳴り散らす。
「お母さんが勝手に生んで、勝手に育てたんでしょ。死ぬまで面倒見るのが親の責任じゃない。嫌なら、さっさと死ねばいいのに!」
衝動的に口をついた、最悪の言葉。
母は一瞬、悲しそうに目を伏せたが、何も言わずに力なくドアを閉めた。
それが、私が母と交わした最後の会話になった。
◇
数時間後。
リビングで母が倒れているのを見つけたとき、私の頭を占めたのは「悲しみ」ではなく「恐怖」だった。
私の食事は?
私のネット代は?
誰が私を守ってくれるの?
叔母を呼び、葬儀を終えたあとの現実は、想像を絶する地獄だった。
「40にもなったあんたの面倒なんか、知るか。勝手に野垂れ死になさい」
親戚に縁を切られ、家には金がないことが判明した。
生活保護の申請も、「働ける」と判断されて門前払い。
それから半年。
インフラが一つ、また一つと止まっていく。
冬の夜、暖房のない部屋は、まるで巨大な棺桶のようだった。
ゴミ袋の山に埋もれ、飢えと寒さで意識が朦朧とする中、私は思い出した。
あの最悪な別れの日。母が戻ってきたのは、私に何かを渡そうとしていたからだ。
ゴミ箱を漁ると、丸めたメモと一緒に、小さな包みが出てきた。
中には、冷え切ってカチカチになった、不格好な塩むすび。
「……あ、……あぁ……」
一口齧る。
塩の味と、母の愛が、泥のように汚れた私の心に染み渡る。
ごめん、母さん。
ごめん。
やり直したい。どこからでもいい。
もし神様がいるなら、私をこの地獄から引きずり出して。
――そんな願いも虚しく、私の視界は真っ暗に染まった。
喉を通るはずのない、涙の味がした。
第1話をお読みいただき、ありがとうございます。
あの日、ゴミ箱に捨てた母の愛。 最悪の別れを経て、主人公が目覚めたのは二十歳の自分の部屋でした。
次話、失ったはずの「母の味噌汁」の温かさに、彼女の涙が止まりません。
第2話「20年前の味噌汁と、母の背中」
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