第19話「臨界」④
金髪の男と、無精髭の大男。
彼らは一歩も動けず、目の前で行われた一方的な破壊劇を凝視していた。
さっきまで自分たちが優位だと思っていた状況が、
わずか数秒で転覆した現実を受け入れられないでいる。
「こ、こいつ……」
「ヤバい……目が、イッてる……」
金髪の男が震える声で漏らす。
今の蓮司は、用心棒として冷静に仕事をこなしていた三日前とは別人だった。
焦点が定まっているようで、どこも見ていない。
血走った眼球が、不規則に痙攣している。
脇腹からだらだらと血を流しながら、痛みを感じている素振りすら見せない。
まるで、痛覚回路が切断された壊れた殺人人形が、
プログラム通りに動いているかのような不気味さ。
蓮司が、ゆっくりと顔を上げた。
足元の男はすでに失神しかけている。
興味を失ったように手を離し、立ち上がる。
その動きに合わせて、脇腹の傷口が開く。
熱い痛みが走るが、それは蓮司にとって燃料でしかなかった。
その視線が、残る二人を捉えた。
視界が揺らぐ。
水槽の底のような歪んだ世界で、二人の男の姿が二重三重にブレる。
そのブレた輪郭が、またしても蓮司の記憶の中にある「影」と重なっていく。
――聖霊護院の職員たち。
――鉄パイプを持って笑っていた、近所の不良たち。
――自分たちをゴミのように扱った、あの日々の象徴。
耳鳴りが形を変える。
キーンという音から、低く、湿った嘲笑へ。
『お前は汚れている』
『壊れたガラクタだ』
脳内で再生される幻聴が、蓮司の理性を侵食していく。
視界の端に見えるパイロンバーが、施設の檻に見える。
夕焼けの赤が、あの日の炎の色に見える。
(……消えろ)
思考が単純化される。
目の前にあるのは「敵」だ。
敵は排除しなければならない。
排除しなければ、自分が壊される。
いや、もう壊れているのかもしれない。
だから、せめて目の前の不快なものを粉々にしなければ、
世界が静かにならない。
蓮司の足が、アスファルトを蹴った。
先ほどの泥臭い動きとは違う。
スイッチが完全に切り替わった。
ストリートの喧嘩と用心棒や殴られ屋で培った、純粋な暴力の技術。
それが、狂気という燃料を得て爆発する。
「ひっ、来るぞ!」
無精髭の男が構えるより速く、蓮司は加速した。
数メートルの距離を一瞬で詰める。
走る勢いを殺さず、蓮司は空中で身体を捻った。
全身のバネを使い、遠心力を極限まで高める。
ローリングソバット。
回転の遠心力と体重を乗せた、後ろ回し蹴り。
狙いは金髪の男の鳩尾。
男が反応する暇もなかった。
ガードを上げようとした腕の間をすり抜け、
蓮司の踵が深々と突き刺さる。
ドォンッ!
肉を打つ音ではない。
巨大なサンドバッグをフルスイングで叩いたような重低音が響いた。
踵が、男の腹筋を突き破り、脊椎まで届くかのようにめり込む。
0.1秒の衝撃伝播。
男の背中側の服が、衝撃波で波打つ。
「ごフッ……!」
肺の中の空気をすべて強制的に吐き出させられ、
胃の内容物が逆流する。
金髪の男はくの字に折れ曲がり、空き缶のように吹き飛んだ。
背中からパイロンバーと赤いパイロンに激突し、ゴトンゴトンと悲鳴を上げた。
着地と同時に、蓮司は止まらない。
流れるような動作で、次は無精髭の男へ向く。
無精髭の男は、仲間の惨状を見てパニックに陥り、
大振りなパンチを繰り出してきた。
「うわあああッ!」
遅い。
あまりにも遅い。
大振りの拳が空を切る軌道が、白い線のように見えた。
蓮司は上体を最小限に揺らしてそれをかわす。
風圧が髪を揺らす。
その瞬間、蓮司は男の死角
――左足の外側へ、鋭く踏み込んだ。
バチンッ!
乾いた破裂音。
カーフキック。
ふくらはぎの外側、腓骨神経が走る急所を、硬いスネで正確に打ち抜いた。
ただ蹴るのではない。体重を乗せて「断ち切る」ように。
「ぎゃっ!?」
神経を直接叩かれた男の足が、電流が走ったように痙攣する。
膝がガクリと落ちる。
支えを失った巨体が、斜めに傾く。
その頭が下がった瞬間を、蓮司は見逃さなかった。
右足が鞭のようにしなる。
腰の回転、軸足の踏み込み、そしてインパクトの瞬間のスナップ。
ハイキック。
ガードの下がった男の顎先を、足の甲が捉えた。
パァンッ、と小気味良い音が鳴る。
脳が揺れ、意識が断線する音。
男の視線が宙を泳ぎ、白目を剥く。
巨木が倒れるように、無精髭の男は糸の切れた操り人形となって崩れ落ちた。
静寂が戻る……はずだった。
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