第2話「静寂のひび割れ」②
昼前の喫茶《とうどう〉は、いつもより少し静かだった。
扉を押すと、鈴の音がひとつ転がり、奥から湯気とコーヒーの香りが流れてくる。
カウンターの向こうで紗月が顔を上げた。
「いらっしゃい」
その声は穏やかだったが、どこか張りがなく、かすかに掠れていた。
蓮司は軽く会釈し、窓際の席に腰を下ろした。
いつもの位置。いつもの木のテーブル。
光の入り方も、湯気の揺れ方も、変わらないはずなのに
――今日は空気の密度が違っていた。
「今日も定食でいい?」
「ああ。頼む」
短く返すと、紗月は小さく頷き、奥の調理スペースへ消えていった。
湯が沸く音と、包丁のリズムが店内に響く。
カウンターに積まれたマグカップや、壁にかけられたドライフラワー。
どれも見慣れた風景だったが、どこか手入れが行き届いていないように見えた。
店の外では、木屋町通りを通る車のエンジン音が遠くに混じっている。
蓮司は窓越しにその音を聞きながら、指先でコップの縁をなぞった。
静けさが、いつもより長い。
十五分ほどして、紗月が料理を運んできた。
プレートには、玄米ごはん、鶏むね肉のグリル、彩り野菜のマリネ、味噌汁。
見た目だけでも、栄養の計算が行き届いているのがわかる。
「いつも通り、バランスは完璧だな」
そう言うと、紗月は小さく笑った。
だが、その笑みはほんの一瞬で消える。
「ありがと。でも、最近ちょっと味付けが安定しなくてね」
「そんなことない。十分、うまいよ」
「そう? ならよかった」
返事のあと、紗月はテーブルを拭く手を止め、わずかに息をついた。
蓮司はスプーンを持つ手を止めた。
ため息が二度、三度と重なる。
深いものではないが、意識せずには出ない重さだった。
「……なにかあったか?」
言葉が自然に口をついた。
自分でも意外だった。
客として訪れるとき、紗月に余計なことを聞くことはなかった。
けれど、今日は違った。
湯気の向こうにある紗月の横顔が、どこか遠くを見ているように感じられたからだ。
紗月は少しの間、黙っていた。
やがて、ため息を飲み込み、軽く笑う。
「ごめんね。ちょっと寝不足なだけ。気にしないで」
「寝不足?」
「うん。まあ……子どものこととか、店のこととか。いろいろね」
その言葉に、蓮司はそれ以上踏み込まなかった。
紗月の“子ども”という言葉が、頭の中で静かに反響する。
彼女に子どもがいることは知っていた。
だが、詳しく聞いたことはなかった。
聞く理由も、立場もないと思っていた。
食後、カウンターに戻った紗月がアイスコーヒーを出してくれる。
「今日はサービス」
そう言って笑うその声も、どこか力がなかった。
「ありがとう」
蓮司は短く礼を言い、ストローを指した。
氷が小さく鳴る。
午後の日差しがカウンター越しに差し込み、
ガラスのグラスを透かして床に揺れる光が映る。
その光を見つめながら、蓮司はぼんやりと考えていた。
――人の疲れや悲しみというのは、どこまで他人に見せていいものなのか。
紗月はきっと、その境界を守ろうとしている。
けれど、守れば守るほど、孤立していくようにも見えた。
コーヒーを飲み干し、席を立つ。
会計を済ませると、紗月は「またね」と小さく笑った。
その声に、どこか痛みのような響きが混じっていた。
扉を出ると、昼の光が目に刺さる。
蓮司は目を細め、通りの人波を眺めた。
風が、微かに冷たい。
その冷たさが、背中に残る違和感と、妙に似ていた。
これからも作品投稿頑張りますので
よろしくお願いいたします!!




