第6話「目覚めの残響」⑥
ビルの外に出ると、夕方の風が湿った髪を撫でた。
七ノ舟入の駐輪場の鉄骨が、沈みゆく光を受けて鈍く赤を帯びている。
空はまだ完全には暮れきらず、薄橙と群青が溶け合っていた。
蓮司は靴紐を二重に結び、呼吸を整える。
今日も同じルート――。
七ノ舟入自転車駐車場から、梅小路公園を抜け、京都府立植物園を経て、古川町商店街へ。
地面を蹴る。
アスファルトの振動が足首から脛骨を通り、骨盤の芯にまで響く。
膝を高く上げず、重心を低く、呼吸は二拍で吸い、二拍で吐く。
序盤のペースは抑え、筋の可動と呼吸の同期を確かめながら進む。
世界がゆっくりと後ろへ流れていく。
梅小路公園の緑が見えてくる。
子どもの声がまだ残る時間帯。
芝生の上では家族連れが片付けをしている。
風が夕餉の匂いを運び、焦げた脂とソースの残滓が空気を甘くした。
その匂いは、かつての〈火〉を思い出させる。
蓮司は呼吸を浅くし、胸の奥の疼きを押し殺すように脚を動かす。
息を整え、ただ前へ。
痛みは、いまや呼吸の一部だった。
植物園の北側に入ると、湿り気が増した。
樹々の間を抜ける風は冷たく、湿った土の匂いが肺に沈む。
光が沈むにつれ、葉の輪郭が黒く溶け、現実と影の境が曖昧になっていく。
ランナーはもういない。
足音だけが静寂を裂いていた。
――ここからは、誰もいない
心拍が上がる。筋肉の奥に微かな火が灯る。
苦しさではない。
むしろそれこそが、いま生きているという実感だった。
蓮司はペースを上げる。
腰を軸に体をひねり、腕の振りで推進力を補う。
息のリズムを保ちながら、脚の可動域を広げていく。
地面を掴むように蹴り出すたび、靴底が微かに鳴った。
街の灯が一つ、また一つと増えていく。
古川町商店街に辿り着く頃には、空はすっかり群青に沈んでいた。
提灯の赤が夜気に浮かび、通りには焼き鳥とビールの匂いが漂う。
人の声、笑い声、皿のぶつかる音。
蓮司の呼吸は乱れているが、足取りは止まらなかった。
――生きている匂いだ
羨望のような、あるいは拒絶のような感情が胸の内で軋む。
商店街のアーケードの下、街灯の光が額の汗を照らす。
呼吸が落ち着くまで、蓮司は立ち止まり、両手を膝に置いた。
十六・八キロ。
時間にしておよそ一時間十八分。
走り切った身体の中に、まだ微かな熱が残っている。
――これが、一日の終わりの合図だ。
走ることは、もはや鍛錬でも挑戦でもない。
ただ、日々をつなぐためのリズム。
頭を空にして、身体の奥に残るざらつきを流す。
それが、蓮司にとっての「夕方のランニング」だった。
薄暮の風がシャツを冷やし、肌にまとわりついた汗を際立たせる。
走り終えた足を確かめるように一歩、また一歩踏み出しながら、
蓮司は静かに家路についた。
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